くすぐ)” の例文
あの人は鼻のあたりにくすぐつたい笑ひを漂はせてる。すると、私は妙にそれが小憎らしく、また、訳のわからない嫉妬が芽ぐんで来る。
脱殻 (新字旧仮名) / 水野仙子(著)
今は大変に疲れている、併し、浴後のんびりした、甘い倦怠が快く全身をくすぐっている。さあ為事だ為事だ。(二五八八、一一、一)
内部なかは、湿っぽい密閉されたへや特有の闇で、そこからは、濁りきっていて妙に埃っぽい、咽喉のどくすぐるような空気が流れ出てくるのだ。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
揶揄やゆ一番した。ナカ/\たちが悪い。態〻わざわざ二流会社を志望する僕達は決して優秀でないから、くすぐったいような心持で顔を見合せた。
恩師 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
唯吉たゞきちは、襟許えりもとから、手足てあし身體中からだぢうやなぎで、さら/\とくすぐられたやうに、他愛たわいなく、むず/\したので、ぶる/\とかたゆすつて
浅茅生 (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
この芝居はどこやらくすぐったく、余り空想的で今日の現実と結ばれた実体がなくて、主題は現実的な力を欠いているとしか感じられない。
ソヴェトの芝居 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
といって僕の両脇に手を入れて、抱きおこそうとなさった。僕はくすぐったくってたまらないから、大きな声を出してあははあははと笑った。
碁石を呑んだ八っちゃん (新字新仮名) / 有島武郎(著)
自分じぶん蒲團ふとんそばまでさそされたやうに、雨戸あまど閾際しきゐぎはまで與吉よきちいてはたふしてたり、くすぐつてたりしてさわがした。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
お島はくすぐったいような、いらいらしい気持を紛らせようとして、そこを離れて、子供を揶揄からかったり、あによめ高声たかごえで話したりしていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
皆は中将の言ふ様に、飛行家になるのだつたら、相場で大穴を明けたあとでも遅くはあるまいと思つて、くすぐつたさうな顔つきをした。
「そうかねえ……」と、自分は彼女のニコニコした顔とあかい模様や鬱金色うこんいろの小ぎれと見くらべて、くすぐったい気持を感じさせられた。
死児を産む (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
すると奥でくすぐられたようにクックッ笑う声がするので、もう一度戻ってみると、オルガンの蔭で、少女とアブ公が、からみ合って寝ていた。
これが犯人の足の裏を、くすぐるのです。まず犯人を椅子に縛りつけて置き、靴下を脱がせます。そしてその足の下へ此の器械を据えつけます。
発明小僧 (新字新仮名) / 海野十三佐野昌一(著)
「ふゝゝゝ。」とおふくろは、くすぐツたいやうに笑出して、「何だか、なぞをかけられてゐるやうですね。」と事もなげにいふ。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
すると文吉はくすぐったさが鼻へ抜け、痛さが身体中の要処ようしょ々々の力を引抜き、たゞ「あー あー」と口を開けて全身は空にもがくだけであります。
生々流転 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「うむ、そう言われるとなんだかくすぐってえような気持もするが、浮気で言うんじゃあねえ、あの女はあんまり薄情すぎる」
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
心の隅を名状し難い微妙な何者かがくすぐっている。それは例えば少年の日の恋の思出の如く、ほのかにも匂やかな感情だ。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
そして、懷つこい手紙でも送つて喜ばせてやらうかと、卷紙をひろげて筆を採つて見たが、どういふものかくすぐつたい氣持がして筆が運ばれなかつた。
母と子 (旧字旧仮名) / 正宗白鳥(著)
平次は事もなげですが、大師樣をだしに使ふのはくすぐつたいのか、八五郎はテレ隱しにポリポリ小鬢こびんを掻いて居ります。
早く逃げよ、洗礼を受けた人たち! 彼女の唇は氷で、寝床は冷たい水中だ。彼女は君をくすぐつて河の中へ引き込むぞ。
裕佐はかう云つたが、何だか胸がくすぐつたいやうな気がした。「さア、此金で、俺はあいつを身うけする事が出来るんだ。もしそれが出来る事なら!」
狡智にけたベナビデスのおもてけて拳銃を発射する時の喜びばかりがくすぐるように、胸に込み上げていたのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
彼女の指先の紅らみの中に浮き出てゐたほつそりとした指半月つめのね、豊な彼女の唇を縁づけるくすぐるやうな繊細な彎曲、房々と垂れた彼女の髪のかすかな動揺と光沢
静物 (新字旧仮名) / 十一谷義三郎(著)
私が最も純粋な愛としたものにおいてさえ、それが自己の優越の感じにくすぐられようという動機によって濁らされていなかったと誇り得ないではないか。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
お延の漢語が突然津田をくすぐった。彼は笑い出した。ちょっとまゆを動かしたお延はすぐ甘垂あまったれるような口調を使った。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
同じく彼の佳きレパートリイの一つたる「吉原百人斬」の中の宝生ほうしやう栄之丞住居の一席も、艶冶な描写が、いまに私の耳を哀しく悩ましくくすぐつて熄まない。
吉原百人斬り (新字旧仮名) / 正岡容(著)
金五郎はくすぐったく、変な気持になって来たが、お京を怒らせたくはなかったので、なすがままに、まかせていた。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
かうして彼は何の憚りもなく、天の与へて呉れた好機に乗つたが、彼の心の何処かには、何となくくすぐつたい或るもの、小供に耻づかしい或るものがあつた。
(新字旧仮名) / 久米正雄(著)
私はよく気の毒な女だと思つてたが、それでも此滑稽な顔を見たら最後、腹の虫が喉まで出て来てくすぐる様で、罪な事とは知り乍ら、種々な事を云つて揶揄ふ。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「按摩はさっき通ったよ。白の背広で。だがよく按摩の好きな人だな。僕なぞはくすぐったくてしょうがない。」
フレップ・トリップ (新字新仮名) / 北原白秋(著)
そしてあとはまた何かくすぐられるようにはしゃいだ、笑い声が聞こえた。色を売る女のような笑い声だった。
遠野へ (新字新仮名) / 水野葉舟(著)
然し先刻のあの僧侶が、祖母の為に永遠に経を読む等という真ッ赤な嘘を、公然とお互に通してゆく世の中を考えると、彼女はくすぐられるような気持ちにもなった。
棄てる金 (新字新仮名) / 若杉鳥子(著)
これや少しくすぐったいな。こんな家庭があるだろうか。おや、おや、俺の思索はどうしてこんなに乱れるだろう。題目はこんなにいのだが出来そうも無さそうだ。
幸福な家庭 (新字新仮名) / 魯迅(著)
で、堀は亀の足の脇の下をくすぐると、亀は二、三尺動いた。まるで不思議な大きな石が動くように。——その亀の動いた下に暗い穴があった。かれは其処をくぐった。
幼年時代 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
大学という言葉が子供の私の心をくすぐったのだ。また私の医者になるということは母の望みでもあった。
前途なお (新字新仮名) / 小山清(著)
ふと彼女をると、僕の学生時代のモスの兵児帯へこおびを探し出してめているのだ。何だかくすぐったいものが身内を走ったが、僕は故意にシンケンな表情をかまえていた。
魚の序文 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
気が顛倒てんとういたし、いささか頭の調子が狂っているのではないかしら——と、真面目に相手にすることも出来ないといったように、みなくすぐったいような顔を見合って
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
甚だくすぐったい感じが致しますが、この辺が世間の心理の測り知るべからざる所だろうと悟りました。
安死術 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
そしてともすれば肉の締りがほぐれて行くやうな氣持がして、快い睡魔が何時いつとなく體を包んで行くのである。片隅で誰かの幽かな鼾聲いびきごゑくすぐるやうな音を立ててゐる。
猫又先生 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
桟橋の端には、物語めいた一そうの短舟ボウテが、テイジョ河口の三角浪にくすぐられて忍び笑いしていた。
そう云って、私は彼を裸かにさせたまま、その脊骨のへんな突起を、象牙ぞうげでもいじるように、何度もでてみた。彼は目をつぶりながら、なんだかくすぐったそうにしていた。
燃ゆる頬 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
馬琴は幸福の意識に溺れながら、こんな事を考へた。さうしてそれが、更に又彼の心をくすぐつた。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
みちばたの小石までがはっきりと見えるほどでありながら、何だかの前がもやもやとかすんで居て、遠くをじっと見詰めると、ひとみくすぐったいように感ぜられる、一種不思議な
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一等の車室ワゴンリを借りきってモスコーからパリーへ急行しつつある若いロシア人ルオフ・メリコフは、その植物のにおいに鼻孔びこうくすぐられながら、窓の外に眼をやると、そこには
戦雲を駆る女怪 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
然しそれでも自分は今日の正義の声は余りに、かしましい拙悪な吹奏者の喇叭のやうに、その底に或る不協和な、くすぐつたい何ものかゞ聞きとれると白状しないではをられない。
愛人と厭人 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
畠の縁に茂つた草が柔くくすぐるやうに足の指にさはる。季子は突然そこへ蹲踞しやがんでしまつた。
或夜 (旧字旧仮名) / 永井荷風(著)
土橋を潜る水はぬるみて夢ばかりなる水蒸気は白くふるえ、岸を蔽えるクローバーは柔らかに足裏の触覚をくすぐりて、いかにわれをして試みんとする春の旅の楽しきを思わしめしよ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
わたしはまったく美男子になり済まして、なんだかくすぐったいような心持ちになりました。
彼は私の膝蓋骨を数回前後に動かし、この震動的なねるような動作を背中、肩胛骨けんこうこつ、首筋と続けて行い、横腹まで捏ねようとしたが、これ丈はくすぐったくってこらえ切れなかった。
「へッ、今だってあなたそのひとに会っているんでしょう。」くすぐるように疑って言った。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)