蝦夷えぞ)” の例文
防ぐにありまして、今日のままにて打ち捨て置きましたならば、カムチャッカの者は蝦夷えぞと合し、蝦夷もやがてはロシアの勢力に……
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
また見よ、北の方なる蝦夷えぞの島辺、すなわちこの北海道が、いかにいくたの風雲児を内地から吸収して、今日あるに到ったかを。
初めて見たる小樽 (新字新仮名) / 石川啄木(著)
安政二年乙卯みう夏、仙台鳳谷小野寺謙刊行の蝦夷えぞ地図をみると、太平洋岸の内地からは下北半島の突端大畑港と佐井港から函館へ
和唐内はやはり清和源氏さ。なんでも義経が蝦夷えぞから満洲へ渡った時に、蝦夷の男で大変がくのできる人がくっ付いて行ったてえ話しだね。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
遥々はるばる我を頼みて来し、その心さえ浅からぬに、蝦夷えぞ、松前はともかくも、箱根以東にその様なる怪物ばけものすませ置きては、我が職務の恥辱なり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
打払令、外国の来迫に対して何かあらん。天保二年には、異船(露人?)東蝦夷えぞを侵せり、同八年には、英船浦賀湾に入れり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
蝦夷えぞの地、すなわち北海道の一角に、しばらく船をつけて、あすこの一角に開墾の最初のくわを打込むということでありました。
かの大納言にまで進んだ有名な征夷大将軍の棟梁坂上田村麿も、少くとも昔の奥州の人は蝦夷えぞ仲間だと思っておりました。
それは北蝦夷えぞの一番ふるい村を意味していた。あるいは、蝦夷本島の北海道から『越して来たアイノの村』の意であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
変化の多い方が更に面白おもしろいだろうと思ったからである。物語の舞台も蝦夷えぞ奥州おうしゅう、関東、関西、中国、四国、九州と諸地方にわたるよう工夫した。
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
さ候えば露国を防ぎ候に格別の便たよりと相成り申すべく候。英国は地続き満州よりも、蝦夷えぞの方を格別に望みおり申し候。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
蝦夷えぞがこの地方を占領した昔から、特に後年神を祭るべき磯崎ばかりに、椿が自然天然に生育したものだと、論断する必要は少しもないのである。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
北は蝦夷えぞの福山から南は九州薩摩さつまにわたる広汎な顔触れなので、いちどお国自慢が始まるとずいぶん珍しい話が多い。
蕗問答 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
蝦夷えぞの測量を終ってから、忠敬は更に日本全国の測量を志し、それから実に十八年の長い間到るところに旅してこの大きな仕事を果したというのは
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
つぎに、東山道に反抗事件がおこった。つづいて蝦夷えぞが反抗した。人民は天皇に帰服していなかったことを、こうした事実が、はっきり示している。
「その岡倉殿は、数ヵ月まえに、幕府のおいいつけに依って、蝦夷えぞ松前の漁場公事くじのお調べに出張中でございます」
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
第十二代景行けいかう天皇の御代になると、朝廷の稜威りようゐは国内に於ける群小の土豪どもを悉く平定せしめて、たゞ西に熊襲くまそ、東に蝦夷えぞの二族を残すだけになつた
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
竹渓が「好んで辺事を研覈した」と拙堂の言っているのは、思うに蝦夷えぞ地の守備と開拓の事についてであろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鮏は今五畿内西国には出す所をきかず。東北の大河の海につうずるには鮏あり、松前蝦夷えぞもつとも多し。塩引として諸国へ通商あきなふは此地に限る。次には我が越後に多し。
蝦夷えぞであろうと、千島であろうと、命が助かるならば、どこでも構わぬ、命だけは何としても惜しい」
蝦夷えぞ富士の稱ある後志羊蹄山しりべしやうていざん、マクカリヌプリが麓まで眞ツ白になつたのは、二三日前のことだ。札幌市外に遠く見える山々も、もう、いつのまにか一面に白くなつた。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
東京博物館で私は、蝦夷えぞで発見され、古代アイヌの陶器とされている、有史前の陶器若干を見た。
そのみづちが仏国のドラク同様変遷したものか今日河童を加賀、能登でミヅチ、南部でメドチ、蝦夷えぞでミンツチと呼ぶ由、また越後えちごで河童瓢箪ひょうたんを忌むという(『山島民譚集』八二頁)。
親の金を千両いたぶったのは、むろん高飛びの路銀。——蝦夷えぞへでも飛ぼうと思ったところを、とうとう運のつきに、だんなさまのお目にかかってしまったしだいでござります。
おいらァ、このみちへかけちゃ、江戸えどはおろか、蝦夷えぞ長崎ながさきはてっても、ひけはらねえだけの自慢じまんがあるんだ。ねえ、かみはこのとおり、一ぽんのこらずきてるんだから。……
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
それに出羽でわと名づけた地域をふくめ、「奥羽おうう」の名でも呼ばれました。昔はえびす即ち蝦夷えぞが沢山住んでいた地方で、方々から出てくる石器や土器がその遠い歴史を物語ってくれます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
悉く惡い蝦夷えぞどもを平らげ、また山河の惡い神たちを平定して、還つてお上りになる時に、足柄あしがらの坂本に到つて食物をおあがりになる時に、その坂の神が白い鹿になつて參りました。
荒雄川の急流を隔てて北方の蝦夷えぞに備えたのであろう。後に、伊達正宗の最初の居城、臥牛がぎゅうの城閣がこの丘の上に組まれ、当時の城閣を偲ばせる本丸の地形や城郭の跡が今でも残っている。
荒雄川のほとり (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
みちのくのそとなる蝦夷えぞそとぐ船よりとほく物をこそ思へ (佐久間象山)
愛国歌小観 (旧字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
灣をはなれて山路にかゝり、黒松内くろまつないで停車蕎麥を食ふ。蕎麥の風味が好い。蝦夷えぞ富士〻〻〻〻と心がけた蝦夷富士を、蘭越驛らんこしえきで仰ぐを得た。形容端正、絶頂まで樹木を纏うて、秀潤しうじゆん黛色たいしよくしたゝるばかり。
熊の足跡 (旧字旧仮名) / 徳冨蘆花(著)
これら人々の来訪や音信によって得たる実隆の見聞というものは、ずいぶん広かったろうと想像されるが、その上に彼は、当時の人には異域同様に考えられた蝦夷えぞヶ島に関する知識をも有しておった。
湾をはなれて山路にかゝり、黒松内くろまつない停車ていしゃ蕎麦そばを食う。蕎麦の風味が好い。蝦夷えぞ富士〻〻〻〻と心がけた蝦夷富士を、蘭越らんごえ駅で仰ぐを得た。形容端正、絶頂まで樹木をまとうて、秀潤しゅうじゅん黛色たいしょくしたたるばかり。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
……蝦夷えぞ地はロシアにちかく国防上肝要の場所たるばかりでなく、鉱山物産の見込みこみゆたかな土地であるから、地質測量や沿岸測量の仕事を
黒田清隆の方針 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「当り前さ。蝦夷えぞが島の端でもいい、立派なお屋敷で、そんな栄華のくらしを三日でもいい、あとは死んでもいい。」
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
「多賀城去京一千五百里、去蝦夷えぞ界一百二十里、去常陸ひたち国界四百十二里、去下野しもつけ国界二百七十四里、去靺鞨国まっかつこく三千里」
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
つい数年まえのことだが、津軽のくにから三人の男が、蝦夷えぞしまへ砂金採りにいった。どんなにか苦労をしたうえに、二貫匁という大量の砂金が採れた。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
自分は永田方正氏の『蝦夷えぞ語地名解』を熟読した。なるほどアイヌの地名の附け方は単純にして要領を得ている。彼等は長い地名をも意とせずに附けている。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
けだし彼は蝦夷えぞ総督川尻筑後守ちくごのかみと相謀り、カムサッカを襲い、直ちに露人立脚の地を奪わんと欲したるなり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
蝦夷えぞ韃靼だったん天竺てんじく高砂たかさごや、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平碩寿翁せきじゅおうその人なのであった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
蝦夷えぞの方にいた時分でした。函館奉行はこだてぶぎょう組頭くみがしらに、喜多村瑞見きたむらずいけんという人がありまして、あの人につきました。その時分、わたしは函館領事館に勤めていましたから。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すなはち、ぐら/\とえて、蝦夷えぞゆき板昆布いたこんぶをかぶつてをどりをどるやうなところを、ひよいとはさんで、はねをばして、あつゝとあわてて、ふツといて、するりと頬張ほゝばる。
湯どうふ (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
義経の蝦夷えぞ亡命説や、義経ジンギスカン説などは、以前、その是々非々で、史学界を賑わしたものである。だが、静の子の生存説は耳新しい。その要点だけを記せば。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
東北の蝦夷えぞ(アイヌ)を征せしめられたが、田村麻呂の武威は精悍な蝦夷を各地に破り、胆沢城いざはじやう(岩手市南部)、志波城しばじやう(盛岡県南方)を築いて、大いに皇威を輝かした。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
しかしもともと武士には蝦夷えぞすなわちエビス出身が多かったから、「徒然草つれづれぐさ」などを始めとして、鎌倉南北朝頃の書物を見ますと、武士のことを「えびす」と云っております。
遠山は辞を低うしてそのやしき伺候しこうした種彦をば喜び迎え、昔に変らぬ剰談じょうだんばなしの中にそれとつかず泰平の世は既に過ぎ恐しい黒船は蝦夷えぞ松前まつまえあたりを騒がしている折から
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
この蝦夷えぞの地で、忠敬は間宮倫宗に出遇い、それから倫宗と親しく交友したのでした。
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
霧はぐように消えた。海は紺色にどろりとしていた。雨雪の多い西蝦夷えぞの空にとって、奇蹟のような小春日和があらわれたのである。旅客は甲板に出てうしろに消える陸を見ていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
みちのくのそとなる蝦夷えぞのそとを漕ぐ舟より遠く物をこそ思へ 佐久間象山
愛国百人一首評釈 (旧字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
もっといにしえを訪ねれば多くの蝦夷えぞがいた土地でありましょうが、それらのことは歴史家の筆に任せましょう。私はなおもこの国で今も作りつつある優れた品物を訪ねて、各地を旅致しましょう。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
師範学校で私は蝦夷えぞの札幌から来た、教育のあるアイヌにあった。彼は典型的なアイヌの顔をしていて、日本語を流暢に話すことが出来る。私は彼に、アイヌに関するいくつかの質問をした。