備後びんご)” の例文
……されば九州で危いのはまず黒田と細川(熊本)であろう……と備後びんご殿(栗山)も美作みまさか殿(黒田)も吾儕われらに仰せ聞けられたでのう。
名君忠之 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ネンギリという名前が備後びんごの府中などにはある。打つという代りに切るともいっていたのか、或いはまた別の言葉だったかも知れぬ。
こども風土記 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
うわさには、花隈はなくまから兵庫の浜へ出て、船をひろい、備後びんご尾道おのみちへ落ちて行ったとあるが——ようとしてしばらく所在が知れなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
日本人はまた、使節とケンペルとに備後びんごの年齢は幾歳ぐらいに見えるかと尋ねるから、使節は五十と答え、ケンペルは四十五と答えた。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
また備前、備中びっちゅう日御碕ひのみさきというものあり、備中、備後びんごにトウビョウというものあり。いずれも人について人を悩ますことをいえり。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
蒲生褧亭の『近世偉人伝』を見るに小野湖山は註して「備後びんご五弓ごきゅう士憲カツテ翁(星巌)ノ年譜ヲ作ル。イマダ世ニ行ハレズ。惜シムベシ。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
白井備後びんごと粟野杢助もくすけは鞍馬の奥の方へ立ち退き、ひそかに上意を待っていたところへ、徳善院の方から小池清左衛門と云う者を使に寄越した。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
けれども秘密の早船を仕立て、大坂、備後びんごとも周防すおうかみせきの三ヶ所に備へを設け、京坂の風雲は三日の後に如水の耳にとゞく仕組み。用意はできた。
二流の人 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
は今備後びんごともより松山へ渡る汽船の甲板の上で意気込んで居る。何の意気込だ。夏目先生の『坊つちやん』の遺蹟を探らうとしての意気込みだ。
坊つちやん「遺蹟めぐり」 (新字旧仮名) / 岡本一平(著)
その手に一条の竹のむちを取って、バタバタと叩いて、三州は岡崎、備後びんごは尾ノ道、肥後ひごは熊本の刻煙草きざみたばこ指示さししめす……
露肆 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
私は人麿上来の道筋をば、出雲路、山陰道を通過せしめずに、今の邑智郡から赤名越あかなごえをし、備後びんごにいでて、瀬戸内海の船に乗ったものと想像している。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
備後びんごの国に入れば、もう広島県であります。備後といえばすぐ「備後表びんごおもて」や「備後絣びんごがすり」の名が浮びます。おもてとは畳表のことで、良質を以て名が聞えます。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
ここは備後びんごの南端にある、小さな港です。私は深いふちのようにたたえた海にのぞんだ、西洋風の部屋を約束しました。この部屋から見ると静かな湾は湖のように思われます。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
備後びんごともにて」という前書がある。旅中の気楽さは元日といえども悠々ゆうゆうと朝寝をしている。もう御雑煮が出来ましたから御起き下さい、といわれてようやく起出すところである。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
そういう状態で彼は友に招かれたり、また伴れに誘われたりして備後びんごから播州ばんしゅうの寺々をあさり歩いた。彼は体力が強いので、疲れた伴れの三人分の荷物を一人で引受けたりした。
宝永噴火 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
……備後びんごでは桜山四郎入道がこれも北条家討伐の、宮方の兵を挙げたそうじゃ。……ひょっとかするとこの入道なども、連判状へ記名している。その一人かも知れぬではないか
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
それが秀頼ひでより公初め真田幸村等の薩摩落さつまおちという風説を信じて、水の手から淀川口よどがわぐちにと落ち、備後びんご安芸あきの辺りに身を忍ばせていたが、秀頼その他の確実に陣亡じんぼうされたのを知るに及んで
怪異黒姫おろし (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
「お尋ねをこうむるほどの者には候わず、愚僧は備後びんご尾道おのみち物外もつがいと申す雲水の身にて候」
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
平櫛田中ひらくしでんちゅう君は人の知る如く日本美術院の同人である。大阪で修業をされ、中年に私の門下となった。朝雲君等と同じく手を取って教えた人ではない。出身地は備後びんごであったかと思います。
またその國からお遷りになつて、備後びんごの高島の宮に八年おいでになりました。
葛原勾当は予が郷里備後びんごの人にして音楽の技を以て其名三備に高かりき。
盲人独笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
備後びんごの人いわく兎糞を砂糖湯で服すると遺尿に神効ありと。
児島備後びんご三郎大人うしの詩の心を
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
つまり……毛利方から提示して来た条件というのは、この際、媾和こうわするならば、備中びっちゅう備後びんご美作みまさか因幡いなば伯耆ほうきの五ヵ国を割譲かつじょうしよう。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この迷信だけは近年はなくなったらしい。余は備後びんごにて、大社教の管長についても、これと同じ話を聞いている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
『倭名鈔』の郷名には駿河富士郡久弐くに郷がある。また備後びんご御調みつぎ郡、周防すおう玖珂くが郡、筑前の糟屋かすや郡ともに柞原郷があって、後の二つは明らかにクハラと訓んでいる。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
宿直のものから、ただいま伊勢いせ(老中阿部あべ)登城、ただいま備後びんご(老中牧野)登城と上申するのを聞いて、将軍はすぐにこれへ呼べと言い、「肩衣かたぎぬ、肩衣」と求めた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
太宰帥だざいのそち大伴旅人が、天平二年冬十二月、大納言になったので帰京途上、備後びんご鞆の浦を過ぎて詠んだ三首中の一首である。「室の木」は松杉科の常緑喬木、杜松(榁)であろう。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
門司から備後びんごの尾ノ道まで乗りました汽船にも酔いもせずに、三日三夜かかって新橋に着きますと、岡沢先生御夫婦のお迎えを受けまして谷中やなかの閑静なお宅に御厄介になりましたが
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
播磨はりま美作みまさか備前びぜん備中びっちゅう備後びんご安藝あき周防すおう長門ながとの八ヵ国を山陽道さんようどうと呼びます。県にすれば兵庫県の一部分、岡山県、広島県、山口県となります。ざっと明石あかしから下関までであります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
備後びんごの国神石郡の田植唄に
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「三河からさえ、着いたほどだ。……摂津、播磨はりま備後びんごあたりの武者ばらも、駈け参じるなら、はや見えてよい頃だが」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備前びぜん備後びんごにては、猫神、猿神と名づくるものがあるそうだ。これらはみな類似のものに違いない。民間に伝われる書物に『人狐弁惑談じんこべんわくだん』と申すものがある。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
備後びんごの塩原の石神社などは、村の人たちは猿田彦さるたひこ大神だと思っておりました。その石などもおいおいに成長するといって、後には縦横共に一丈以上にもなっていました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
備後びんご入道とは、松江市から見て東南の空に起る夏の雲のことをいふとか。宍道湖しんじこのほとりでは、毎日のやうにその白い雲を望んだ。東京から二百三十三里あまり。私達もかなり遠く來た。
山陰土産 (旧字旧仮名) / 島崎藤村(著)
備後びんご福山近在にて夏の夜、数日間つづきて火の玉が出るという評判が伝わり、福山の教育家連が誘い合って、一夜探検に出かけたが、果たして評判のごとく
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
備後びんごともにありと知った足利義昭あしかがよしあきへも使いを派し——この古物の野心家をうごかして——いざの場合、毛利をしてふたたび秀吉の背後をおびやかさしめんなど、几案きあん作戦は
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その古い話というものの一つは、広島県備後びんご疫隅宮えすみのみやという神社の由来で、これは延長年間の風土記に出ていたというが、それが事実であっても弘法大師よりはずっと新しい。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
つぎに安芸あきのトウビョウ、備後びんご外道げどう備前びぜんのチュウコなどは山陽独特に相違ない。安芸のトウビョウは、一般の説では蛇であると申している。すなわち蛇つきである。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
先帝の龍駕りょうがを奪うにも、しょせん、都附近では、事成りがたしと見て、遠く護送使の列が、備後びんご美作みまさかの山中の行旅へかかる日、その願望を遂げんとするのではありますまいか
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備後びんご下山守しもやまもり村に、太郎左衛門という信心深い百姓があって、毎年かかさず安芸あきの宮島さんへ参詣さんけいしておりました。ある年神前に拝みをいたして、私ももう年をとってしまいました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
黒田父子の主人筋で、一たん織田方へ味方しながら、中道で寝返りを打った御著ごちゃくの小寺政職まさもとは、三木陥落と聞くやいな、戦いもせず、居城御著をすてて、備後びんご方面へ潰走かいそうしてしまった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
備後びんご比婆ひば八鉾やほこ村大字油木字間平小字鑢
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
伊勢国(山田、松阪、津、一身田、四日市、桑名) 尾張国(名古屋、熱田、津島、大野、半田) 三河国(豊橋、岡崎、北大浜、西尾、蒲郡、豊川) 遠江とおとうみ国(掛川、浜松、平田、中泉) 駿河するが国(静岡、小川、清水、藤枝) 相模さがみ国(大磯) 武蔵国(忍) 上総かずさ国(千葉、茂原) 近江おうみ国(大津、豊蒲、五ヶ荘、愛知川、八幡、彦根、長浜) 美濃国(岐阜) 上野こうずけ国(安中、松井田、里見、高崎、八幡) 岩代いわしろ国(福島) 陸前国(築館、一迫) 陸中国(盛岡、花巻) 陸奥むつ国(弘前、黒石、板屋野木、鰺ヶ沢、木造、五所川原、青森、野辺地) 羽前うぜん国(米沢、山形、寒河江、天童、楯岡、新庄、鶴岡) 羽後うご国(酒田、松嶺、湯沢、十文字、横手、沼館、六郷、大曲、秋田、土崎、五十目、能代、鷹巣、大館、扇田) 越後国(新井、高田、直江津、岡田、安塚、坂井、代石、梶、新潟、沼垂、葛塚、新発田、亀田、新津、田上、加茂、白根、三条、見附、浦村、片貝、千手、六日町、塩沢、小出、小千谷、長岡、大面、寺泊、地蔵堂、新町、加納、野田、柏崎) 丹波国(亀岡、福知山) 丹後国(舞鶴、宮津、峰山) 但馬たじま国(出石、豊岡) 因幡いなば国(鳥取) 伯耆国(長瀬、倉吉、米子) 出雲国(松江、平田、今市、杵築) 石見いわみ国(波根、太田、大森、大国、宅野、大河内、温泉津、郷田、浜田、益田、津和野) 播磨はりま国(龍野) 備前びぜん国(閑谷) 備後びんご国(尾道) 安芸国(広島、呉) 周防すおう国(山口、西岐波、宮市、徳山、花岡、下松、室積、岩国) 長門ながと国(馬関、豊浦、田辺、吉田、王喜、生田、舟木、厚東、萩、秋吉、太田、正明市、黄波戸、人丸峠、川尻、川棚) 紀伊国(高野山、和歌山) 淡路国(市村、須本、志筑) 阿波国(徳島、川島、脇町、池田、撫養) 讃岐さぬき国(丸亀、高松、長尾) 伊予国(松山、宇和島、今治) 土佐国(高知、国分寺、安芸、田野、山田、須崎) 筑前国(福岡、若松) 筑後国(久留米、吉井) 豊前ぶぜん国(小倉、中津、椎田) 豊後ぶんご国(日田) 肥前ひぜん国(長崎、佐賀) 肥後ひご国(熊本) 渡島おしま国(函館、森) 後志しりべし国(江差、寿都、歌棄、磯谷、岩内、余市、古平、美国、小樽、手宮) 石狩国(札幌、岩見沢) 天塩てしお国(増毛) 胆振いぶり国(室蘭)
妖怪学講義:02 緒言 (新字新仮名) / 井上円了(著)
流寓落魄りゅうぐうらくはくの果てに、備後びんごともで政職が死んだとき、その子氏職うじもとが、落ちぶれ果てているのを求め、信長に詫び、秀吉にすがり、旧主の子の助命に骨を折って、黒田家の客分として迎え
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
タジンコ 備後びんご深安ふかやす
再び使いを派して、備後びんごともにある足利義昭よしあきに密書を送り、毛利をして西国より動かしめんと努め、一方、浜松の徳川家康へも使いを立て、極力一方の援けを求めつつあったらしい。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
毛利をめぐ衛星えいせいとしては、播州に赤松あかまつ別所べっしょがあり、南部中国には宇喜多うきた、北部の波多野はたの一族などあって、その勢力圏せいりょくけんは、安芸あき周防すおう長門ながと備後びんご備中びっちゅう美作みまさか出雲いずも伯耆ほうき隠岐おき因幡いなば
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長尾遠江守——中条越前守——柿崎和泉守——甘糟あまかす近江守——宇佐美駿河守——和田喜兵衛——石川備後びんご——村上左衛門尉義清——毛利上総介かずさのすけ——鬼小島弥太郎——阿部掃部かもん——直江大和守——鮎川摂津守せっつのかみ——高梨政頼——新発田しばた尾張守
上杉謙信 (新字新仮名) / 吉川英治(著)