廿はたち)” の例文
あねいもと數多かずおほ同胞はらからをこしてかたぬひげのをさなだちより、いで若紫わかむらさきゆくすゑはとするこヽろ人々ひと/″\おほかりしが、むなしく二八のはるもすぎて今歳ことし廿はたちのいたづらぶし
暁月夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
伴侶つれわかい女であつた。代助はまだ廿はたちになるまいと判定した。羽織をないで、普通よりは大きくひさしして、多くはあご襟元えりもとへぴたりとけてすはつてゐた。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
五十いそぢあまりの武士もののべ廿はたちあまりの同じ出立いでたちなる、六八日和にわはかばかりよかりしものを、明石より船もとめなば、この六九朝びらきに七〇牛窓うしまど七一とまりは追ふべき。
それからまた、そこに廿はたちまでいる間に店の勘定をごまかして、遊びに行った事が度々あるが、その頃、馴染みになった女に、心中をしてくれと云われて弱ったおぼえもある。
ひょっとこ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
おえいと多助とは十九と廿はたち年合としあいかんべいと思う、母親おふくろは多助のためには実の叔母なりするから、血統ちすじ三人で此のうちめば大丈夫でいじょうぶ、そうして太左衞門われが後見をして
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
十位とをぐらゐでもそれから廿はたちるものでもみな前垂まへだれけてる。前垂まへだれがなければ彼等かれら姿すがた索寞さくばくとしてしまはねばらぬ。彼等かれらあしはぬ不恰好ぶかつかうしわつたしろ足袋たび穿いてる。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
この春泉はるずみというは待合で、円顔の雛形ともいうような廿はたちばかりの婢が出迎え、貞之進をちらりと視て奥にしましょうかと小歌に云えば、そうねえあなた入来いらっしゃいと、上り口を横に通過ぎて
油地獄 (新字新仮名) / 斎藤緑雨(著)
廿はたちになったって背いが延びてならんと云う法はあるまい。嫁に来てから滋養分でも食わしたら、少しは延びる見込みがあると思ったんだ」と真面目な顔をして妙な理窟りくつ
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おまえは何故そう隠すんだえ、隠さなくってもいゝじゃアないかえ、私が十九つゞ廿はたちの事ならばお前の隠すも無理ではないが、こうやってお互いにとる年だから、隠しだてを
の方にうるはしき声して、此の軒しばし恵ませ給へといひつつ入り来るを、あやしと見るに、年は廿はたちにたらぬ女の、顔容かほかたち三一かみのかかりいとにほひやかに、三二遠山ずりの色よききぬ
ういふ遠慮ゑんりよのない蔭口かげぐちかれるまでにはくるしいあひだの三四ねんすごしてたのである。かれ生活せいくわつはほつかりと夜明よあけひかりたのであつた。おつぎはこのとき廿はたちこゑいてたのである。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
廿はたちにもなっていが延びるなんて——あなたもよっぽど人を馬鹿になさるのね」と細君はそでなしをほうり出して主人の方にじ向く。返答次第ではその分にはすまさんと云う権幕けんまくである。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「おつぎも身體からだみつしりしてたなあ、をんな廿はたちつちややくつなあ」とおつぎをていつた。勘次かんじ茶碗ちやわんからすこ飯粒めしつぶこぼしては危險あぶなつきではしつたまゝゆびさきつまんでくちつてつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
それが其家そこの主人のむかし書生をしていた家の御嬢さんなので、主人はもちろん妻君も驚ろいたという話がある。次に背中合せの裏通りへ出ると、白髪頭しらがあたま廿はたちぐらいの妻君を持った高利貸がいる。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)