安房あわ)” の例文
このふた品を持って、北条安房あわどのを訪れ、幕府への御推挙を仰ぐとも、また一刀流を称して他に一家を構えようともこころざしどおりにいたせ
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あれが安房あわ上総かずさの山々、イヤ、絵にかいたような景色とは、このことでしょうナ。海てエものは、いつ見ても気持のいいもので」
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
安房あわの青木という村には、弘法大師の芋井戸というのがあります。井戸の底に芋のような葉をした植物が、青々と茂っています。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
清澄は安房あわの国の北の端であって、洲崎すのさきはその西のはてになります。いくら小さい国だと言ったところで、国と国との両極端に当るのです。
大菩薩峠:18 安房の国の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
東京を中心にして関東の地図を見ますと、その中には相模さがみ武蔵むさし安房あわ上総かずさ下総しもうさ常陸ひたち上野こうずけ下野しもつけなどが現れます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
いずれも戦にかけては恐ろしく強い者等に武蔵、上野、上総かずさ下総しもうさ安房あわの諸国の北条領の城々六十余りを一月の間に揉潰もみつぶさせて、小田原へ取り詰めた。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
一人がけわしい山谿やまあいかける呼吸で松の木に登り、桜の幹にまたがって安房あわ上総かずさを眺めると、片っぽは北辰ほくしん一刀流の構えで、木の根っ子をヤッと割るのである。
弾正だんじょう(伊達宗敏むねとし)さま御出府のあとにて、安房あわ(同宗実むねざね)さまが御上座、まず老臣誓書のことが出ました。
小菊は親たちが微禄びろくして、本所のさる裏町の長屋に逼塞していた時分、ようよう十二か三で、安房あわ那古なこに売られ、そこで下地ッとして踊りや三味線しゃみせんを仕込まれ
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
千葉、木更津きさらづ富津ふっつ上総かずさ安房あわへはいった保田ほた那古なご洲崎すさき。野島ヶ岬をグルリと廻り、最初に着くは江見えみの港。それから前原港を経、上総へはいって勝浦、御宿おんじゅく
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
……どこと申して行く処に当は無いので、法衣ころもを着て草鞋わらじ穿くと、直ぐに両国から江戸を離れて、安房あわ上総かずさを諸所経歴へめぐりました。……今日こんにちは、薬研堀を通ってこっちへ。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
昭和元年から二年への冬休みは、安房あわの日蓮聖人の聖蹟で整頓した頭を以て、とにかく概略の講義案を作成した。もちろん、根本理論は前年度のものと変化はないのである。
戦争史大観 (新字新仮名) / 石原莞爾(著)
そうして、その年の暮に万歳が重ねて江戸へくだると、おも安房あわ上総かずさ下総しもうさから出て来る才蔵は約束の通りその定宿へたずねて行って、再び連れ立って江戸の春を祝ってあるく。
半七捕物帳:17 三河万歳 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
天気のよい時白帆しらほ浮雲うきぐもと共に望み得られる安房あわ上総かずさ山影さんえいとても、最早もはや今日の都会人には花川戸助六はなかわどすけろく台詞せりふにも読込まれているような爽快な心持を起させはしない。
一、立花左近将監たちばなさこんしょうげん様。伊豆大島いずおおしま一円。松平下総守しもうさのかみ様、安房あわ上総かずさの両国。その他、川越かわごえ城主松平大和守やまとのかみ様をはじめ、万石以上にて諸所にお堅めのため出陣の御大名数を知らず。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
これに対抗する里見勢もまた相当の数だろうが、ドダイ安房あわから墨田河原すみだがわら近くの戦線までかなりな道程をいつドウいう風に引牽いんけんして来たのやらそれからして一行も書いてない。
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
鯛、鱸、かれい、黒鯛など、婦人が行っても釣ることができる。安房あわの南端布良めらの釣遊は豪壮であった。外房勝浦方面の釣り案内舟は、いま一段の改善が欲しいと考えてみたこともあった。
水の遍路 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
日本でなら「雨、雨、安房あわへ」というふうにあの韻で掛けてゆくべきものである。
まざあ・ぐうす (新字新仮名) / 作者不詳(著)
相模さがみ上総かずさ安房あわ等の海浜にて漁船中の最も堅牢けんろう快速なるもの五十そうばかりに屈竟くっきょう舸子かこを併せ雇い、士卒に各々小銃一個を授けて、毎船十名ばかりを載せ、就中なかんずく大砲を善くする者を択び
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
「だれが聞いたところでも、それが、ひどい佐賀なまりだったというんです。……ねえ、旦那、お祖師さまのご生国しょうこく安房あわ小湊こみなと、佐賀なまりのお祖師さまなんざ、ちと、おかしいでしょう」
小舟で安房あわへと、落ちのびられたことなどにくらべれば、まだわれらには生死を共に誓ッた八百の精鋭がここにある。何のひるみを
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これはまた、昔源頼朝が、ここを通って安房あわの方へ行こうとする際に、村の人たちが出て来て、将軍に昼の飯をすすめました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ただ安房あわ上総かずさの国で特筆されてよいと思いますのは、日蓮宗のお寺で名高い清澄きよすみ山やまた風光のよい鹿野かのう山に建具たてぐを職とする者が集っていて
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
安房あわの国で鯉をつろうとも、皆それだけの頭と、働きを以てやるのですから、あなた方が、一方向きの知識だけでかれこれいうのは、僭越というものです
大菩薩峠:25 みちりやの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
飛び込んだ男は灘兵衛なだべえと云って、わざわざ安房あわから呼び寄せたところの水練名誉の海男あまであったが、飛び込んでしばらく時が経つのに水の面へ現われようともしない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
これなるは、安房あわの国はのこぎり山に年ひさしく棲みなして作物を害し人畜をおびやかしたる大蛇おろち
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
それも製作技術の智慧からではあるが、丸太まるたを組み、割竹わりだけを編み、紙をり、色をけて、インチキ大仏のその眼のあなから安房あわ上総かずさまで見ゆるほどなのを江戸えどに作ったことがある。
鵞鳥 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
安房あわ上総かずさの山々を背景にして、見果てもない一大遊園地と化した海の上には、大勢の男や女や子供たちが晴れた日光にかがやく砂を踏んで、はまぐりや浅蜊の獲物をあさるのに忙がしかった。
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
写楽はもと安房あわの産にして能役者たりしといふのほかその伝記甚だつまびらかならず。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
二十六日に雨が降ってようやくむと、安房あわ上総かずさでは津浪があって十万人死んだとか、小田原がいちばん激震で何千人いっぺんにつぶされたとか、色いろ恐ろしい噂が次から次へとひろまりだした。
柳橋物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
怪しげなる男、童子一名つれて、江戸城の軍学家北条安房あわの密命をうけて上方へ潜行す——と、関東の味方の者から通牒つうちょうのあったことだ。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここ安房あわ洲崎すのさきを最寄りとしては、常陸、磐城の海岸筋の鉱脈に当りをつけるのが順当だと思っていたのです。
大菩薩峠:29 年魚市の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
というわけは東京の近く、入海いりうみを隔てて対岸の上総かずさ安房あわとでは、今でも十一月下旬に始まる物忌ものいみの期間を、ミカリまたはミカワリといっているからである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
上野こうずけ下野しもつけ武蔵むさし常陸ひたち安房あわ上総かずさ下総しもうさ相模さがみと股にかけ、ある時は一人で、ある時は数十人の眷属けんぞくと共に、強盗おしこみ放火ひつけ殺人ひとごろしの兇行を演じて来た、武士あがりのこの大盗が
猿ヶ京片耳伝説 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
忠義の先代義康は安房あわの侍従と呼ばれた人で、慶長けいちょう八年十一月十六日、三十一歳で死んでいる。その三周忌のひと月かふた月前のことであるというから、慶長十年の晩秋か初冬の頃であろう。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
安房あわ貝淵かいぶち、林駿河守の案技になり、貝淵流かいぶちりゅうの棒使い海蘊絡もくずがらめの一手——。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
下野介公雅しもつけのすけきみまさ安房あわの庄司公連きみつらなどだ。——それと、子息ではないが、安房の要吏に、秦清文はたのきよぶみなどと有力な味方もいた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すでに安房あわの海を見、上総の海、下総の海岸を経て、利根の水、霞ヶ浦の水郷に漫遊した白雲の眼には、鹿島灘の水を、同じものとは見ることができません。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それ以外には多摩川上流の小河内おごうち村の鹿島踊でも、下総しもうさ印旛郡いんばぐんの村々に分布するものでも、安房あわの半島から伊豆いず、大島さらにその対岸の幾つかの海村に現存するものでも
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこで、地勢の関係かどうか知らないが、江戸へ飛んでくる鷲の類は、深川洲崎すざきの方面、または大森羽田の方面に多く、おそらく安房あわ上総かずさの山々から海を渡って来るのであろうと伝えられていた。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
富田岬をかわして、安房あわの勝山、走水はしりみず
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
安房あわへ行っては里見家へ仕えた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
委細いさい何事も、安房あわどのがお心得ある。……何。わしか。入道一刀斎の行く先は、いくらでもある。何の、ちまたの世間に限ろうぞ。案ずるな。おさらば、おさらば
剣の四君子:05 小野忠明 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西に眼を転じて、自分は、安房あわの国、洲崎浜の駒井甚三郎の食客となっている身で、それに相当のいとまを告げて、立ち出でて来た旅中の旅路であることをおもいました。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
安房あわ半島に行くとケンゴトまたはケエヤドッコ、ケというのはつねの日の食事ごしらえで、その仕事をケシンといっている土地も他にはあるが、ケエヤドという語はちょっと解しかねる。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
時に——かねて沢庵和尚や安房あわ殿などから、御推挙あった其許そこもとの仕官の儀……。昨夜に至って、いかなる御都合変りにや、にわかにお見合せというお沙汰じゃ。
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日蓮上人が東夷東条安房あわの国とおっしゃいました、その安房の国の清澄のお山から出てまいりまして
大菩薩峠:36 新月の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
関の姥神はもちろん、上総と安房あわとのさかいばかりにあったのではありません。一番有名なものは京都から近江おうみへ越える逢阪おうさかの関に、百歳堂ももとせどうといってあったのも姥神らしいという話であります。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
遠い一連の山影は、上総かずさ安房あわの半島である。そのあたりから大いなる太陽の端が真っ赤に昇りかけた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もしその時、そなたたちを助けようとした人、助け得た人があったとすれば、それは弁信といって、安房あわの国から出た口の達者な、やはり眼の見えない小坊主の働きじゃ。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)