とう)” の例文
旧字:
国の開鎖かいさ論を云えばもとより開国なれども、はなはだしくこれを争う者もなく、唯とうの敵は漢法医で、医者が憎ければ儒者までも憎くなって
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それにもかかわらず、とうの名探偵は、いつさめるともなく、昏々こんこんと眠っている。眠った上にご丁寧ていねいにも身動きもできずしばられている。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
蛾次郎が、くるくるいをして逃げだしたのも道理、それは、あまたけからおりてきたとうの卜斎、すなわち上部八風斎かんべはっぷうさいであった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのとおりしんぶんに書いたら、どんなにか読者にうけることでしょうが、わたしはじかにかんけいのあるとうのその人だけに手紙をやりました。
ゆえに右のごとき月給の増減によって理想の例に用うるはとうを得ないことで、理想といわゆる成功とは必ずしも同一方面に共存するものでない。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかしそれは、十ドル支払ったとうざのことであって、やがて彼はその十ドルが自分の生命を買った金であったことに気がつく日が来るはずである。
恐竜島 (新字新仮名) / 海野十三(著)
今の事業多き時代に生まれながら問題の大小をもわきまえず、その力を用いるところとうを失えりという人あらば如何いかん
遠野物語 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
橘屋たちばなや若旦那わかだんな徳太郎とくたろうが、おせんの茶屋ちゃや安心あんしんむねでおろしていた時分じぶんとうのおせんは、神田白壁町かんだしろかべちょう鈴木春信すずきはるのぶ住居すまいへと、ひたすら駕籠かごいそがせた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
不治どころかなおし方さえ知ってみれば、とんとん拍子にくなるばかり……という強い信念を、とうの弥生をはじめ多門も持ち得るようになったことだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
申すまでもなく、二人がねらとう的先まとさきを通りかかる前のは薬屋源太郎で、後のはお豊であります。
葉子は古藤にそれだけの事をいうと、今度はとうの敵ともいうべき五十川女史に振り向いて
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
手前は主人の供をしながら、とうあだ見遁みのがすとは怪しからん奴だから腹を切れと仰しゃるか、手討にすると仰しゃるか知れませんが、何と仰しゃってもそれまでと覚悟を致して
何しろとうのこいさんは、今朝から肉体的な苦痛の方が激しいので精神的苦痛を顧みる暇はなかったし、ようよう苦痛がしずまってからも、気落ちしたようにガッカリしてしまっているのである。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ロイドレ街二十三番館に住む生田と云える男こそ吾々のとうかたきなり
血の文字 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
実はとうを得たものではないことを知っていなければならない。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
「さも喧嘩の相手があるような口振くちぶりだね。とうてきは誰だい」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
愛も憎みもとうを得る
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ちょうど、その途方もない相談が成り立ったところへ、それとも知らぬ、とうの早苗さんが近づいて、にこやかに声をかけた。
黒蜥蜴 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
子弟の教育を司る学者をして政事に参与せしむるは国の大害にして、徳川の制度・慣行こそとうを得たるものと信ずるなり。
学問の独立 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「申しわけない。とうの忍ノ大蔵は、はやこの附近でないとみえる。われわれも退散いたそう。いやお騒がせつかまつッた」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そのことについては、吾が友人帆村荘六も大いに知りたがっていたところだが、或る時とうの丘田医師から聞きだしたといって、ひそかに話してくれた。
ゴールデン・バット事件 (新字新仮名) / 海野十三(著)
その時分じぶんとうのおこのは、駕籠かごいそがせて、つきのない柳原やなぎはら土手どてを、ひたはしりにはしらせていた。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
これあるいは成功であるかも知れぬ。しかしながら物質的目的を達するをもってただちに理想とするごときははなはだとうを得ないことではなかろうか。欲心よくしんと理想とはちがう。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
緩急停発ていはつともに不即不離ふそくふりのまま、どこまでもどこまでもと練っていくところ、人が見たらずいぶんおもしろい図かも知れないが、とうの与吉の身になると文字どおり汗だくの有様で
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
とうの自身の経歴であったと同様に体験している。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
溺死人男年齢三十歳より四十歳の間とう二十二年七月五日区内築地三丁目十五番地先川中へ漂着仮埋葬済○人相○顔面長おもながかた○口細き方眉黒き方目耳尋常左りの頬に黒あざ一ツありかしら散髪身長みのたけ五尺三寸位中肉○傷所数知れず其内大傷は
無惨 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
さっそくとうの道誉にそれはつたえられ、道誉は警固がしらの武者に、さくじょうけさせて、すぐお囲いの内へ伺候した。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが、とうの怪人物でないことは確かだ。もし彼なれば、明智の侵入を察しないはずはなく、敵に悟られるような物音を立てる気づかいはないからだ。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そうして委細承知いさいしょうちで救いの手を伸ばしておいて、知らぬ顔して帰って行く金山寺屋の音松のうしろ姿に、思わずを合わせた壁辰とお妙——さては、二度の捕繩をあやうく逃れたとうの神尾喬之助
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
いずれの見世みせやすむにしても、とう金的きんてきはかぎのおせんただ一人ひとり
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
いやしくも人格を有するものには、経済学のおしえる労銀論ろうぎんろんは決してとうを得たとはいわれぬことが多い。ことに使われる人は、その不当なることを適切に感ずるから、世の中の不満は多くこの点より起こる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
武者はどうでもよいが、とうの敵たる穴山入道あなやまにゅうどうちもらしたのは、かえすがえすもざんねんであった。いったいきゃつはどこにうせたか」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
檻の中では、そういう椿事をき起こしたとうの虎さえも、あっけにとられて、むしろ恐れをなして、一方の隅へ逃げ込んだまま、身をすくめてしまった。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「じつは、河内の水分みくまりへまぎれ入ッて、とうの河内どのへ近づくにも、さまざま、心をくだいたことにございましたが」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうの早苗さんは可哀そうに、奥の一間、例の鉄格子を張った部屋に、監禁同然の身の上となった。
黒蜥蜴 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
とうの丹三郎だけでなく、丹党の武士は、譜代ふだいでもない自分らの手に旗が預けられたことを誉れに感じたようだった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうの係員のほかには気づく者はありゃしないよ
黒蜥蜴 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
けれどとうの竹童には、末おそろしくもなんにもない。こんな鍛練たんれんは、果心居士かしんこじのそばにおれば、のべつまくなしにためされている「いろは」のいの字だ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と聞いていたが、しかしとうの脇屋義助は、いつまで見えはしなかった。のみならずその夕、義貞のたちでは、いよいよにぎやかな端午たんご遊びの笛太鼓だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうの金吾と月江様とが熱海において格別な親しみを作っていたわけでもありませんので、次郎があれから後の金吾の消息を知っているはずもないのでした。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さらにとうの直義は、今後、政治の面からは一切身を退く。そして鎌倉から尊氏の嫡男義詮よしあきら(幼名、千寿王)を呼んで直義の後任にすえる、という条項じょうこうだった。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義貞こそがとうの敵だ。そしてこの綸旨に敵対する義貞は、やはり朝敵逆賊の名をまぬがれえないことになる。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
現に、私事は、武運つたなく、一名もとうの敵には会いませんでしたが、敵のうちにひとり一少年あって、これは余程の働き、不愍ふびんとは存じながら、やむなく一命を
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところで、とうの正成は、なお赤坂城へも姿をみせてはいなかった。すべては水分みくまりたちのおくから弟の正季、祐筆の安間了現、久子の兄松尾季綱すえつならにさしずしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とうの高氏も、めったにちょうに出ることもないらしい。社交上のやむない向きへは、執事のこう師直もろなおをやり、公庁の時務には、もっぱら弟の直義ただよしが出むいて事にあたっている。
しかし、なんともしかねるのは、これまでに、とうの宮を、自分らの盟主かのごとく「宮将軍、宮将軍」と、かつぎあげてきた一連の武将たちのこのさいの態度であった。
とう叡山えいざんはおろか、日本四ヵ所の戒壇かいだんにおいても、まだかつて、範宴はんえんのごとき童僧が、伝法授戒でんぽうじゅかいをうけたためしは耳にいたさぬが、そも、座主には何の見どころがあって、敢て
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「しかし、あとで話を承ると、それはとうの怪我人と何らの縁故なき旅人どもであったそうで、あとに残って付添うているのは、まだ年のわかい次郎とよぶしもべひとりでございます」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義詮のそばにいた土岐頼康、細川頼春、仁木義長、義氏、赤松貞範さだのりなども、帰国ととなえて、次々と都のそとへ去っていた。——つづいてとうの足利義詮も、陣装して、何の故か
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
得て、今日よりはとう吉水にとどまって、念仏門の一沙弥いちしゃみとなって修行をし直すことに決めた
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)