逗子ずし)” の例文
兄妹は逗子ずしへ泳ぎに行き、友だちのところへ寄つたと見えてまだ帰らない。涌子夫人は夫に食事の世話をしつゝ、自分も食べ終つた。
蝙蝠 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
もう十二年ぜんである、相州そうしゅう逗子ずしの柳屋といううちを借りて住んでいたころ、病後の保養に童男こども一人ひとり連れて来られた婦人があった。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
冬が近づいて来る頃になって、私たちは慌てて山を引きあげ、逗子ずしにある或友人の小さな別荘にしばらく落ちつくことになった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
我々は始め逗子ずしを基点として出発する事に相談をきめていました。ところがその朝新橋へけつけるくるまの上で、ふと私の考えが変りました。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
東京近辺では、逗子ずし葉山はやま。千葉県では内房うちぼう地方、……その辺が、月五回の部分に当りますから、一番雷がすくないわけですね。
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
或小説家逗子ずしの海岸にて男女の相逢ふさまを描くや明月海の彼方かなたより浮び出で絵之島えのしまおぼろにかすみ渡りてなどと美しき景色をあしらひしに
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
東じゃ、品川から川崎続き、横浜、程ヶ谷までも知っていて対手あいてにし手がないもんですから、飛んで、逗子ずし、鎌倉、大磯ね。
式部小路 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
旅館できくと、彼は逗子ずしへ海水浴にでかけて不在だと言つた。死ぬ者は死ぬ。帰りを待つて会つてみても仕方がない。私はそのまゝ戻つてきた。
篠笹の陰の顔 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
勝平の鉄のようなかいなが何となく頼もしいように思えた。逗子ずしの停車場から自動車で、危険な海岸伝いに帰って来ることが何となくあやぶまれ出した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
翁は其出版を見ていささかよろこびの言をらしたが、五月初旬にはいよいよ死を決したと見えて、逗子ずしなる老父のもと粕谷かすやの其子の許へカタミの品々を送って来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
富士を高く見せてあだかも我々が逗子ずしの「あぶずり」で眺むるように見せるのはこの辺にかぎる。また筑波つくばでわかる。
武蔵野 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
熱海にお宮の松があり、逗子ずしには浪子不動がある。千葉県の富山には八犬伝の碑があり浅草の花屋敷には、半七塚を我々捕物作家クラブ員が建立した。
その汽車の中には逗子ずしや鎌倉へ出かける夫人や令嬢が沢山乗り合わしていて、ずらりときらびやかな列を作っていましたので、さてその中に割り込んで見ると、私はとにかく
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「その家なら、逗子ずしのトンネルの下の道を、飯島のほうへ、すこし行ったあたりです」
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
逗子ずしにある博士の別荘に召使いとして住み込んでいる時分に、ふと博士のたねはらんだのだということや、ある権門からとついで来た夫人の怒りを怖れてそのことが博士以外の誰にも
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
その人はある年の夏逗子ずしに出かけ、一人にて荒れ果てたる農家の座敷を借りていたそうだ。その家は寺と境を接し、一面に墓所と竹藪たけやぶに取り囲まれて、白昼でもさびしいほどである。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
明治三十五年の夏の末頃逗子ずし鎌倉へ遊びに行ったときのスケッチブックが今手許てもとに残っている。いろいろないたずら書きの中に『明星』ばりの幼稚な感傷的な歌がいくつか並んでいる。
海水浴 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
たった一人逗子ずし海風かいふうとコルドヴァの杏竹桃きょうちくとうとを夢みている、お君さんの姿を想像——畜生、悪意がない所か、うっかりしているとおれまでも、サンティマンタアルになり兼ねないぞ。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
と父親がもう承諾していたのには、新太郎君、少し気味きびが悪かった。しかしお許しの出た上は御意ぎょいの変らない中にと、早速店の方を休むことにして、逗子ずしの避暑宿へ問合せの手紙を出した。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
逗子ずし在、久木、岩殿観音。
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
武男が艦隊演習におもむける二週の後、川島家より手紙して山木を招ける数日前すじつぜん逗子ずしに療養せる浪子はまた喀血かっけつして、急に医師を招きつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
旅館できくと、彼は逗子ずしへ海水浴にでかけて不在だと言った。死ぬ者は死ぬ。帰りを待って会ってみても仕方がない。私はそのまま戻ってきた。
篠笹の陰の顔 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
聞くとともに、辻町は、その壮年を三四年、相州逗子ずしに過ごした時、新婚のかれの妻女の、病厄のためにまさに絶えなんとした生命を、医療もそれよ。
縷紅新草 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
勿体もったいねえから中央気象台にも教えてやろうか! と思わぬでもなかったが、いつかウソをいて、私を逗子ずしひでえ目に遭わせたうらみがあるから、止めにしてくれた。
雷嫌いの話 (新字新仮名) / 橘外男(著)
話は前へもどって、わたくしは七月の初東京の家に帰ったが、間もなく学校は例年の通り暑中休暇になるので、家の人たちと共に逗子ずしの別荘にき九月になって始めて学校へ出た。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
逗子ずしでも鎌倉かまくらでも、熱海あたみでも君のすきな所へって、呑気のんきに養生する。ただ人の金を使って呑気に養生するだけでは心が済まない。だから療養かたがた気が向いた時に続きをかくさ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
本文の筆を執る彼は、明治三十九年の正月、逗子ずしの父母の家で初めて葛城に会った。恰も自家の生涯に一革命をけみした時である。間もなく彼は上州の山にこもる。ついで露西亜に行く。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
熱海あたみには、お宮の松があり、逗子ずしには、浪子不動がある。浅草には、われわれ捕物作家クラブが建てた半七塚がある。京都や大阪には、浄瑠璃じょうるりや小説の主人公の墓が保存されているそうだ。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
枯草白き砂山のがけに腰かけ、足なげいだして、伊豆連山のかなたに沈む夕日の薄き光を見送りつ、おきより帰る父のふねおそしとまつ逗子ずしあたりのわらべの心、そのさびしさ、うら悲しさは如何あるべき。
たき火 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
四月の末になって、葉子は逗子ずしの海岸へ移ることになった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
あくる日武男はさらに母の保証をとり、さらに主治医をいて、ねんごろに浪子の上を託し、午後の汽車にて逗子ずしにおりつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
これが海軍の軍人に縁付いて、近頃相州の逗子ずしります。至って心の優しい婦人で、あたらしい刺身を進じょう、海の月を見に来い、と音信おとずれのたびに云うてくれます。
白金之絵図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
両親は逗子ずしとか箱根はこねとかへ家中うちじゅうのものを連れて行くけれど、自分はその頃から文学とか音楽とかとにかく中学生の身としては監督者の眼を忍ばねばならぬ不正の娯楽にふけりたい必要から
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
泉鏡花氏に、はじめて逢ったのは逗子ずしの海岸通りの避暑先だった。
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
逗子ずしの父母から歳暮せいぼ相模さがみの海のたい薄塩うすじおにして送って来た。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
本来ならこの散策子さんさくしが、そのぶらぶら歩行あるきの手すさびに、近頃買求かいもとめた安直あんちょくステッキを、真直まっすぐみちに立てて、鎌倉かまくらの方へ倒れたらじいを呼ぼう、逗子ずしの方へ寝たら黙って置こう
春昼 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
汽車停車場の掲示は皆英語で一等客車にはほとんど西洋人ばかりしか乗っていなかった。避暑地では軽井沢日光逗子ずし鎌倉あたりが西洋人向で立派な別荘は大抵西洋人の建てたものであった。
仮寐の夢 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
逗子ずしにいた時、静岡の町の光景さまが見たくって、三月のなかばと思う。一度彼処あすこへ旅をした。
雛がたり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
母子おやこ毎年まいとし八月になると鎌倉か逗子ずしかへ二、三週間避暑に行く。
寐顔 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
葉山一帯の海岸を屏風びょうぶくぎった、桜山のすそが、見もれぬけもののごとく、わだつみへ躍込んだ、一方は長者園の浜で、逗子ずしから森戸、葉山をかけて、夏向き海水浴の時分ころ人死ひとじにのあるのは
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私がかつて、逗子ずしに居た時分その魔がさしたと云う事について、こう云う事がある、丁度ちょうど秋の中旬はじめだった、当時田舎屋を借りて、家内と婢女じょちゅうと三人で居たが、家主やぬしはつい裏の農夫ひゃくしょうであった。
一寸怪 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
もっともなかなかの悪戯いたずらもので、逗子ずしの三太郎……その目白鳥めじろ——がお茶の子だから雀の口真似くちまねをした所為せいでもあるまいが、日向ひなたえんに出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)