食物くいもの)” の例文
家の惣菜そうざいなら不味くても好いが、余所よそへ喰べに行くのは贅沢ぜいたくだから選択えりごのみをするのが当然であるというのが緑雨の食物くいもの哲学であった。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
仕方がない、何でもよいから食物くいもののある所まであるこうと決心をしてそろりそろりと池をひだりに廻り始めた。どうも非常に苦しい。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「トム、トム……。」と、二三度呼んだが、犬は食物くいものに気をられて、主人の声を聞付ききつけぬらしい。市郎は舌打したうちしながら引返ひっかえして来た。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
棚曝たなざらしになった聖賢の伝記、読み捨てられた物語、獄中の日誌、世に忘れられた詩歌もあれば、酒と女と食物くいものとの手引草もある。
並木 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だから人情は人の食物くいものだ。米や肉が人に必要物なる如く親子や男女なんにょや朋友の情は人の心の食物だ。これは比喩ひゆでなく事実である。
酒中日記 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
お町は熊に助けられて山深く逃げ延びましたが、身を寄せる処は勿論、食物くいものもございませんから、進退いよ/\きわまりました。
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
……里まで出づれば食物くいものもあらんに、それさへ四足疲れはてて、今は怎麼いかにともすべきやうなし。ああいひ甲斐なき事かな
こがね丸 (新字旧仮名) / 巌谷小波(著)
食物くいものがある。私も何だかここにいると幸福のような気がする。第一ここでは、あの意地の悪い眼を感じなくともよい。
動物園の一夜 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
それで住民は何を食物くいものにしているかというと、栃の実を食べている。栃の実を取って一種の製法で水にさらして灰汁あくを抜き餅に作って食用にしている。
B 莫迦ばかなことを言え。女の事なんか近頃もうちっとも僕の目にうつらなくなった。女より食物くいものだね。好きな物を食ってさえいれあ僕には不平はない。
食物くいものと云えば小鳥や果実このみ飲料のみものと云えば谷川の水、そうして冬季餌のない時は寂しい村の人家を襲い、鶏や穀物や野菜などを巧みに盗んで来たりした。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
反対側の食物くいもの屋台とすれすれにまで、ふくれているので、そこの道は、人一人、やっと通れる程の隙間しかない。
猟奇の果 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
七蔵本性をあらわして不足なき身に長半をあらそえば段々悪徒の食物くいものとなりてせる身代の行末ゆくすえ気遣きづかい、女房うるさく異見いけんすれば、何の女の知らぬ事
風流仏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
土地が辺鄙へんぴ食物くいものこそだが、おめしものや何か、縮緬ちりめんがお不断着で、秋のはじめに新しいコオトが出来ました。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「三輪の言うことも道理だ。村岡の申分も有理もっともだ。しかし食物くいもののことなんかで喧嘩をするのは止せよ、若い者」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
甚三 おかあ、木津の藤兵衛の家じゃもう食物くいものが尽きたけに、来年の籾種にまで、手を付けたというぞ。
義民甚兵衛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
この頃、かれが持ってくる小銭や食物くいものは、何に依って得てくるかを、自分も知っていたのではないか。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
名古屋人には、おつな食物くいものよりも、やすい食物が気に入るのだ。まさか、屋台店で、食べ物を値切る人間もないけれど、値切りかねないのが、名古屋人の腹なのである。
名古屋スケッチ (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
「己もるよ」とは云ったが、男はやはり動かずにいて、飲物にも、食物くいものにも手を触れない。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
林檎は又この時以来、彼には食物くいものにも変り出した。従って彼は林檎を見る度に、モオゼの十戒を思い出したり、油の絵具の調合を考えたり、胃袋の鳴るのを感じたりしていた。
三つのなぜ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
貧乏びんぼう百姓家ひゃくしょうやに住んでいるニワトリたちは、「ここは『穀物こくもつなし』っていうんだ。」と、さけびますし、もっともっと貧乏な百姓家のニワトリは、「ここは『食物くいものなし、食物なし』さ。」
「わたしはまた、お前さんが預かって食物くいものにしやしないかと、それが心配だ」
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こんなことがたびたびあるのでその後はもう近づいて来ない。三太太の話では、烏や鵲はちょっと食物くいものを横取りするくらいだから一向差支えありませんが、憎らしいのは、あの大きな黒猫ですよ。
兎と猫 (新字新仮名) / 魯迅(著)
何しろ船長は支那人を二十人ばかり雇いこんだが、其奴そいつ等は馬鹿に忠実で、よく働いて、僅かな給料と半人前の食物くいものを充てがわれ、軍艦同様な八釜やかましい規則にも、不平一つ云わずに服従しているんだ。
「今日は食物くいものどころじゃねえ。もっと大事なことがあるんだ。」
だが、兄弟、俺は人間の食物くいものがほしくってたまんねえのさ。
市民の食物くいものの不気味さがあります。
二人は鯉に祟られたというのである。なにかの食物くいものにあたったのであろうと物識り顔に説明する者もあったが、世間一般は承知しなかった。
(新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
幾度いくたびえ、幾度殺されそうにしたか解らないこのそこないの畜生にも、人が来て頭をでて、おまけに、食物くいものまでも宛行あてがわれるような日が来た。
芽生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
長「酌は美女たぼ食物くいものは器で、い器でないと肴が旨く喰えんが、酌はお前のような美しい顔を見ながら飲むと酒が旨いなア」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
恩師の食道楽に感化された乎、天禀てんぴんの食癖であった乎、二葉亭は食通ではなかったが食物くいもの穿議せんぎがかなりやかましかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
あなたのように高等教育を受けて世の中へ出たての人はとかく雷獣はい食物くいものにしたがるものですから、そのへんはよく御注意なさらないといけません。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
聞えて来るのは食物くいものいた猛獣の恐ろしい吠え声と太陽をかすめて舞っている巨大な沙漠鷲の啼き声だけです。
食物くいもの代物しろものも、新しい買物じゃ。縁起でもない事の。罪人を上積みにしてどうしべい、これこれでござる。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
一日某新聞社員と名刺に肩書のある男尋ね来り、室に入りて挨拶するやいな、早速、先生の御高説をちと伺いたし、と新聞屋の悪い癖で無暗むやみに「人を食物くいものにする」会話を仕出す。
ねじくり博士 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
二人りで三千円ばかりの資本ではじめたというのですが、この頃なんぞ兄の方は金廻りがよくて、競馬などに行ってるという話……食物くいもの商売は確かにうまく行きさえすればいいんですよ。
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
保吉やすきちはやむを得ず風中ふうちゅう如丹じょたんと、食物くいものの事などを話し合った。しかし話ははずまなかった。このふとった客の出現以来、我々三人の心もちに、妙な狂いの出来た事は、どうにも仕方のない事実だった。
魚河岸 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それから余りり嫌いをせずに、飲物と食物くいものとを註文ちゅうもんした。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
私は食物くいものには割合に無頓着むとんちゃくであって、何処でも腹が空けばその近所の飲食店で間に合わして置く方であるが、二葉亭はなかなかう行かなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
養子と経済を別々にしながら一所のうちに住んでいた姉夫婦は、自分たちのいたもちだの、自分たちの買った砂糖だのという特別な食物くいものっていた。
道草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
しかし、おせん時代のことを知っているものは、主人思いの婆さんより外に無かった。婆さんは長く奉公して、主人が食物くいもの嗜好しこうまでも好く知っていた。
刺繍 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
だが死んだ親父の位牌いへいに対しても済まねえから、うちしきいまたがせることは出来ねえ義理だから、裏の明店あきだなへ入れて置き、食物くいものだけは日々にち/\送ってくれべい
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「トム、トム……。」と、少しく声をあらくして呼ぶと、犬は初めて心付いたらしく、食物くいものを捨てて駈け出そうとしたが、早くも背後うしろからお葉に抱かれてしまった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
私はまた私で、何です、なまじ薄髯うすひげの生えた意気地のない兄哥あにいがついているから起って、相応にどうにか遣繰やりくってかれるだろう、と思うから、食物くいものの足りぬ阿母を、世間でも黙って見ている。
女客 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
百本ばかりある大根が、冬中のおもな食物くいものじゃけになあ。
義民甚兵衛 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「おおおお今日も大雪で山には食物くいものがないと見える」
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
その上に二葉亭は、ドチラかというと浪費家であって、衣服きものや道具には無頓着むとんちゃくであったが食物くいものにはかなりな贅沢ぜいたくをした。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
宗蔵と三吉との年齢とし相違ちがいは、三吉と正太との相違であった。この兄弟の生涯は、喧嘩けんかと、食物くいものの奪合と、山の中の荒い遊戯あそびとで始まったようなもので。
家:01 (上) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
食物くいものア江戸口で、おめえ塩の甘たっけえのを、江戸では斯う云ううめもん喰って居るからって、食物くいもなア大変八釜やかましい、鰹節かつぶしなどを山の様に掻いて、煮汁にしるを取って
真景累ヶ淵 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
はて、何処へ行ったかと見廻すと、犬はの柳屋の前にとまって、お葉から何か食物くいものを貰っているらしい。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)