そそ)” の例文
是の如く、観ずる時、まさに、縛字を一切の身分に遍して、その毛孔中より甘露を放流し、十方に周遍し、以て一切衆生の身にそそがん。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
貪欲界どんよくかいの雲はりて歩々ほほに厚くまもり、離恨天りこんてんの雨は随所ただちそそぐ、一飛いつぴ一躍出でては人の肉をくらひ、半生半死りては我とはらわたつんざく。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
碌々ろくろく飲みもせずに提げて来た石油缶の水をことごとく彼の積み上げた石にそそいで甲武信岳の霊に手向け、四時頂上を辞して下山の途に就いた。
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
秋らしい光線が、枝葉のややえかかった銀杏いちょうの街路樹のうえに降りそそぎ、円タクのげて行く軽いほこりも目につくほどだった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
……彼の歩いてゆく前面から冬の斜陽がたっぷり降りそそぎ、人通りは密になっていた。省線駅の広場の方まで来ていたのだ。
火の唇 (新字新仮名) / 原民喜(著)
車夫は白い肌衣はだぎ一枚のもあれば、上半身全く裸裎らていにしているのもある。手拭てぬぐいで体をいて絞っているのを見れば、汗はざっと音を立てて地上にそそぐ。
余興 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
忠君の血をそそぎ愛国の血を流したる旅順には凶変をかたどる烏の群れが骸骨の山をめぐって飛ぶ。田吾作も八公も肉体の執着を離れて愛国の士になった。
霊的本能主義 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
植木屋の娘達は、いずれも素足に尻端折しりはしょりで、威勢よく井戸の水をんでいるのもあれば、如露じょうろで花にそそいでいるのもあった。三吉は自分の子供にった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その面へ水をそそいでやっとよみがえり、何と悔いても跡の祭と諦め、これというもわれ尊公を智馬と知らずにくみ虐げた報いですと、馬の足を捧げ申謝して去った。
秋の陽は、澄み切った青い空からあたり一面に、サンサンと万遍なく降りそそいでいる——だから夢ではない。
火星の魔術師 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
然れども思え、いたずらに哭してどうして、墓前の花にそそぎ尽したる我が千行せんこうなんだ、果して慈父が泉下の心にかなうべきか、いわゆる「父の菩提ぼだい」をとむらい得べきか。
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
二三分がむなしく流れた。しめやかに降りそそいでゐた戸外の雨の音が、はじくやうに私の鼓膜に響いて來た。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
明治文士のそそいだる血は今諸君杯中はいちゅう葡萄酒ぶどうしゅと変じたのである、明治文士は飯の食へぬ者ときまつて居たが、今は飯の食へぬ者は文士になれといふほどになつた
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
彼女は、それを一人一人蘇らせ、かぞえ上げ、混ぜこぜにし、涙をそそぐのである。聞いているとなんのことやらわからなくなる。話が長すぎる。それに、陰気くさい。
深夜人無きに乗じてその堤防を破つて、故意に酸い水を淡水の川にそそいだものがあつた。その酸い水が混じると、魚の族は真黒になるほど群がつて川下へ川下へとくだる。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
天然の沙漠は水をさえこれにそそぐを得ばそれでじきに沃土よきつちとなるのであります。しかし人間の無謀と怠慢とになりし沙漠はこれを恢復するにもっとも難いものであります。
雨はまたひとしきり烈しく降る。その降りそそぐ音、峰から流れ落ちて来る水の音、雷鳴はまだ止まない。車中の者は身を縮めて晴れるのを待つばかり。話しすら存分には出来ない。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
同じく七日の未明に、男女家々の前を流るる小川の水に浴し、水を頭にそそぎかけつつ
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼は手桶の水を一杯ずつ柄杓ひしゃくんで母の墓石にそそいだ。青い碑を伝って流れ落ちる水が、音も立てずにふかふかした赤土に吸込まれてゆくのを見て、浅田はなみだぐましい心持になった。
秘められたる挿話 (新字新仮名) / 松本泰(著)
聖体受領も終つていよいよ死を待つばかりといふときに、光彩を放ちながら病床に立ち現はれて、日本に渡つて天主のためにその生血をそそぐ誓を立てるなら病気は平癒するであらうと言つた。
一日有隣舎の諸生が益斎先生の蔵書を庭上にさらして、春濤にその張番はりばんをさせたことがあった。春濤は番をしながらもしきりに詩を苦吟していたので、驟雨しゅううそそぎ来るのにも気がつかなかった。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
満山隠然として喬木きょうぼく茂り、ふもとには清泉そそげる、村の最奥の家一軒そのあとに立ちて流れには唐碓からうすかけたる、これぞ佐太郎が住居なりき、彼は今朝未明に帰り来たり、夜明けたれど外にも出でず
空家 (新字新仮名) / 宮崎湖処子(著)
記する有り 庚申山こうしんやまけみす幾春秋 賢妻生きてそそぐ熱心血 名父めいふ死して留む枯髑髏 早く猩奴しようど名姓を冒すを知らば まさに犬子仇讐を拝する無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
いたく歎き にがい涙をそそいでも
決闘 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
彼が最愛の妻は、その一人を守るべき夫の目をかすめて、いやしみてもなほ余ある高利貸の手代に片思の涙をそそぐにあらずや。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
「白いものを着たものは木蔭へ隠れよ」という声に、皆はぞろぞろ藪の奥へって行く。陽は燦々さんさんと降りそそぎ藪の向うも、どうやら火が燃えている様子だ。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
笹村は自分の体を流れている悪い血を、長いあいだそそぎかけて来たようにも思えて、おそろしくもあった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
日本が数箇の強国を打ち倒し第十四回平和会議の紀念として建てられたる万国平和の肖像は屹然きつぜんとして天にそびえ、日々月々出入する幾多の船舶の上に慈愛の露をそそぎ居れり。
四百年後の東京 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
飛騨山中の寒いあした、哀れは同じ片思いの男と女は、温かい涙を形見の花にそそいで別れた。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
た捨吉は庭土を踏んで井戸の方から水の入った手桶を提げて来た。茶の間の小障子の側には乙女椿おとめつばきなどもある。その乾いた葉にも水をくれ、表門の内にある竹の根にもそそぎかけた。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
沙翁シェキスピヤ好きの人は熟知の通りギリシアの美少年アドニス女神ヴェヌスにへいされしをその夫アレース神妬んで猪と現われ殺した時ヴェヌス急ぎいて蜜汁をその血にそそぐとたちまち草が生えた
果ても知れず深い千古の谿にふりそそぐ雨の音、黙々として谿を巻き林を覆うて浮動している霧の姿、圧すべき人類もない深山の中で、人などは度外に置いて、霧と雨とが勝手に動いているのだ。
木曽御嶽の両面 (新字新仮名) / 吉江喬松(著)
その下に Vierwaldstätterヴィルワルトシュテッテル Seeゼー の一部が見える。この湖は此処ここから西南の方に章魚たこの如くにひろがっている大湖で、それにそそぐ川などが糸のように細くなって見えている。
リギ山上の一夜 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
深いぶなの純林である。林の奥では蝦夷春蝉が雨の降りそそぐように鳴いている。初夏の強烈な日光も青葉若葉の蔭に吸い込まれて、地面まではとどかない。陰湿な気がうら淋しくあたりをめている。
渓三題 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
夢幻織シャムルーズのワンピースが、まるで塑像をみるように、ぴったりと体の線を浮出さしていた、そして、その艶々と濡れたようなつぶらな瞳を、ジッと私にそそぎかけていた。しかし一ト言も口をきかなかった。
白金神経の少女 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
亡国の歌は残つて玉樹空し 美人の罪は麗花と同じ 紅鵑こうけん血はそそ春城しゆんじようの雨 白蝶魂は寒し秋塚しゆうちようの風 死々生々ごう滅し難し 心々念々うらみ何ぞきわまらん 憐れむべし房総佳山水 すべて魔雲障霧の中に落つ
八犬伝談余 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
広縁のゆっくり取ってある、ひさしの深い書院のなかで、たまに物を書きなどしていると、青蛙あおがえるが鳴き立って、窓先にある柿や海棠林檎かいどうりんごの若葉に雨がしとしとそそいで来る。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
極めて安心に極めて平和なる曙覧も一たび国体の上に想い到る時は満腔まんこうの熱血をそそぎて敬神の歌を作り不平の吟をなす。慷慨淋漓こうがいりんり、筆、剣のごとし。また平日の貧曙覧に非ず。
曙覧の歌 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
哀悼あいとう愁傷、号泣慟哭、一の花に涙をそそぎ、一の香にこんを招く、これ必ずしも先人に奉ずるの道にあらざるべし。五尺の男子、空しく児女のていすとも、父の霊あによろこび給わんや。
父の墓 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
蹈居ふみゐる土も今にやくづれなんと疑ふところ、衣袂いべい雨濃あめこまやかそそぎ、鬢髪びんぱつの風うたた急なり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
四辺あたり、には厚い霧が、小雨のように降りそそいでいた。
腐った蜉蝣 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
庭には松や柘榴ざくろの葉が濃く繁って、明るい小雨がしとしととそそいでいた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
百千人の生血をそそぎ掛けたような真赤な岩もあった。
飛騨の怪談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかし彼女は、矢張り川島に眼をそそいだまま
植物人間 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
文壇への更生をはかろうとして心血をそそいでいたもので、その衷情を訴えられてみると、庸三も一概に見切りをつける気にはなれず、打ちめされながらもまた起きあがろうと悶踠もがいている彼女に
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)