眩惑げんわく)” の例文
それは自ら危難を冒しておのれの眩惑げんわくを分析し推究する。一種の荘厳な反動によって自然を眩惑するともほとんど言い得るであろう。
それでなくとも、眩惑げんわくの底に流れているものは、いつも寂しい空虚感で、それを紛らすためには、絶えず違った環境が望ましかった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
私の眩惑げんわくされた眼は、われ知らず、姿見の深みを探つた。そのまぼろしの虚影のなかでは、何もかもが、現實より一層冷たく陰鬱に思はれた。
しかし喧騒、咆哮ほうこうは、よく反響する絶壁に当って、何倍にもされながら、たかまりひろがり、眩惑げんわく的な狂気にまでふくれあがった。
ちょうど立派な風采だけをつけたようなもので、容貌風采、出立いでだちがよいのであります。その出立に日本人は眩惑げんわくされております。
クリストフは幻覚に襲われ、一身を挙げて緊張していたが、臓腑ぞうふまでぞっと震え上った。……ヴェールは裂けた。眩惑げんわくすべき光景だった。
その叫喊きょうかんは生まれいずる者の産声うぶごえであり、その恐怖は新しき太陽に対する眩惑げんわくであり、その血潮は新たに生まれいでた赤児の産湯うぶゆであった。
レ・ミゼラブル:01 序 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
読者に完璧かんぺきの印象を与え、傑作の眩惑げんわくを感じさせようとしたらしいが、私たちは、ただ、この畸形きけい的な鶴の醜さに顔をそむけるばかりである。
猿面冠者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
僕自身僕のポーズに眩惑げんわくされる傾向もたしかにあるが、正しく敬虔けいけんなる心において、あの家は暗い家だと僕はやっぱり判定する。笑うなかれ。
青い絨毯 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
これがむつかしく解しにくいもののように感じられたのは、その数量と新旧の錯綜さくそう、及び用法の変化の複雑さに基いた一種の眩惑げんわくであった。
地名の研究 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼等の死が成長であることを。その愛が持続であることを。彼等が孤独ならぬことを。情欲が眩惑げんわくでなく、狂気であまり烈しからぬことを。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ある日の夕方、あれかこれかと考えながら立戻って格子戸をあけると、そこに不意に眼を眩惑げんわくされるものを見せられました。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
だから、誰でも直ぐ眩惑げんわくされて、敬愛するようになるが、よく観察すると、内面的には小心で、中々意地の悪い所があり、且つ狡猾ずるい所がある。
血液型殺人事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
世間は、酒の歌と、女の脂粉と、元禄町人の豪奢ごうしゃと、侍たちの伊達小袖だてこそでと、犬医者と犬目附の羽振と、あらゆる眩惑げんわくや懐疑なものに満ちていた。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いわゆるスモークボールを飛ばして打者を眩惑げんわくする名投手グローブの投球の秘術もやはり主として手首にあるという説を近ごろある人から聞いた。
「手首」の問題 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
圧倒され眩惑げんわくされていただけでなく、そういう場合にどうすべきかということを知らなかったからだ。みすずは彼よりもはるかに能動的であった。
あだこ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
我らもこの点に留意して、奇蹟の現象そのものに眩惑げんわくせざるはもちろん、奇蹟の意義をばあまりに私的・個人的に解することは避けねばならない。
青の眩惑げんわくするやうな色の、女唐洋傘めたうがさを、開いたりつぼめたり、つるしたりするその店の商業ぶりとおなじく、若者たちの眼をひかないではゐなかつた。
「郭子儀」異変 (旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
種々雑多の現象に眩惑げんわくされて、ややともするとこれを見逃みのがそうとするが、山川草木の間に起る変化は他に煩わされることなく明らかにこれを見る事が出来る。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
市長さんから、大きな金の鍵ゴオルデンキイを頂くまでの市中行進も、ゆめのような眩惑げんわくさにあふれたものでしたが、そのうち、忘れられぬ一つの現実的な風景がありました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
眩惑げんわく驚愕きょうがく——勿論その一刹那せつなに、レヴェズが知性のすべてを失ってしまったことは云うまでもないのである。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
両君——篠田が山木剛造の娘に恋着して、其の二万円の持参金に眩惑げんわくして、資本党の門に降参したことは
火の柱 (新字旧仮名) / 木下尚江(著)
奇怪な馬が魔法鏡の前を通るたびに、ギョッとする大映しになって、のぞき見する男を眩惑げんわくさせた。
影男 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
やまいの床に小親とわれと引きつけては、二人の手を取り戯れて、小親に顔赤うさせし愉快のひとは、かくて手品師が人の眼を眩惑げんわくせしむる、一種の魔薬となり果てたり。
照葉狂言 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかし当時の私はただ眩惑げんわくされるだけであった。そして今頃になって、頭の片隅に残る色々な実験室内の場面をつづり合せながら、おぼろにその輪郭をたどるような始末である。
探検一行二十七名上越国界を定むとしよす、しばらく休憩きうけいをなして或は測量そくりやうし或は地図ちづゑがき、各幽微いうび闡明せんめいにす、且つ風光の壮絶さうぜつなるに眩惑げんわくせられ、左右顧盻こめんるにしのびず
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
しかし私たち国民は決してこのような「積極的自衛策」の口実に眩惑げんわくされてはなりません。
何故の出兵か (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
とにかく独逸ドイツの文化をののしるものが多くなって来た。早稲田大学で四十年来学問の独立を唱えているのはそういう軽薄な風潮に眩惑げんわくされないようにしたいというのが本旨である。
始業式に臨みて (新字新仮名) / 大隈重信(著)
国芳は武者奮闘の戦場を描き美麗なる甲冑かっちゅう槍剣そうけん旌旗せいきの紛雑を極写きょくしゃして人目を眩惑げんわくせしめぬ。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
人々はその絢爛けんらんさに長い間眩惑げんわくせられた。実際その時から美術は高まり、工藝は沈み始めた。そうして美術のみが美の標準を与えた。しかもその頃は個人主義勃興の時代である。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
胸のポケットの革の鉛筆さしに並べて揷した、赤や青や紫やの色とり/″\の鉛筆と、それ等の鉛筆の冠つた光彩陸離たるニッケルのカップとが、私の眼を眩惑げんわくさせたのであつた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
けれども読者の心目しんもく眩惑げんわくするに足る妖麗ようれいな彼の叙述が、にぶい色をした卑しむべき原料から人工的に生れたのだと思うと、それを自分の精神状態に比較するのが急にいやになった。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
見あげるようなその巨躯きょくに圧倒され、眩惑げんわくされていた。彼らの云うところにむかって、さて、それは——と、あれこれ思いめぐらす足がかりがこちらには何一つないのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
彼のむごたらしい抱擁ほうようの下に、死ぬほどに苦しみ悶えながら彼女の純潔が奪われていく瞬間を想像すると、渡瀬はふたたび眩惑げんわくするような欲望の衝動を感じないではいられなかった。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そして、その間にかれが示した気魄きはくと機知と、明徹めいてつな論理と、そして自然のユーモアとは、異変に眩惑げんわくされていた塾生たちを常態に引きもどすのに大きな役割を果たしたのである。
次郎物語:05 第五部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
あるいは実業家が拝謁はいえつを賜わりたりと聞き、おのれも実業家たらんと思うように、一時の現象に眩惑げんわくされて終身しゅうしんの方針を定むることは、必ず悪い結果をもたらすとは断言されぬが
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
眼を射る小判の色に眩惑げんわくされて、一枚二枚と小声で数えながら金を拾いあげはじめたが! その一つ一つに、出羽様の極印ごくいんで、丸にワの字が小さく押してあるのには、おさよはもとより
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
砂利じゃり車のあと押しをして、熱い熱い日の下に働いていたが、ふとはげしい眩惑げんわくを感じて地に倒れ、たすけられて自分の小屋に送り込まれてからは、いかな丈夫な身体からだもどうすることもできず
ネギ一束 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
中津へ移住する江戸の定府藩士は妻子と共に大都会の軽便流を田舎藩地の中心に排列はいれつするのいきおいなれば、すでに惰弱だじゃくなる田舎いなかの士族は、あたかもこれに眩惑げんわくして、ますます華美かび軽薄けいはくの風に移り
旧藩情 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
はじめ大川の盛名に眩惑げんわくされていた文壇は、米倉の戯曲をさほどには買わなかった。けれども米倉は隠忍した。我慢した。そうして大川がその絶頂に達したと思われた頃、彼はがぜん奮起した。
黄昏の告白 (新字新仮名) / 浜尾四郎(著)
ルイザのその両眼を眩惑げんわくせしめんとしている必死の戯れのようであった。
ナポレオンと田虫 (新字新仮名) / 横光利一(著)
つかの間の閃光せんこうが私の生命を輝かす。そのたび私はあっあっと思った。それは、しかし、無限の生命に眩惑げんわくされるためではなかった。私は深い絶望をまのあたりに見なければならなかったのである。
筧の話 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
この有様と、友のおもに現われた疲憊ひはいの色とから、予は彼が前夜中寝床に就かずにいたのだと判断した。その室の構造と装飾とにおける明らかな意匠は、人を眩惑げんわくし驚倒させるということであった。
それらの熱情的の愛の言葉は、わたしの感情や理性を眩惑げんわくさせました。
軽い眩惑げんわくが、私の後頭部から、戦慄せんりつともなって拡がって行った——
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
彼のうちにまた彼の上に司教からともされた仮借なき光明が、盲目ならんと欲する彼をいて眩惑げんわくさしたことも、幾度であったろう。
この時代の多くのフランス人と同じく、その栄光の太陽の遠い光に眩惑げんわくされていた。その戦役をやり直し、戦いを交え、作戦を議していた。
とあるのから見ても、そうした婦人ひとで、並々の容色と見えれば、厚化粧で人目を眩惑げんわくさせる美女よりも、確かであるということが出来ようかと思われる。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
眼を眩惑げんわくするような、極彩色の浮世絵の折本が一冊、ほころびかかっているのを見たものですから、油壺をそこへ差置くと、その折本をたぐってみました。
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それが第一義でありまた最大の難事であるのに、われわれの目は伝統に目かくしされ、オーソリティの光に眩惑げんわくされて、天然のありのままの姿を見失いやすい。
備忘録 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)