土地ところ)” の例文
就中なかんづく、将棋と腕相撲が公然おもてむきの自慢で、実際、誰にも負けなかつた。博奕は近郷での大関株、土地ところよりも隣村に乾分こぶんが多かつたさうな。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
昨日今日のお住居なら、土地ところの者も、めったに心はゆるさぬが、この加賀田に隠れ住んでからも、はや二十年余りにもなる毛利殿だ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土地ところの牧師が、ある日通りかゝりに気をつけてみると、その男は今年にはつてから四度目の移転ひきこしの支度に忙しかつたらしかつた。
茲で一言申しあげておかねばならないのは、有難いことに、土地ところの衆が忘れもせずにこの老人のわしをちやんと訪ねて呉れることなんで。
土地ところの人これを重忠しげただの鬢水と名づけて、ひでりつづきたる時こをせば必ず雨ふるよしにいい伝う。また二つ岩とて大なる岩の川中に横たわれるあり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
長野県埴科郡松代在はにしなごおりまつしろざい清野村きよのむらが彼女の生れた土地ところで、先祖は信州上田の城主真田さなだ家の家臣、彼女の亡父も維新のおりまで仕官していた小林藤太という士族である。
松井須磨子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
クレーヴシン 聖僧どるいどよ、わしは他国のものだ。ここは何という土地ところであろう? あなたの名は?
ウスナの家 (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
只一日の如く甲斐々々かひ/″\しく看護みとり仕つりし其孝行を土地ところの人も聞傳きゝつたへてほめ者にせられしが遂に其甲斐かひなく十四歳のみぎり右母病死びやうし仕つり他にたよるべき處もなきにより夫より節を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
信州しんしゅう戸隠とがくし山麓なる鬼無村きなしむらという僻村へきそんは、避暑地として中々なかなか土地ところである、自分は数年ぜんの夏のこと脚気かっけめ、保養がてらに、数週間、此地ここ逗留とうりゅうしていた事があった。
鬼無菊 (新字新仮名) / 北村四海(著)
昨今此の辺に大分だいぶ押込が這入ったり追剥が出たりして、土地ところの者が一方ならぬ迷惑致すを、貴殿等の御所業とは知らんで有ったが実に驚いた大悪無道だいあくぶどうわたくし素町人すちょうにんの身の上
お前さま先刻さきのほど、血相けっそうをかへてはしつた、何か珍しいことでもあらうかと、生命いのちがけでござつたとの。良いにつけ、悪いにつけ、此処等ここら人の土地ところへ、珍しいお客様ぢや。
二世の契 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
版には土地ところの習にて、梟せられたるものゝ氏名と其罪科とをりたり。果せるかな、中央に老女フルヰア、フラスカアチの産と記せり。われはいたく感動して、覺えず歩み退しりぞくこと二三歩なりき。
ゾッとするような白光りする背中のこぶ露出むきだした川村書記さんと、禿頭の熊みたような毛むくじゃらの校長先生が、自動車で連れてお出でになった三人の若い婦人のほかに、土地ところ芸妓げいこさんでしょう
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
日光を結構な土地ところと思つたのが間違で、日光には鋳掛いかけ屋の荷物のやうな、ぴか/\した建物があるだけで、那処あすこでは芸術は死んでゐる。
「お礼申します。土地ところの方々、職方一同、おかげで目出度めでとう出来た。ひとえに神助しんじょ、また、みんなのおかげだ。かさねて、お礼をいう」
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
久し振で帰つて見ると、かつては『眠れる都会』などと時々土地ところの新聞に罵られた盛岡も、五年以前とは余程その趣を変へて居る。
葬列 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「ああ、それはいい土地ところですなあ!」そういって所長は、あの県下では牧草の出来が素晴らしいなどと撥を合わせた。
はい、浪打際に子産石こうみいしと云うのがござんす。これこれでここの名所、と土地ところ自慢も、優しく教えて、石段から真直まっすぐに、畑中はたなかを切って出て見なさんせ、と指さしをしてくれました。
草迷宮 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ダイヤモンド入りの時計を下賜かしされたという事や、いたる土地ところの大歓迎のはなしや、ホテルの階段に外套がいとうを敷き、貞奴の足が触れたといって、狂気してかかえて帰ったものがあったことや
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
何ぞと見るに雉子きじ雌鳥めんどりなれば、あわれ狩する時ならばといいつつそのままやみしが、大路を去る幾何いくばくもあらぬところに雉子などの遊べるをもておもえば、土地ところのさまも測り知るべきなり。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
頼みけるに此は色情より事起りて盜人は家内にありをんな成べし後には公事くじ出入にも成ん隨分身をつゝしまれよと云て歸りしが此時土地ところの醫師高田玄伯げんぱく通り掛しをも呼込み又々占考うらなひを頼みけるにぜに六文を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
われは殘れる謝肉祭の時間を面白く過さんとて、假粧舞フエスチノにはに入りぬ。堂の内には處狹ところせまきまで燈燭を懸け列ねたり。假粧けはひせる土地ところの人、素顏のまゝなる外國人と打ちまじりて、高き低き棧敷を占めたり。
そして大威張りで土地ところ一番のブラツクストンホテルへ泊つた。土地不案内な博士はある日日本の留学生を一人連れて散歩へ出た。
土地ところでこそ左程でもないが、隣村へでも行つたら、屹度衆人みんなが叔父の前へ来て頭を下げるだらう。巡査だつてうに違ひない。
刑余の叔父 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
土地ところの支配者の権限にせられているし、かつは鎌倉の示唆にも「その策と手段は島の実状にてらして、臨機応変におこなえ」
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたし、ほんとに幸福しあはせでした。わたしは生まれて十五年の月日をすごした土地ところへ帰つてゐたのです。
それに土地ところ馴れないのに、臆病おくびょうな妓ですから、早瀬さんがこうやって留守にしていなさいます、今頃は、どんなに心細がって、戸に附着くッついて、土間に立って、帰りを待っているか知れません
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
打渡うちわたり箱根のたうげも難なく越え藤澤の宿しゆくとまりたる其夜友次郎はにはか熱氣ねつきつよく起りもだえ苦みけるにぞお花の驚き一方ならず土地ところの醫者を頼みて見せけるに是は大暑たいしよの時分に道中を給ひし故邪氣じやき
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
梅雨つゆが明けて雷が鳴る頃になつた。雷といへば上州あたりには雷狩かみなりがりをして、とらへた奴をれうつて食べる土地ところがあるげに聞いてゐる。
淳朴じゅんぼくな土民のうちにもまた乱世に乗じて一ト儲けを賭ける野性がいなくもないのであった。——これが土地ところに詳しい案内人であったとみえる。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
何しろ、北海道へ渡つて漸々やうやう四ヶ月、内地(と彼地あちらではいふ。)から家族を呼寄せてうちを持つた許りの事で、土地ところに深い親みは無し、私も困つて了つた。
札幌 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
土地ところの庶民階級の丸太づくりの粗削りな一階建のささやかな家がごたごたと塊まっている中に、ぽつねんと一つだけ突き出している、窓の半分は見せかけだけという
土地とち按摩あんまに、土地ところはなしくのである。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
「厭になるよ。こんなに身代が肥つて来ちや、今度の邸が出来上つたからつて、おいらの身分として今更あんな土地ところにも引込ひつこめなからうしさ。」
ままよ親分だから言ッちまいますがね、じつあ、自分たち放免組が土地ところの女子供までつかって、やっと探りあてた千早城の水ノ手の調書……。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半生を放浪の間に送つて來た私には、折にふれてしみじみ思出される土地ところの多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい樣な懷しい記憶を私の心に殘した土地は無い。
札幌 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
そのとき彼の先祖さきおやの亡霊どもが生前に、おのおの住みし土地ところより、伸びあがり立ちあがり、各自の受けし苦しみの、返報としてその男の、かばねに飛びつきくらひつき、裂きつちぎりつ永遠に
わざ/\送るといふのだから柿は屹度土地ところの名物に相違なからうと思つて、会ふ人ごとにそれとなく鎌倉の名物を訊いてみた。
「お……。ここはふもとの降り道か。じつアな土地ところの衆、ゆうべ沂嶺きれいの上で、連れていたおらの大事なおふくろを、虎にい殺されてしまってさ」
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
半生を放浪の間に送つて来た私には、折にふれてしみ/″\思出される土地ところの多い中に、札幌の二週間ほど、慌しい様な懐しい記憶を私の心に残した土地ところは無い。
札幌 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
鴨の群れはまだ土地ところの沼地に群れてゐたが、鷦鷯みそさざいはもう影も見せなかつた。曠野ステッピは一面に赤くなつた。そこここに穀類の禾堆いなむらが、ちやうど哥薩克の帽子のやうに野づらに点々と連なつてゐた。
坊主、遊女、土地ところの名代などが、さっそくその陣営には、うるさいほど、献上物をたずさえて、びを呈しに寄ってきた。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いつもはぬらくら者の水が、案外皮肉で、土地ところの知事がぼんやりしてゐる時間ときをよく知つてゐるものだといふ事を教へて呉れたのも洪水の力だ。
(初めは唯一人で外交も編輯も校正も、時としては発送までやつたものださうだが、)毎日々々土地ところの生きた事件を取扱つて来た人だけ、其説には充分の根拠があつた。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
しかし、それらの将門の弟たちの没命地にも、土地ところの人々の手厚い埋葬があったとみえ、みな地方地方で祠とか村社みたいな森にはなっている。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
汽車が途中のある駅につくと、停車場ていしやぢやうにはこの偉大な政治家を一目見ようといふ物好きな土地ところの人が一杯に待つてゐた。
私の居たのは、「釧路日報」と云つて、土地ところで人望の高い大川道会議員の機関であつた。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
と、州の長官以下、大小の諸役人から土軍はもちろん、土地ところの男女僧俗まで、みな道に堵列とれつして、こう大将を出迎えた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ある時久し振にふるい友達が訪ねて来たので、天文学者は滅多にきつけない土地ところ一番の料理屋へ引張つて往つた。
が、私が追々と土地ところの事情が解つて来るにれて、此神経過敏の理由わけも読めて来た。
菊池君 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)