刹那せつな)” の例文
わたしの長い寫眞物語しやしんものかたりのペエジにも悲喜ひきこも/″\の出來事がくり返されたが、あの刹那せつなにまさるうれしさがもうふたゝびあらうとはおもへない。
壮大なこの場の自然の光景を背景に、この無心の熊さんを置いて見た刹那せつなに自分の心に湧いた感じは筆にもかけずことばにも表わされぬ。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
と云ふ決心が出來れば、或は二つの情願が、死の刹那せつな融合ゆうがふしてしまふ樣にもならうが、之とて今の亨一にしひることが出來なかつた。
計画 (旧字旧仮名) / 平出修(著)
ベアトリーチェに接近することが出来るということを知った刹那せつな、そうすることが彼の生活には絶対に必要なことのように思われた。
そしてその刹那せつな、手燭もあんどんもことごとく消えて、あたりは鼻をつままれてもわからぬ暗々の闇一色とかわってしまったのです。
亡霊怪猫屋敷 (新字新仮名) / 橘外男(著)
もう死んだものと諦めた刹那せつなに、ぱっと生きかえったのである。死中に活を求める。これこそ日本にのみ伝わる武芸の神秘であった。
浮かぶ飛行島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
如何に愛し合って居る男女でも、刹那せつな々々の気分の動きがその純情に不純のこいしを混じえぬと、どうして云い切ることが出来ましょう。
阿難と呪術師の娘 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
いつ死ぬかもしれぬ身であるならば、せめて自分が天職とも信じて選んだ職場で、それも自分の情熱を傾けつくした刹那せつなに倒れたい。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
真ッ二つ! 孫兵衛の息と手が、さっと放たれようとした刹那せつな甲比丹かぴたんの三次やほかの者たちと、こっちの縁側にいた見返りおつな
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鳴神なるかみおどろおどろしく、はためき渡りたるその刹那せつなに、初声うぶこえあがりて、さしもぼんくつがえさんばかりの大雨もたちまちにしてあがりぬ。
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
丹治は大きな獲物の落ちきた刹那せつなの光景を想像しながら鶴の方を見た。鶴は平気で長いくびかしげるようにしていた。丹治は眼をみはった。
怪人の眼 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
その男は仕合しあわせにも大した怪我けがもせず、瀑布ばくふを下ることが出来たけれど、その一刹那せつなに、頭髪がすっかり白くなってしまったよしである。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この刹那せつなに箱のふたをあけると、案の通り土で造った円筒状の煙管キセルの雁首が一箇出た。箱の蓋をく見ると、煙草タバコを刻んだ跡もある。
土塊石片録 (新字新仮名) / 伊波普猷(著)
岡田は只それだけの刹那せつなの知覚を閲歴したと云うに過ぎなかったので、無縁坂を降りてしまう頃には、もう女の事は綺麗に忘れていた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
「ようこそ、花聟さま」と、ふたたび金切り声がひびいたと思う刹那せつな、その声のぬしは腕を差し出しながら私のほうへ走って来た。
その叫びをあげる刹那せつなは全く、ありとあらゆる記憶、あらゆる感じ、それらのものが、一度に総勘定でもするように頭に浮かんで来た。
海に生くる人々 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
その消えたのはほんの一刹那せつなで、また同時に消える数がわずかだったが、畔の全体の長さに沿うて一列二列の間はぼかされていた。
……まる三年以上も、彼を取巻き、押えつけ、閉籠とじこめていたもの、どす黒く重苦しい壁のようなものがはたし状を書いた刹那せつなに崩れた。
はたし状 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
まことにその刹那せつなの尊い恐しさは、あたかも「でうす」の御声が、星の光も見えぬ遠い空から、伝はつて来るやうであつたと申す。
奉教人の死 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
刹那せつなすなわちモーメントの出来事を……」と、云ったような言葉遣いが、譲吉の僧侶に対する反感を、一層強めた。殊にその坊主が
大島が出来る話 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その道楽が職業と変化する刹那せつなに今まで自己にあった権威が突然他人の手に移るから快楽がたちまち苦痛になるのはやむをえない。
道楽と職業 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
そして彼には、この刹那せつなを境にして自分が、この地上で自ら為遂しとげなければならぬ事の何かを、完全に悟ったような気がしていた。
鍵を受取ってポケットに入れようとしたが、その一刹那せつなに片手でデッキの欄干てすりに掴まっていた中野学士が鮮やかな足払いをかけた。
オンチ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
其の一刹那せつな、己が彼女から真先に受けた印象は、じょの体中に星の如く附着してピカピカと光って居る、無数の宝石類ほうせきるいであった。
小僧の夢 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
根が尽きて気があせり、構えが崩れた一刹那せつなを、一気に勝ちを制してやろう。相手の不思議なあの構えを、突き崩すのが急務である
名人地獄 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「机に臂をついてみて」さてどうするのかというと、それは誰にもわからぬ。作者はただ臂をついた刹那せつなを捉えたまでなのである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
葉子はソファを牝鹿めじかのように立ち上がって、過去と未来とを断ち切った現在刹那せつなのくらむばかりな変身に打ちふるいながらほほえんだ。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
よろめくように立上たちあがったおせんは、まど障子しょうじをかけた。と、その刹那せつなひくいしかもれないこえが、まどしたからあがった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
彼女がこう言った刹那せつな、その馬は荷を積んだ驢馬ろばを避けようとしたはずみに、ちょうどこっちへ進行して来た人力車と真向かいになった。
あの一刹那せつなにわたくしの運命は定まったのでございます。わたくしは開けようと思った戸を開けずに、とばりの蔭に隠れていました。
田舎 (新字新仮名) / マルセル・プレヴォー(著)
「われを売る者、この中にひとりあり。」キリストはそうつぶやいて、かれの一切の希望をさらっと捨て去った、刹那せつなの姿を巧みにとらえた。
そしてあなたをきとめに走ろうとする刹那せつな、わしはあなたが両手を広げて涙をいっぱい目にためて、わしのほうに走ってくるのを見た。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
こんな事を考えながら女は寐入ねいってしまったが、ある一刹那せつなにその眠りが突然めた。あたりを見廻みまわせば、ほとんど真っ暗になっている。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
これが目にはいった刹那せつなは恐ろしい気さえしたが、寄って行って声をかけると、老人らしくせきを先に立てて答える女があった。
源氏物語:15 蓬生 (新字新仮名) / 紫式部(著)
その刹那せつなに、わたしはなんとも言えない一種の戦慄せんりつを感じたことを白状しなければならない。その乗客はかの三好透であった。
深見夫人の死 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一寸した刹那せつなである。千仞せんじんの崖の上に立ったように目まいがした。急に目先が真暗になった。そしてそれが先達の最期だった。
土城廊 (新字新仮名) / 金史良(著)
不意に視野に入れた刹那せつな、私は急に何か自分にいていたものからめたような気持で、その建物の中で多数の病人達に取り囲まれながら
風立ちぬ (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
無論腕木うでぎの支柱があり、黒鉄の上下こうが横斜めに構えてはいた。その把手ハンドルを菜っ葉服の一人が両手でしっかと引き降しにおさえた刹那せつなである。
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
銀子のある瞬間が世にありし日の懐かしい夫人の感じをおもい起こさせるのて、座敷へ姿を現わした刹那せつなの印象が心に留まった。
縮図 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
いかに、江戸の隅から隅まで、闇夜も真昼のように見とおす心眼を持った闇太郎にしろ、ろ半を出て、河岸に突っ立った刹那せつな
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
見つけられたと思ったものは、急に頭から冷水をかけられたような気分がして、穴があったら地の中へ隠れたいと思う刹那せつな
過ぎた春の記憶 (新字新仮名) / 小川未明(著)
改札口の重い戸を力まかせに閉めて、転ぶように階壇を飛び降りたが、その刹那せつな、新宿行きの列車は今高く汽笛を鳴らした。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
最初の発見者が駈けつけた刹那せつなに、ジャックは体を離れて、その時は静かに、そこらの暗い一隅に立って人々の驚愕きょうがくを見ていたに相違ない。
女肉を料理する男 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
そうしてその表現がまた刹那せつなのひらめきの鋭い利用や、間投詞の巧妙な投げ込み方によって、一分のすきもないものである。
日本精神史研究 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
刹那せつな、彼はあけ放たれたドアの中へすべり込んで、壁の陰に身をひそめた。それは真に危機一髪で——もうその時彼らは踊り場に立っていた。
しかも「永遠に立脚して、刹那せつなに努力する人」こそ、はじめてかかる境地を、ほんとうに味わうことができるのであります。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
刹那せつなの積み重つた甘さでもある。女を眼の前に坐らせて、これから起つて来る刹那に就いて、富岡は自分のいやらしさをためしてみたかつた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
で、何かいい出しそうにじッ! とおさよを見すえた刹那せつな! 裂帛れっぱくの叫び声がどこからともなく尾をひいて陰々たる屋敷うちに流れると……。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
かの刹那せつなのことについてわが語るを得るは是のみ、曰く、彼を視るに及びわが情は他の一切の願ひより解かると 一三—一五
神曲:03 天堂 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
自分が何かをああ美味しい! とたべた刹那せつな、又ああいい空気だと感じた瞬間、すぐその下から、忽ちいろいろと苦しい心持を感じて来ている。