わづ)” の例文
路は絶えずすさまじく鳴り轟く水量の多い谷に添つて、わづかに崖を削り取つてこしらへたといふやうなところを掠めて通つて行つた。
山間の旅舎 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
この混沌たる暗黒時代に一縷の光明を与ふるものは僕等の先達並びに民間の学者のわづかに燈心を加へ来れる二千年来の常夜燈あるのみ。
此から後は、古今選者たちの立てたものを絶対に信頼して行つた後進者の、わづかづゝの時代的のアガきを見るに過ぎないのである。
夏になれば氷屋の店も張られた。——それもこれも今はわづかに、老人達としよりたち追憶談むかしばなしに残つて、村は年毎に、宛然さながら藁火の消えてゆく様に衰へた。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
〔譯〕心は現在げんざいせんことをえうす。事未だ來らずば、むかふ可らず。事已にかば、ふ可らず。わづかに追ひ纔かに邀へば、便すなはち是れ放心はうしんなり。
また、手を伸ばさうとする、が、一歩踏みはづせば其まゝ深谿へ落ちて了ふ。わづかに花を摘んだ。女の兒は悦んで其花を手にして登つて行く。
(旧字旧仮名) / 吉江喬松吉江孤雁(著)
が、砂地すなぢ引上ひきあげてある難破船なんぱせんの、わづかに其形そのかたちとゞめてる、三十こくづみ見覺みおぼえのある、ふなばたにかゝつて、五寸釘ごすんくぎをヒヤ/\とつかんで、また身震みぶるひをした。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
聞けば僧正の歿後悪僧によつてわづか二百金で一俗人の手に売渡されたのだと云ふ。釈迦堂其他そのたを開してれたが美術的の価値の無い俗悪ぞくあくを極めた物ばかりであつた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
わづかに五六ねん地上ちじやう此變化このへんくわである。地中ちちう秘密ひみつはそれでも、三千餘年よねんあひだたもたれたとおもふと、これを攪亂くわんらんした余等よらは、たしかに罪惡ざいあくであるとかんがへずにはられぬのである。
人間は此さいはひを犠牲にして、わづかに世界の進化を翼成よくせいしてゐる。第二期では福を死後に求める。それには個人としての不滅を前提にしなくてはならない。ところが個人の意識は死と共に滅する。
妄想 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
以て百ばかつゞけ打に打せければあはれむべし傳吉は身のかはやぶにくさけて血は流れて身心しんしん惱亂なうらんし終に悶絶もんぜつしたるゆゑ今日のせめは是迄にて入牢じゆらうとなり之より日々にせめられけるが數度の拷問がうもんに肉落て最早こしも立ずわづかに息のかよふのみにて今は命のをはらんとなす有樣なり爰に於て傳吉思ふやうかゝ無體むたいの拷問はひとへに上臺憑司が役人とはら
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
大抵は跣足はだしでした。靴なぞ穿いてゐるものは稀にしかありませんでした。アンペラで囲つてわづかに雨風を凌いでゐるといふやうな家もありました。
一少女 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
宣命の外、長歌などでも、人麻呂以後、皆模倣の中から、わづかに新発想を出さうと努めたに過ぎない。
日本文学の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
和蘭陀ヲランダはアムステルダムと海牙ハアグとの両都をわづ二日ふつかで観て通つたに過ぎない。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
名所圖繪をひもときても、其頃はみち嶮に、けいあやうく、少しく意を用ゐざれば、千じん深谷しんこくつるの憂ありしものゝ如くなるを、わづかに百餘年を隔てたる今日こんにち棧橋かけはしあとなく
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
即極めて淡い享楽態度を持ち続ける中に、わづかに人事・自然の変化を見ようとするのだつた。
叙景詩の発生 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
こんな事を歌つて気を紛らさうとするのであるが何時いつの間にかびんまでが涙に濡れて居た。良人をつと甲板かふばんから降りて来てドオバアへ着いたと知らせてれた。わづか一時間で海峡を渡つたのである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
すなはち溪聲を樹間に求め、樹にすがり、石にりてわづかにこれを窺ふ。水は國道の絶崖にかたよりて、其處に劒の如く聳立しやうりつせる大岩たいがんあたり、その飛沫の飛散する霧のごとくけぶりの如し。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
わづかに百年、其短い時間も文字に疎い生活には、さながら太古を考へると同じことである。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
深く自己を掘れば掘るほどさうでない。劇のやうでない。ことに社会劇のやうでない。社会劇に起つて来るやうな問題は、わづかに社会から一歩乃至数歩進んだやうな処である。
社会劇と印象派 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
歌の一部を急転させて違つた意義を導いたり、前句との連続に意義の上に軽い渋滞を感じさせて置いた上、読者の習性を利用して、わづかに、かけ語や、語感を契機に飛躍させる。
即興以外にはわづかに宴遊の余興に於て、だが、はつ/\好事の漢風移植者たる大伴旅人・家持一味の人々の文芸意識を持つての遊戯が見える位に過ぎない時代に、悲しみを叙して
相聞の発達 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
天は不幸なるこの重右衛門にこのわづかなる恩恵めぐみをすら惜んで与へなかつたので、尋常よりもなほ数等愚劣なるかれの妻は、この危機に際して、あらう事か、不貞腐ふてくされにも、夫の留守を幸ひに
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
自分が始めてこの根本家を尋ねた時、妻君がしきりに、すきくは等を洗つて居た田池たねけ——其周囲には河骨かうほね撫子なでしこなどが美しくそのしをらしい影をひたして居たわづか三尺四方に過ぎぬ田池の有つた事を。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
其本つ国については、先史考古学者や、比較言語学者や、古代史研究家が、若干の旁証を提供することがあるのに過ぎぬ。其子・其孫は、オヤの渡らぬ先の国を、わづかに聞き知つて居たであらう。
妣が国へ・常世へ (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
ひさしかたぶきたるだいなる家屋の幾箇いくつとなく其道を挾みて立てる、旅亭の古看板の幾年月の塵埃ちりほこりに黒みてわづかに軒に認めらるゝ、かたはら際立きはだちて白く夏繭なつまゆの籠の日に光れる、驛のところどころ家屋途絶とだえて
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
けれど自分がこの三人と交際したのはわづか二年に過ぎなかつた。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)