“間人”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
はしひと30.0%
まうと20.0%
かんじん15.0%
はしびと10.0%
まひと5.0%
たいざ5.0%
もうと5.0%
ハシヒト5.0%
ハシビト5.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
太子の御母間人はしひと太后が崩御になり、その明年即ち推古天皇の三十年正月二十二日に、太子が御病気になられて、食事をよろこび給わず、太子の正妃
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
いわゆる散所法師原を、間人まうと在家人ざいけにんとともに使役しているのである(間人のことは他日本誌上で詳細発表したいと思っている)。
俗法師考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
然るにひとり吾輩の如き世間無用の間人かんじんにあつては、あたかも陋巷の湫路今なほ車井戸と総後架そうごうかとを保存せるが如く、七夕たなばたには妓女と彩紙いろがみつて狂歌を吟じ
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そしてハチヤは実にみずからその土師の掌る葬儀の職に従事した土師人で、真の意味における間人はしびとと云ってしかるべきものであった。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
中間のことをハシという様になったのは、かえって土師人が間人まひとであることから導かれたので、ハシはけだしハシタ(ハシヒトすなわちハシトの転訛)の略であると信ずる。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
京都府竹野郡間人たいざのある漁師の話によると、昭和二年三月七日丹後地震当日の朝、サバが水面上に跳ねるのを目撃したと言う。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
ことに徳川時代においても、行筋あるきすじと言われた古代駆使部の亜流の輩が、往々にして間人もうと階級に置かれた事は、これを裏書きするものと言ってもよいのである。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
(土師は波爾志なるを、爾を省きて云ふときは、志を濁りて波自と常に云ふを此御名に「間」字を借りて書けるを以て見れば、志を清みても言ひけん。)かくてこの御名の間人ハシヒトは、御乳母の姓なり。
間人考 (新字新仮名) / 喜田貞吉(著)
一例は万葉集巻一の初めの方の、「中皇命ナカツスメラミコト使間人ハシビト連老ムラジオユ歌」である。なぜ、間人老の名を出したのか。理由のない事である。
相聞の発達 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)