ある)” の例文
馬またこの通りなるに、生まれ付いて駱駝流にあるく馬があったとは眉唾物まゆつばものだろう。しかし教えさえすればさように歩かしむるを得。
お作は柳町まで来て、最中もなかの折を一つ買った。そうしてそれを風呂敷に包んで一端いっぱし何かむくいられたような心持で、元気よくあるき出した。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
かの「あるき筋」とか、「掃除筋」とか、「番太筋」とかいう筋のものの中には、かくの如くにして起ったのが少くなかろうと解せられる。
自分は何となく少しテレた。けれども先輩達は長閑気のんきに元気に溌溂はつらつと笑い興じて、田舎道いなかみちを市川の方へあるいた。
野道 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
さうして富山みたやうなあんな奴がまあ紛々然うじやうじやと居て、番狂ばんくるはせを為てあるくのですから、それですから、一日だつて世の中が無事な日と云つちや有りは致しません。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
だから無暗むやみと鼻をぴくぴくさしてうしこげにおいいであるく、その醜体ざまったらない!
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
その頃まだ給仕だった笹尾はよく彼等のために走りあるきをした。……
過渡人 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
にんにくを求めるとねぎ、豆を求めると麦をくれるので訳を尋ね、哀しみ狂して王宮へ帰りののしあるく、后怪しんで訳を聞き息切れるまで踊り廻る
お袋は頭が痛むと言って結び髪のまま氷袋をつけて奥で寝ていたし、芳太郎もそこらで自暴酒やけざけを飲んであるいて家へ寄りつきもしなかった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
徳川時代においても事実駆使に任じて「あるき筋」と呼ばれたものは、村方において間人まうと百姓などよりも下位に置かれた。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
道徳高き上人の新に規模を大うして寺を建てんと云ひ玉ふぞと、此事八方に伝播ひろまれば、中には徒弟の怜悧りこうなるが自ら奮つて四方に馳せ感応寺建立に寄附を勧めてあるくもあり
五重塔 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
船が平気だと、支那しなから亜米利加アメリカの方を見物がてら今度旅行を為て来るのも面白いけれど。日本の内ぢや遊山ゆさんあるいたところで知れたもの。どんなに贅沢ぜいたくを為たからと云つて
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
インドまた香具売り兼幻師てじなし軽業師かるわざしで歌舞乞食しあるき、その妻女艶美でしばしば貴人に御目留まる賤民乾闥婆と呼ばるるあり。
小野は新聞紙を引き裂いては、ほこりかぶらぬように、御馳走ごちそうの上に被せてあるいていた。新吉は気がそわそわして来た。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
石橋いしばしわたしとがかはる/″\める事にして、べつ会計掛くわいけいがゝりを置き、留守居るすゐを置き、市内しない卸売おろしうりあるく者をやとそのいきほひあさひのぼるがごとしでした、ほかるゐが無かつたのか雑誌もく売れました
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
道徳高き上人の新たに規模を大きゅうして寺を建てんと云いたまうぞと、このこと八方に伝播ひろまれば、中には徒弟の怜悧りこうなるがみずから奮って四方にせ感応寺建立に寄附を勧めてあるくもあり
五重塔 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
水を欲しい時のみ地へ下り直立して歩む。本邦の猴など山野にあれば皆伏行し、飼って教えねば立ってあるかず、猩々なども身を斜めにしていざり歩く。
春になってから笹村は時々思い立っては引き移るべき貸家を見てあるいた。お銀の体をおくのに、この家の間取りの不適当なことも一つの原因であった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
さて雑誌は益〻ます/\売れるのであつたが、会計くわいけい不取締ふとりしまりひとつには卸売おろしうりあるかせた親仁おやじ篤実とくじつさうに見えて、実ははなはふとやつであつたのを知らずにために、此奴こいつ余程よほどいやうな事をれたのです
硯友社の沿革 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
山海経せんがいきょう』に招揺の山に獣あり、その状ぐう(尾長猿)のごとくして白耳、伏してあるき人のごとく走る、その名を狌々という。人これを食えば善く走る。
汽車から降りて、その辺の郊外を散歩していた笹村の足は、自然ひとりでに、その家の附近へ向いて行った。そしてそんなような家を、あれかこれかとそちこちのぞいてあるいた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
今一人狼窠より燻べ出された児は年はるかにわかかったが夜分ややもすれば藪に逃げ入りて骨を捜し這いあるく、犬の子のごとく悲吟するほか音声を発せず
西片町界隈かいわいは、古いお馴染なじみの町である。この区域の空気は一体に明るいような気がする。お作はかなめ垣根際かきねぎわあるいている幼稚園の生徒の姿にも、一種のなつかしさを覚えた。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
全体水蛇は尾が海蛇のようにひらたからず、また海蛇は陸で運動し得ず、皮を替えるに蜥蜴同然片々に裂け落ちるに、水蛇は陸にも上りある全然まるきり皮を脱ぐ。
「新ちゃんは、いつのまにか私の莨入たばこいれを持ってあるいてますよ。」
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
既に走りあるく以上は、何処かに隠れた足があるのであろうと疑う人随分多く、そんな事があるものかと嘲る人も、蛇がどうして走り行くかを弁じ得ぬがちだ。
「それでもちっとは東京の町があるけるようになったかい。」
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それから俗に小栗の碁盤の曲乗りなど伝うるに似た事は、前項でインドの智馬が蓮花を蹈んであるいたのと、広嗣の駿馬が四足を合せて、一のくいの頂に立ったのとだ。
四肢であるく事上手なと生肉を嗜むところから見ると習慣の久しきほとんど天性と成したと見える、孤児院に養われて後も若き狗様いぬよううなるなど獣ごとき点多しと載せた。
さて支那にも僧など暇多い故か、観察のくわしい人もあって、後唐の可止てふ僧托鉢して老母を養いあるきながら、青竜疏せいりょうそを誦する事三載みとせ、たちまち巨蟒うわばみあって房にあらわる。
遠慮なく田畑に入りあるいたから、穀精牛馬形を現わすとさえ信ずる処あり、を苅る時、兎、雉等が苅り詰められて最後の一株まで残りかくるるが、それも苅られて来り出づるを
蜥蜴直ちに群集を押しくぐり、椰樹やしのきに登って豚の背に躍び下りると、豚前脚を地にけた、それより豚が四脚、人は直立してあるく事になったという(ラツェル『人類史ゼ・ヒストリー・オヴ・マンカインド』英訳、一)
上世今のごとく田畑を取り囲わなんだ時には、諸般の動物自在にこれに入りあるき得た。
フィジー島では、地震神の使物を大蜥蜴とし、マオリ人は蜥蜴神マコチチ、人を頭痛せしむと信ず。ニューヘブリデスの伝説に、造物主初め人を四脚で、豚を直立してあるかしめた。
巨人に根を肩にさせ自分は枝のまたに坐っているのを巨人一向気付かず一人して大木を担げあるいたのでつかれてしまった、それから巨人の家に往って宿ると縫工夜間寝床に臥せず室隅に臥す
馬をう者厩中にこれをえばく馬病を避く、故に胡俗こぞく猴を馬留ばりゅうと称す、かたち人に似、眼愁胡のごとくにして、頬陥り、けん、すなわち、食をかくす処あり、腹になく、あるくを以て食を消す
わが邦の今も小児のみか大人まで蟹の両眼八足を抜いて二蛪つめのみであるかせたり蠅の背中に仙人掌サボテンとげを突っ込みのぼりとして競争させたり、警察官が婦女を拘留して入りもせぬ事を根問ねどいしたり