“ちか”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:チカ
語句割合
70.5%
10.8%
6.8%
1.9%
地下1.7%
1.5%
1.2%
1.2%
庶幾1.2%
治下0.6%
0.4%
0.4%
誓約0.2%
値賀0.2%
0.2%
千賀0.2%
0.2%
昵懇0.2%
知訶0.2%
0.2%
致華0.2%
近村0.2%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
太古たいこ遺跡ゐせき發掘はつくつに、はじめてくだしたのは、武藏むさし權現臺ごんげんだいである。それは品川しながはたくからきはめてちかい、荏原郡えばらぐん大井おほゐ小字こあざこと
そう思うと、ぼくは実際たまらなくなるのだ。ぼくはちかっていうが、あの当時、道江にとくべつな関心をもっていたわけではなかった。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
後に白石長忠は『社盟算譜』を作ったが、これもまた神社の前にちかったところの算題集ということであり、『神壁算法』というのと同じい。
芸術と数学及び科学 (新字新仮名) / 三上義夫(著)
見合せて居ても、斯うしてちかしくするのは昨今だ。まあ、いつか一度、君とゆつくり話して見たいもんだねえ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
「たしかにそうだよ。んでから、地下ちか二人ふたりは、永久えいきゅう幸福こうふくをもとめて、約束やくそくをはたしたんだね。」と、博士はかせこたえました。
うずめられた鏡 (新字新仮名) / 小川未明(著)
渡る日の影も隠ろひ、照る月の光も見えず、昼は昼の威を示し、夜は夜の威を示す、富嶽よ汝こそ不朽不死にちかきものか。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
そのほか、徳川古参の重臣の子たちを、質子ちしとして、大坂へ送る以上、これは明らかに、敗者のちかいだ。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
此の確信ある絶望は、一種の愉悦でさえある。それは、意識せる・勇気ある・楽しさを以て、以後の生を支えて行くに足るもの——信念にちかいものだ。快楽も要らぬ。インスピレーションも要らぬ。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
若し夫れ足尾の峯を攀ぢ渡瀬わたらせの流を下るの後は髣髴として「足尾鑛毒問題」なる一個の面影を描くに庶幾ちかからんか、(二月十五日夜佐野町にて木下生)
佐野だより (旧字旧仮名) / 木下尚江(著)
三家か将軍家のほかは、似せても用いられなかった葵の紋に、こういう畏敬とも恐れともつかない衝動をうけるのは、徳川治下ちかに土下座をしつけて来た一般民には生れながらの習性だった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人はすべからく死を畏れざるの理を死を畏るゝの中に自得じとくすべし、性にかへるにちかし。
監察御史かんさつぎょし葉希賢しょうきけん、臣が名はけん応賢おうけんたるべきことうたがい無しともうす。おのおの髪をえてちょうひらく。殿でんに在りしものおよそ五六十人、痛哭つうこくして地に倒れ、ともちかってしたがいまつらんともうす。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
誓約ちかった仲! ……よこしまの恋などではござりませぬ! ……それを横恋慕などと! ……
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
この妾の心! ああやっぱり恋かしら? ……恋なら恋でままよ! その恋ひたむきにとげるまでよ! ……ほざいたな小娘! 頼母様とは将来を誓約ちかった仲と! ……まことなりや
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
肥前値賀ちかしま美々良久みみらくの崎などもまさしくその一例であるが、是とよく似た構成をもつものは、『倭名鈔わみょうしょう』以前からの諸国の郡郷名に多い。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ちからをこめてかね撞くや
全都覚醒賦 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「山勢千賀ちか子さま、あなたはそこでなにを読んでいらっしゃいますの」
だいこん (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
彌右衞門め腹ア立って、彼奴あいつは化物だんべえから熊と一緒に撃つべえと云うだ、そんだから己アあとでまたおめえにおっちかられるとつまんねえだから、一走ひとッぱしり往って喜右衞門どんに聞いてべえと云って
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
またの名は大多麻流別おほたまるわけといふ。次に女島ひめじま二一を生みたまひき。またの名は天一根あめひとつねといふ。次に知訶ちかの島二二を生みたまひき。またの名はあめ忍男おしをといふ。次に兩兒ふたごの島二三を生みたまひき。
一四二烈婦さかしめのみぬしが秋をちかひ給ふを守りて、家を出で給はず。翁も又一四三あしなへぎて百かたしとすれば、深くてこもりて出でず。
著者の甥の致華ちかという者が淮南わいなんの分司となって、四川しせん※州きしゅう城を過ぎると、往来の人びとが何か気ちがいのように騒ぎ立っている。
是からねえ盆過ぼんすぎになると、近村ちかの者が湯治にめえりますので、四万の方へくと銭もかゝって東京のお客様がえらいというので、大概ていげい山口へ来て這入へえる、此処が廿年さきには繁昌したものだアね
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)