修行しゅぎょう)” の例文
女は物も云わず、修行しゅぎょうを積んだものか泣きもせず、ジロリと男を見たるばかり、怒った様子にもあらず、ただ真面目まじめになりたるのみ。
貧乏 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
はややくにもたたぬ現世げんせ執着しゅうちゃくからはなれるよう、しっかりと修行しゅぎょうをしてもらいますぞ! 執着しゅうじゃくのこっているかぎ何事なにごともだめじゃ……。
お父さまは何とかしてお母さまのことをおあきらめになろうとして、その修行しゅぎょうをなすっていらっしゃるのですよ、と云うのであった。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「みんな、ああして修行しゅぎょうをして、おおきくなって、いい商人しょうにんになるのですよ。」と、おかあさんは、いって、しばらくかんがえていらっしゃいました。
風雨の晩の小僧さん (新字新仮名) / 小川未明(著)
心細さは申すまでもなかったが、卑怯ひきょうなようでも修行しゅぎょうの積まぬ身には、こういう暗い処の方がかえって観念に便たよりがよい。
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
俊寛しゅんかん云いけるは……神明しんめいほかになし。ただ我等が一念なり。……唯仏法を修行しゅぎょうして、今度こんど生死しょうしを出で給うべし。源平盛衰記げんぺいせいすいき
俊寛 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
私のことを「まあ御気丈おきじょうな、お独り子を修行しゅぎょうためとは言え、よくあんな遠方えんぽうへ置いてらしった。流石さすがにあなた方はお違いですね。判ってらっしゃる」
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
修行しゅぎょうの浅い我々でござれば、果たして奇特きどくの有る無しはお受け合い申されぬが、ともかくも一心を凝らして得脱とくだつの祈祷をつかまつると致しましょう」
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それは私が始め出立しゅったつの時分に立てた真実の目的はチベットにおいて充分仏教の修行しゅぎょうげ、少なくとも大菩薩だいぼさつになって日本に帰りたいという決心でありました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
長い間の修行しゅぎょうをして、ついに火の神オルムーズドから、どんな物でも煙にしてしまう術をさずかりました。
手品師 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
そして一月ひとつきに三ずつ、おはいってからだきよめて、そこへおこもりになり、ほとけみち修行しゅぎょうをなさいました。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
まだまだおまえは修行しゅぎょうが足りない。なぜめしいとなったなら、心眼しんがんをひらくくふうをせぬ。ものは目ばかりでみるものではない。心の目をひらけば宇宙うちゅうの果てまで見えてくるよ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ京の修行者しゅぎょうじゃ修行しゅぎょうして廻って行ったところが、右の浮浪の長は、汝も浮浪人だからおれ手下てしたになって運上を出せよと云って、ひどくこれを痛めつけたことが見えております。
つまり斯ういう具合に両方から快諾を得れば、初めの嘘がまことになる。学校は学問ばかり教えるところでないと校長さんも言っている。僕達は学科課程の外にこの種の外交政略の修行しゅぎょうもするのである。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
正式に仏教というものと関係があるということを申しますと、坐禅をしたことがありますが、それは正式の仏教としての修行しゅぎょうであります。けれども仏教の哲学とか経典とかいうものはよく知りませぬ。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
わたくしみぎ懐剣かいけん現在げんざいとても大切たいせつ所持しょじしてります。そして修行しゅぎょうときにはいつもこれ御鏡みかがみまえそなえることにしてるのでございます。
修行しゅぎょうわってかえったら、そのときは、みなさんのために、ちからいっぱいはたらきます……と、彼女かのじょは、こころちかったのでした。
汽車は走る (新字新仮名) / 小川未明(著)
仏法の修行しゅぎょうが充分出来て居るではなし、わずかにこの身をのがれて来たからといって、世界に対する義務とか何とか書生の喜ぶような事をいって胡魔化ごまかそうとしても
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そして始終しじゅう、祭壇に燃える火を絶やしてはいけませんでした。ハムーチャは何度か力を落としましたが、その度毎たびごとに思いあきらめて、ともかく七年間の修行しゅぎょうを終えました。
手品師 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それはわたくしども山伏やまぶしのならいで、みちのない山奥やまおくまでもけて修行しゅぎょうをいたします。
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
(いえ、もったいない、修行しゅぎょうの身が馬で足休めをしましょうなぞとは存じませぬ。)
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
わたくし岩屋いわや修行しゅぎょうというのは、つまりうした失敗しっぱいとお叱言こごとりかえしで、自分じぶんながらほとほと愛想あいそきるくらいでございました。
どうなりこうなり二十年の修行しゅぎょうを済まして、博士の名を貰った人はどういう事をするかというと
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
すると村長そんちょうらしい老人ろうじんが、「おまえさんが、いままでけたつらい修行しゅぎょうのおかげで、あのたかがけのぼれたのだから、その宝物たからものは、だれのものでもない、おまえさんのものだ。」
サーカスの少年 (新字新仮名) / 小川未明(著)
だれの目にも山の中を修行しゅぎょうしてある山伏やまぶしとしかえないような姿すがたにいでたちました。
大江山 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
「授けてもよいが、それには七年間苦しい修行しゅぎょうをしなければならないぞ」
手品師 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
わたくしはむかしシナの南岳なんがくという山にんでいて、長年ながねんほとけみち修行しゅぎょういたしました。こんど日本にほんくにまれてることになりましたから、むかしのとおりまたおきょうんでみたいとおもいます。
夢殿 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
むかし、三にんぼうさんが、日本にっぽん国中くにじゅう方々ほうぼう修行しゅぎょうしてあるいていました。
人馬 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)