とゞま)” の例文
余が箱根の月大磯の波よりも、銀座の夕暮吉原の夜半やはんを愛して避暑の時節にもひとり東京の家にとゞまり居たる事は君のく知らるゝ処に候。
夜あるき (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
春枝夫人はるえふじんいた心配しんぱいして『あまりに御身おんみかろんじたまふな。』と明眸めいぼうつゆびての諫言いさめごとわたくしじつ殘念ざんねんであつたが其儘そのまゝおもとゞまつた。
とゞまりしと雖も小夜衣の事を思ひきりしに非ず只々たゞ/\便たよりをせざるのみにて我此家の相續をなさば是非ともかれ早々さう/\身請みうけなし手活ていけの花とながめんものを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
こゝには神も人にまじはつて人間の姿人間の情をよそほつた。されば流れ出づる感情は往く處に往き、とゞまる處に止りて毫も狐疑こぎ踟蹰ちゝうの態を學ばなかつた。
新しき声 (旧字旧仮名) / 蒲原有明(著)
淫慾いんよく財慾ざいよくよくはいづれも身をほろぼすの香餌うまきゑさ也。至善よき人は路に千金をいへ美人びじんたいすれどもこゝろみだりうごかざるは、とゞまることをりてさだまる事あるゆゑ也。
馬鹿、靜かに物を言へ、往來の人が顏を見るぢやないか、——ところで、女が物を落すと、どんなに忙しい時でも大抵とゞまつて一應は拾ひ上げるものだ。
富「誠に幸いな処へ駈付けました、どうか水飴を召上る事はおとゞまりを願います、決して召上る事は相成あいなりません」
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
然し半年とは辛抱しきれなかつた。それなり一年あまり私は家にとゞまつて家業の手伝ひをしてゐた。その頃私の家は佐賀ステーション前に宿屋を営んでゐたのである。
ある職工の手記 (新字旧仮名) / 宮地嘉六(著)
中江篤介とくすけ氏は社会的に平民主義を論じ、星、大井の諸氏は法律論を唱へ、此回顧的退歩的の潮流に抗し民心を激励鞭撻べんたつして此切所に踏みとゞまり、更に進歩的の方角に之を指導せんとせり。
明治文学史 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
特別の場合を除き、十分間以上舞台にとゞまるべからず。
職業(教訓劇) (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
『あの時代だから、えらいと言へば豪いんだねえ。それに勤王といふことは、トピツクが好いからね……。そんなに豪いツていふ人物でもなかつたんだらう……筑後で自殺したのも、何方かと言へば、センチメンタリズムにとゞまるからねえ。』
百日紅 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
散り行く花もとゞまりて
藤村詩抄:島崎藤村自選 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
其後そのご便船びんせん通知つうちまいりましたので、そのほうやうやむねでおろし、日本につぽんかへこと其儘そのまゝおもとゞまつたのです。
殺し置き自儘じまゝ生害しやうがいなすと云は天下の大法知ぬに武士ぶしたる者の爲こと成ず依て暫時しばらくとゞまあけるを待ち奉行所ぶぎやうしよへ名乘て出て相應さうおうなる處分しよぶんを受るが至當したうなれば先其やいば
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
貧しい本所ほんじよの一此処こゝきて板橋いたばしのかゝつた川向かはむかうには野草のぐさおほはれた土手どてを越して、亀井戸村かめゐどむらはたけ木立こだちとが美しい田園の春景色はるげしきをひろげて見せた。蘿月らげつは踏みとゞまつて
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
流石さすがは文治殿の御家内だけ……女ですら斯様かようでありますのに、あなた方は只文治殿の事のみを思い、お心得違いをなさいましたなア、さア分りましたらおとゞまりなさい、如何いかゞでござるな
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
したはせ今に至るまでも名奉行と言る時は只に忠相ぬし一にんとゞまるが如く思ひ大岡越前守の名は三歳の小兒といへども之をしりしきり明斷めいだんたゝへるこそ人傑じんけつさい稀世きせいの人といふ可し是等を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
てにをはを知るよりまづ ABC を知らねばならぬ。歐米を旅行して、自分は歐文を綴り得るだけの才能にとゞまり、日本の手紙すら滿足には書き得ない知名の外交官に幾人いくたり邂逅したであらう。
新帰朝者日記 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
イヤ、こゝたゞ一人いちにん特別とくべつわたくしとゞまつたものがあつた。