つつ)” の例文
旧字:
おゝ、あはれ、ささやかにつつましい寐姿は、藻脱もぬけの殻か、山に夢がさまよふなら、衝戻つきもどす鐘も聞えよ、と念じあやぶむ程こそありけれ。
処方秘箋 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
たとい猟師のような殺生稼ぎのあらくれ男ですら、山をおそれ、はばかる心は案外強いもので、つつしむ所はつつしむのが、しおらしい。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
「だから注意するんだ。僕の攻撃はいくらでも我慢するが、縁もゆかりもない人の悪口などは、ちっとつつしんでくれ、こんな所へ来て」
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
襖をそっと細目にあけて、内の様子をうかがってみると、かき立てた燈火ともしびの横に坐り、所在なさそうにつつましく、蓬生よもぎゅうこよみを繰っていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そしてわが新宇宙艇が月世界探険にのぼる決心だと知るとたいへんおどろいて、その暴挙ぼうきょをぜひつつしむようにといくども勧告をしてきたのだった。
月世界探険記 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼女の挙措と同じように愛情深いつつましい手紙だった。彼に自分の日常を語ってきかせながら、高くとまったやさしい控え目を失わなかった。
庸三の少し後ろの方につつましく坐っていたが、そうした明るい集りのなかで見ると、最近まためっきり顔や姿のやつれて来たのが際立きわだって見えた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
是はいみを黒不浄、月のさわりを赤不浄というに対して、白であろうと事もなげに解する者が多いが、産屋のつつしみを白というべき理由はない。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そういかけて、青年は口をつぐんでしまった。が、口の中では、美奈子のつつましさや美しさに対する讃美さんびの言葉を、つぶしたのに違いなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
つつましやかな態度で云って、悧巧りこうそうな、小さく円く、パッチリとしたひとみを伏せて、こころもち胸を引くようにして挨拶あいさつする、その身のこなしには
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一、幼少のときにある放蕩息子ほうとうむすこが身をあやまって、自分のみならず大勢の人に迷惑めいわくやら心配をかけたのをみて、婦人関係は深くつつしむべしと決心した。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
と、若い血しおを圧し抑えて、つとめて、つつましやかに云うのであったが、涙は滂沱ぼうだとして、畳をぬらしていた。
食事の態度は行儀ぎょうぎよくつつましかった。少年はたっぷり食べた。「お雑作でがんした」礼もちゃんと言った。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
あらゆるつつしみ、あらゆる品格、あらゆる悔いがなかった。すべては、ただ、あるがままに投げだされ、惜しみなく発散し、浪費し、行われ、つくされていた。
道鏡 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
つつましい婿の態度を、心地よげに見やりながら、ゆっくり茶を喫した源兵衛、やがてさりげない調子で
入婿十万両 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
近代音楽史の上に、つつましやかながら、毅然きぜんとしてそびゆるセザール・フランクの姿はとうとくもなつかしい。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
にんじんはこうして、めいめいの幸福を一部分ずつ取って、つつましく自分の幸福を組み立てるのである。
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
万事万端思切おもいきりがくて、世に処しまつりごとを料理するにも卑劣でない、至極しごく面白い気風であるが、何分にも支那流の磊落らいらくを気取て一身の私をつつしむことに気が付かぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
傍人ばうじん慌てゝ彼をとゞめて曰く、君よ口をつつしめ、かの破れたる帽子の下に宇宙は包まれてありと。
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
さすがにつつましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていければよいと思う
源氏物語:04 夕顔 (新字新仮名) / 紫式部(著)
東京中のあらゆる階級の女の、あらゆる指を、彼はかたぱしから見て来たのだった。省線電車の中に並んだ女達がつつましく膝の上に揃えた指、乗合自動車の吊り革をつかむ女達の指。
指と指環 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
取次ぎに出て来た一人の少女(それが小間使で、お志保というのであるという事を彼は知っているはずはなかった。)がつつましやかに坐って自分を仰ぎ見ているのに気がつくと
田舎医師の子 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)
そして彼は、おのが恋のきよい貞潔な焔が燃え上がっている犠牲壇のまわりを、つつましくめぐり歩いて、その焔の前にひざまずいては、あらゆる手を尽して、それをあおり立てまもり立てた。
独逸クルウのだれかの愛人リイベとみえる、一人のゲルマン娘は、いつも毅然きぜんとしていて、練習時間には、つつましく、ひとり日蔭椅子いすすわり、編物か、読書にふけっていて、その端麗たんれいな姿にも
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
「ゆゆし」は、つつしみなく、はばからずという意もあって、結局同一に帰するのだから、此歌の場合も、「慎しみもなく」とほんしてもいいが、忌々しいの方がもっと直接的に響くようである。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
お前を産んだお前の親しい民族は、今言葉をつつしむ事を命ぜられているのだ。それ故にそれらの人々に代って、お前を愛し惜しんでいる者がこの世にあるという事を、生前のお前に知らせたいのだ。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ことにあによめ気下味きまずい事をいうのは、直接兄に当るよりもなお悪いと思って、平生からつつしんでいた。しかし腹の中はむしろ反対であった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
彼はつつましやかな苦笑をもらしながら「実事じつごとの奥義の解せぬ人達のする事じゃ。また実事の面白さの解せぬ人達の見る芝居じゃ」と、一言の下にけなし去った。
藤十郎の恋 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
おそれと、つつしみと、感謝と、それに自然を敬重する知恵が要望されること、今日より切なるはない。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
そのうしろから活け花の道具を持った、一人の女がついて来て、隅のほうにつつましく手をついた。
雨の山吹 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
人々の話を幸子と二人でつつましく聴いていただけであったが、それにしては師匠も特別に眼をかけてくれ、自分もいつかは名取にして貰おうと云う下心がないでもなかったのに
細雪:02 中巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
マデレンのくろずんだ巨大な寺院じいんを背景として一日中自動車の洪水こうずい渦巻うずまいているプラス・ド・マデレンの一隅かたすみにクラシックな品位を保ってつつましく存在するレストラン・ラルウ
異国食餌抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
その頃の青年華族などは、適当にケチで、お品がよくて、個性が無くて、積極的な行動をつつしんで、自分の意見をさえ言わなければ、それでず同族間の評判は申分もうしぶん無かったのです。
幸福の涙が閉じた眼瞼まぶたから流れた。そばについてる小娘が、つつましくその涙をいてくれたが、彼はそれに気づかなかった。彼はこの下界に起こってることをもう何にも感じなかった。
短気はつつしもうではござらぬか……そのうちご老師にも思い返されて愚老のお頼みに応ぜられ、大砲ご鋳造くださるやも知れず、それはともかく、まず当分は、城内にご逗留なされますよう。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、油学士は、急につつしみの色を現して、醤主席をはいしたのであった。
りとてただこれを口に言うばかりでなく、近く自分の身より始めて、仮初かりそめにも言行齟齬そごしてはまぬ事だと、ず一身の私をつつしみ、一家の生活法をはかり、他人の世話にならぬようにと心掛けて
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
声もほがらかに、つつましく
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
生れてからまだ一度も顔を合せたおぼえのないその婦人は、寝掛ねがけと見えて、白昼なら人前をはばかるようなつつしみの足りない姿を津田の前にあらわした。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
わたし、何処だっていゝわ。貴女のお好きなところなら何処だっていゝわ。」美奈子は、つつましくそう云った。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
後ろにつつましく控えたのは、二十二三の内儀、白粉おしろいも紅も抜きにして少し世帯崩しょたいくずれのした、——若くて派手ではありませんが、さすがの平次もしばらく見惚みとれたほどの美しい女でした。
彼女は彼に挨拶あいさつをし、ごくやさしい声で、機嫌きげんはどうかと尋ねた。おとなしいつつましい様子でピアノについた。まったく従順な天使だった。意地悪な生徒らしい悪戯いたずらを、もう少しもしなかった。
けれども僕の前に出て畏こまる事よりほかに何も知っていない彼女の姿が、僕にはいかにつつましやかにいかに控目に、いかに女としてあわれ深く見えたろう。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
何よりもず、その石竹色に湿うるんでいる頬に、微笑の先駆として浮かんで来る、笑靨えくぼが現われた。それに続いて、つつましいくちびる、高くはないけれども穏やかな品のいゝ鼻。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
五十前後の内儀おぬいは、主人彦太郎の後ろからつつましく顔を出しました。
そうして故意に反対の方を見たり、あるいは向うへ二三歩あるき出したりした。それがため、妙に遠慮深いところのできた敬太郎はなるべく露骨むきだしに女の方を見るのをつつしんでいた。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
茂野はつつましく黙礼して、自宅の方へ引返しました。
けれども女と一直線になって、背中合せに坐っている自分の位置を考えると、この際そんな盲動はつつしまなければならないので、眼のやりどころに困るという風で、ただ正面をぽかんと見廻した。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
つつしむにはあまりひょうきんである。聴衆は迷うた。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)