肺腑はいふ)” の例文
美しい聲——少しうはづつて居りますが、人の肺腑はいふに透るやうな、一番印象づける美しい聲と共に、十八九の娘が飛込んで來ました。
先年来の身をもってした経験が彼の肺腑はいふに徹していた。従って彼は、彼の胸中を知っている家臣の処置を、自分の処置と考えていた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
聞書は話のほとんどまゝである。君は私に書き直させようとしたが、私は君の肺腑はいふから流れ出た語の権威を尊重して、殆其儘これを公にする。
津下四郎左衛門 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
金森、蜂屋のふたりは、今、北陸にある丹羽長秀の麾下きかの将だ。秀吉は、長秀を味方にすべく、先頃から、肺腑はいふをくだいている容子ようすだった。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
どちらも遠くへだたったところから途切れ途切れに聞えて来るのだが、その声には肺腑はいふをしぼってくものの底知れぬなげきがこもっていた。
日本婦道記:松の花 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
兒玉こだま言々句々げん/\くゝ肺腑はいふよりで、其顏そのかほには熱誠ねつせいいろうごいてるのをて、人々ひと/″\流石さすがみゝかたむけて謹聽きんちやうするやうになつた。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
実際ルクレチウスに現われた科学者魂といったようなものにはそれだけでも近代の科学者の肺腑はいふに強い共鳴を感じさせないではおかないものがある。
ルクレチウスと科学 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それも、くねくねと曲がりくねった金くぎ流のおぼつかない文字で、一読肺腑はいふをえぐるような悲しい訴えと祈願が、たどたどしげに書いてあるのでした。
「そうだなあ、味だな」鼈四郎は哄笑こうしょうして、去り気ない様子を示したが、始めて人に肺腑はいふかれた気持がした。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
物語の進展に連れて沈痛な盲人の言語風貌が髣髴ほうふつとして現れ来り、深く肺腑はいふに迫るものがあるのである。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑はいふに入る。面上の筋肉が我勝われがちにおどるためではない。頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻いなずまを起すためでもない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫人はと見ると、さすがに彼の言葉が一々肺腑はいふいていると見えて、うなだれ気味に、黙々と聴いていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
肺腑はいふの底から自分はこの暮れ行く地中海の海原うなばらに対して、声一杯に美しい歌をうたつて見たいと思つた。
黄昏の地中海 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
肺腑はいふをつく、というのは、こういうときのことを言うのだろう。サト子は、いつもこの手でやられる。
あなたも私も (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私はもっぱら女主人の同情に訴えるつもりで肺腑はいふの底から出る熱い息と一緒にかこち顔にそう言った。
霜凍る宵 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
この人の肺腑はいふに食い入って、身も心も迷わせてやれば、お城づとめがおろそかになるに相違ない。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
「えーい、君少し注意したまへ!」と色を失つて飛んで来た川島先生は肺腑はいふを絞つた声で眉間みけんに深い竪皺たてじわを刻み歯をがた/\ふるはして叱つたが、頬を流れる私の涙を見ると
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
また肺腑はいふを刺す露骨な皮肉を言って、深い恨みを買うこともあった。そういう意地悪い言葉を言いたくなる時には、舌をんで口に出すまいとした。しかし間に合わなかった。
福士大尉は、アンの耳に口をつけて、肺腑はいふをしぼるような声で、最後の言葉を送った。
英本土上陸戦の前夜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ぼくにはよく解らないながら、川北氏の一言一句はネルチンスキイの肺腑はいふわたるとみえ、彼はいかにも恐縮きょうしゅくした様子で、「I'm sorry.」を繰返くりかえしてはうなずいていました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
しかし、その無心の笑い声は、玄石の肺腑はいふを熊手で掻きむしるようだった。
二人の盲人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
踏みはだけた膝の上に両肱りょうひじを突張って、二三度大きく唾をみ込むうちに、みるみる蒼白まっさおな顔になりながら、物凄いまなこで相手を睨み付けた。唇をわななかせつつ肺腑はいふを絞るような声を出した。
復讐 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
さとしもとより築山つきやまごしにをがむばかりのねがひならず、あはれ此君このきみ肺腑はいふりて秘密ひみつかぎにしたく、時機をりあれかしとつま待遠まちどほや、一月ひとつきばかりをあだくらしてちかづく便たよりのきこそは道理だうりなれ
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
職業軍人のだらしなさは敗戦日本の肺腑はいふえぐる悲惨事である。
咢堂小論 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
血まみれの肺腑はいふは落ちた、死魔の足下。
ルバイヤート (新字新仮名) / オマル・ハイヤーム(著)
いきなり肺腑はいふにながれ込んで
佐藤春夫詩集 (旧字旧仮名) / 佐藤春夫(著)
美しい声——少しうわずっておりますが、人の肺腑はいふに透るような、一番印象づける美しい声と共に、十八九の娘が飛び込んで来ました。
周防の言葉には肺腑はいふを刺すおもむきがあった。周防がそういう調子で、それほど思いきったことを云おうとは、涌谷どのも予想しなかったらしい。
汝のまなこは、主君を見るに、なべて世にうとく、甘言によくうごき、下情には暗く、人の肺腑はいふを視るにはそのめいなきものと、一様に心得おるらしい。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肺腑はいふを突きえぐるようなその声を、黙々として聞いていた泥斎が、とつぜん言い叫んだ声もろともに、がばとそこへひれ伏すと、意外な秘密を明かしました。
言葉で現わされない人間の真相が躍然としてスクリーンの上に動いて観客の肺腑はいふに焼き付くのであった。
ニュース映画と新聞記事 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
もっと平岡を動揺ゆすぶる事が出来た。もっと彼の肺腑はいふる事が出来た。に違ない。その代り遣り損えば、三千代に迷惑がかかって来る。平岡と喧嘩けんかになる。かも知れない。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
私は、肺腑はいふをしぼって呶鳴どなりつけた。
地球要塞 (新字新仮名) / 海野十三(著)
が物々しい重圧も、いわゆる名曲的な威嚇いかくもなく、直ちにわれわれの肺腑はいふに入って、シューベルトと共に歌わせなければやまない良さがあるのである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
孔明の声は、一語一句、呉将の肺腑はいふにしみた。弔文は長い辞句と切々たる名文によってつづられ、聞く者、哭くまいとしても哭かずにいられなかった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
口でかなわないのはわかりきっているが、なにか肺腑はいふえぐるようなことを、一と言だけ云ってやりたいと思い、ふるえながら、なにを云ってやろうかと考えた。
彼の悪い方の片目のまぶたとひとしく静かにおさえられている。それでいて正成のことばは、公卿列座のすべての者の肺腑はいふをドキッとさせたようだった。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
手負ながら、お嘉代の烈々れつれつたる気魄きはくが、その打ち湿しめった言葉のうちにも、聴く者の肺腑はいふえぐります。
早々そうそうに駈けもどっていくさの手当てをいそぎまする。いちいちのおことばは肺腑はいふを刺し、これ以上の辱には座にも耐えられません。これにて、おいとまを」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
手負乍ら、お嘉代の烈々れつ/\たる氣魄きはくが、その打ちしめつた言葉のうちにも、聽く者の肺腑はいふゑぐります。
と一ト声、それは辺りの肺腑はいふをも刺すようなつんざきのまに、走り寄って、後醍醐のお胸へ、しがみついておられた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このうち、毒酒の方を呑めば、肺腑はいふを破つて立ちどころに死にますが、藥酒の方を呑めば、不老長壽とまでは行かずとも、神氣さはやかに、百病立ちどころに癒えると申します
武蔵は、耳のないような顔をしていたが、彼の言葉が終るのを待って——そしてなお、磯打ち返す波音の間をいてから——相手の肺腑はいふへ不意にいった。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
このうち、毒酒の方を呑めば、肺腑はいふを破って立ちどころに死にますが、薬酒の方を呑めば、不老長寿とまでは行かずとも、神気爽やかに、百病立ちどころに癒えると申します
夏侯惇は感服して、おそらく魏王の肺腑はいふを見ぬいた言であろうと、ひそかにその旨をまた諸将へ告げた。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次の言葉は、囁き加減ですが、噛んで含めるように、半蔵の肺腑はいふに喰い込んで行きました。
白面蒲柳はくめんほりゅうの彼を睥睨へいげいして、ふたたび道場の床に立った鐘巻自斎、その声はにわかに峻烈となり、木剣をらぬ先に、対手あいて肺腑はいふえぐりぬいて響いた。が、谺返こだまがえしに
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次の言葉はこの上もなく静かですが、くぎを打ち込むように相手の肺腑はいふに響く様子です。
門人の一人がさし出した笠を受け取って、静かに二歩、三歩道場から出ようとすると、不意に一同の耳をつんざき、自斎の肺腑はいふにも沁み入ったであろうほどな、大喝一声。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平次の言葉は此上もなく靜かですが、釘を打ち込むやうに相手の肺腑はいふに響く樣子です。