紫陽花あじさい)” の例文
精力的で血の気の多い依右衛門が、この紫陽花あじさいのような女を、心から好きになったというのも、うなずかれないことではありません。
彼女は非常なる才女で文学の嗜みが深く、俳句を巧みにする、先年この人の姉が病死した時の句に、「紫陽花あじさいや見る見る変る爪の色」
青春物語:02 青春物語 (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
となりと云っても、そのあいだにかなりの空地あきちがあって、そこには古い井戸がみえた。井戸のそばには大きい紫陽花あじさいが咲いていた。
半七捕物帳:32 海坊主 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
例えば天上の星のように、瑠璃るりを点ずる露草つゆくさや、金銀の色糸いろいと刺繍ししゅうのような藪蔓草やぶつるくさの花をどうして薔薇ばら紫陽花あじさいと誰が区別をつけたろう。
かの女の朝 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
夏の事でね、庭に紫陽花あじさいが咲いていたせいか、知らないけれど、その姿見のあおさったら、月もささなかったって云うんですがね。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
春竜胆はるりんどう勿忘草わすれなぐさの瑠璃草も可憐な花である。紫陽花あじさい、ある種の渓蓀あやめ、花菖蒲にも、不純ながら碧色を見れば見られる。秋には竜胆りんどうがある。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
紫陽花あじさい矢車草やぐるまそう野茨のいばら芍薬しゃくやくと菊と、カンナは絶えず三方の壁の上で咲いていた。それははなやかな花屋のような部屋であった。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
それはこの喫茶店に、露子という梅雨空つゆぞらの庭の一隅に咲く紫陽花あじさいのように楚々そそたる少女が二人の間に入ってきたからであった。
火葬国風景 (新字新仮名) / 海野十三(著)
廊下には紫陽花あじさいだの、大輪の菊の花だの、モスクヷでは貴重な花の鉢が飾られている。高い窓と窓との間の壁にプラカートがはられていた。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
弾力を持った山肌は、すがすがしい朝陽を真っ向に浴び、紫陽花あじさい色に輝いていた。降り積もった雪もなかば解け、中腹以下は裸体であった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
枇杷びわの実は熟して百合ゆりの花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込うえごみの蔭には、七度ななたびも色を変えるという盛りの長い紫陽花あじさいの花さえ早やしおれてしまった。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
道の向う側の黒い板塀の下に一株の紫陽花あじさいが咲いていて、その花がいまでもはっきり頭に残っているところから考えると
(新字新仮名) / 太宰治(著)
はっと、うしろを振り顧ると、紫陽花あじさい繁茂しげっている崖の中腹に、黒い、覆面の魔物が、肩先を見せて、逃げかけた。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蚊帳かやから出た時に、薄暗い庭の植込みに、大輪な紫陽花あじさいの花を見出すと、その時の九女八のおでんが浮びあがるといったことや、それは、浅草蔵前くらまえの宿で
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
会ったら一つへこましてやりたいがなあ……なんかと考えながら来るともなく法医学部の裏手に来ると、紫陽花あじさいの鉢を置いた窓から吾輩を呼び止めた奴がある。
超人鬚野博士 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
ことに蜀葵たちあおい、すべりひゆのまばゆい程の群団、大きな花のかたまりを持つ青紫の紫陽花あじさい等は、見事であった。梅や桜は果実の目的でなく、花を見るために栽培される。
夕景に蚊遣かやりを焚いて居る様子、庭の方を見ると、下らぬ花壇が出来て居りまして、其処に芥子けし紫陽花あじさいなどが植えて有って、隣家となりも遠い所のさびしい住居すまいでございます。
敵討札所の霊験 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
くるまの幌をずさせ夫人は紫陽花あじさい色に澄みわたった初夏の空に、パラソルをぬっとかざしていた。
南方郵信 (新字新仮名) / 中村地平(著)
ぶるぶると震動したかとおもわれて、振りかえると、兜形かぶとがたをした焼岳の頭から、白い黄な臭そうな硫烟が、紫陽花あじさいのような渦を巻いて、のろしとなって天に突っ立っている。
谷より峰へ峰より谷へ (新字新仮名) / 小島烏水(著)
夏は小さい庭の桃の実がった。桃の実は一昨年は五拾個で去年は四拾個で、今年は六拾個であった。うまかった。紫陽花あじさいは小さい茎を植えたのだが、四年に始めて花を開いた。
老人と鳩 (新字新仮名) / 小山清(著)
女教員はすみれ色のはかまをはっきりと廊下に見せて、一二、一二をやりながら、そこまで来て解散した。校庭には九連草れんそうの赤いのが日に照らされて咲いていた。紫陽花あじさいの花もあった。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
町から少しはなれ家根やね処々ところどころに見える村だ。空は暗く曇っていた。おしまという病婦が織っているはたの音が聞える。その家の前に鮮かな紫陽花あじさいが咲いていて、小さな低い窓が見える。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
また紫陽花あじさいという名であるのを知ったのは、私がもう十二三になってからだった。
幼年時代 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
しとしとと雨の降る、午下ひるさがりだった。歌麿はいつものように机にもたれて茫然と、一坪の庭の紫陽花あじさいそそぐ、雨のあしを見詰めていた。と、あわててはいって来たおつねが、来客を知らせて来た。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
東隣でことと尺八を合せる音が紫陽花あじさいの茂みをれて手にとるように聞え出す。すかして見ると明け放ちたる座敷のさえちらちら見える。「どうかな」と一人が云うと「人並じゃ」と一人が答える。
一夜 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
と紅茶を持て来しくれないのリボンの少女に紫陽花あじさい花簪はなかんざしを与えつ。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
空色の単衣に青磁色の帯は、紫陽花あじさいのような幽邃ゆうすいな調子があって、粋好みのお秀が好きで好きでたまらない取合せだったのです。
淡紅色の紫陽花あじさいの一面に並んでいる壁面には、豪華な幕が張り廻らされ、三方に映り合った花叢はむらむらと霞の湧き立つような花壇であった。
旅愁 (新字新仮名) / 横光利一(著)
「大変なことが起ったのだよ。『れた紫陽花あじさい』君、例のマッチ箱が日本人の手に渡ったため、わが第A密偵区は遂に解散にまで来てしまった」
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
時々人魂があらわれる。不思議や鬼火は、大きさも雀の形に紫陽花あじさいの色を染めて、ほとほとと軒を伝う雨のしずくの音を立てつつ、棟瓦むながわらを伝うと云うので。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いつもより沢山……紅葉、紫陽花あじさい、孔雀草、八つ手、それぞれ特有な美くしさと貴さで空と土との間を色どって居る。
岸に咲いている紫陽花あじさいの花が、その飛沫に濡れたのか、陽に艶めいて見えるさわやかな景へ、鋭い瞳を注いでいたが
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すうと、血が引いてゆく彼女のおもてに、左の瞼へかけての、打身の痣だけが、紫陽花あじさいいろに濃く残った。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水は、ささやきながら流れている。鮎が、すっと泳ぎ寄って蚊針をつつき、ひらと身をひるがえして逃れ去る。素早いものだ、と佐野君は感心する。対岸には、紫陽花あじさいが咲いている。
令嬢アユ (新字新仮名) / 太宰治(著)
すると今まで静かに茶褐色の天鵞絨ビロードに包まれて、寝ていたかと思われる浅間山が、出し抜けに起き出してでも来るように、ドンドンと物をげ出す響きにつれて、紫陽花あじさいの大弁を
日本山岳景の特色 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
声は隣家の塀の内にあるらしく思われた。塀の内には紫陽花あじさいが繁って咲いていた。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
五、六日にすこし寒さが続いたが、でもあたたかだった。庭の寝椅子に腰を下していた。青蛙が紫陽花あじさいの葉にのっかった。青蛙はじっとしている。ふと、跛の娘を思った。昼頃、老人は飯屋に寄った。
老人と孤独な娘 (新字新仮名) / 小山清(著)
夕暮よりも薄暗い入梅の午後牛天神うしてんじんの森蔭に紫陽花あじさい咲出さきいづる頃、または旅烏たびがらすき騒ぐ秋の夕方沢蔵稲荷たくぞういなり大榎おおえのきの止む間もなく落葉おちばする頃、私は散歩の杖を伝通院の門外なる大黒天だいこくてんきざはしに休めさせる。
伝通院 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
紫陽花あじさいくころに
私は姉さん思い出す (新字新仮名) / 小川未明(著)
紫陽花あじさいのような感じのする娘お妙が、不自由な足を引摺ひきずってお勝手へ出て来ると、父親の袂を引いて、その我武者羅がむしゃらな強気を牽制しながら
その時、提紙入ハンドバックの色が、紫陽花あじさい浅葱あさぎ淡く、壁の暗さに、黒髪も乱れつつ、産婦の顔のしおれたように見えたのである。
灯明之巻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
紫陽花あじさいが紫陽花らしいことに何の疑いもはさまれていず、紅梅が紅梅らしいのに特殊な観念化は附加されていない。
紫陽花あじさい色に煙っている。天井から下がっている瓔珞龕ようらくがん、そこから射している灯の光それが煙らしているのである。
神秘昆虫館 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
殊に、紫陽花あじさいの壺は、たいから長い渡り廊下をへだて、内裏の弘徽殿も及ばない構造といわれている。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水辺に夕暮の淡い色をじみ出した紫陽花あじさいの一と群れに交わって、丸裸のまま、ギイギイ声を立て、田から田へせわしく水を配ばり、米をぎ、材木をいたりして、精を出して働いている。
不尽の高根 (新字新仮名) / 小島烏水(著)
平次の返事も待たずに、お栄は何んの思い入れもなく、風呂場へでも行ったような無造作な態度で、紫陽花あじさい色の単衣の肌を押し脱ぐのでした。
梅雨つゆの頃は、闇黒くらがりに月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花あじさいも、この二、三年こっちもう少い。
二、三羽――十二、三羽 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
夜光虫の光で胎内の国は、紫陽花あじさい色に煙っていた。あらゆる人工天工が、陰影かげのない微光に照らされていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
東山義政ひがしやまよしまさ数奇すきと風雅をこらしたにわがあった。紫陽花あじさい色の夕闇に、灯に濡れたこけの露が光っていた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
春先、まだ紫陽花あじさいの花が開かず、鮮やかな萌黄の丸い芽生であった頃、青桐も浅い肉桂色のにこげに包まれた幼葉を瑞々しい枝の先から、ちょぽり、ちょぽりと見せていた。
透き徹る秋 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)