やま)” の例文
八重に対しても、美保子に対しても、私は倫理的には少しもやましさを感じない。私はいつも清潔な態度を持していたつもりである。
澪標 (新字新仮名) / 外村繁(著)
だからさ、若し瀬川君にやましいところが無いものなら、吾儕と一緒に成つて怒りさうなものぢやないか。まあ、何とか言ふべきだ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
またいけないのか。中心にやましいところがあるが為めか。余りにセンチメンタルなためにそれを表面に現はすのをはしたないと思ふのか。
心理の縦断と横断 (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
今の場合に出て行くことはやましい所があるやうにも取られるし、ます/\疑はれるばかりなので、さうする訳にも行かなかつた。
(新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
……一旦いったん縁を切ってしまった上では、私が心持にも、また世間の義理にも、やましいことはないんですから、それが未練というんでしょう。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
が、彼は自分の心の底に、良沢の来ないことを欣ぶような心が潜んでいることに気づいているだけに、そのまま黙っているのがやましかった。
蘭学事始 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
久次郎が母に責められて、その無実を明らかに証明し得なかったのも、やはりその内心にやましいところがあったからであった。
半七捕物帳:26 女行者 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
全教区内の人々にひそかに面接することもあまりやましく思わず、神事と外交との間の連鎖となり、牧師たるよりはむしろ修道院長たるに適し
笹村はやましいような気がした。原稿の出来るのと、先生の死と——いずれが先になるか、それは笹村にも解っていなかった。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
女史の倫理的意識に省みてやましくないだけの御自信があっての事でしょうから、私はそれを立証して頂きたいと思います。
婦人改造の基礎的考察 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
「いや、確かに禿げていましたよ。禿げているという印象が残っていますし、もう一つ私にやましいことがありますから、未だに忘れられません」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「紳士」という偽善の体面を持たぬ方が、第一に世をあざむくという心にやましい事がなく、社会の真相をうかがい、人生の誠の涙に触れる機会もまた多い。
監獄署の裏 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
自分の過去に対してやましさといまいましさを同時に感ずることがある。そういうとき順吉は自分をひどく人と変った者のように思い込んだりする。
夕張の宿 (新字新仮名) / 小山清(著)
頭を十文字に繃帯している三中隊の男が、やましさを持った眼で、まだ軍医の手あてを受けない傷をのぞきこみにきた。
氷河 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
自分はやましいところがないと、ひとりでりきんでいたけれど、二晩三晩というものは、サッパリ何も手答えがないから、米友も力瘤ちからこぶゆるんできました。
大菩薩峠:10 市中騒動の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ひとあれほどにてひとせいをば名告なのらずともとそしりしもありけれど、心安こゝろやすこゝろざすみちはしつて、うちかへりみるやましさのきは、これみな養父やうふ賜物たまものぞかし
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
幕府は財政に窮乏し、したがって窮乏すれば、随って金銀吹換ふきかえに托して、悪性の貨幣を鋳造し、これを鋳造するに随い、物価騰貴し、小民をやましめたり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
玉井さんと母とは、なんのやましい関係もありませんわ。その後も、若松まで、芸者になって追っかけて行きましたけれども、徹底的に振られました。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
外に責むる者は内にかえりみざるべからず。従軍記者たる者自ら心にやましき所なきか。泥棒と呼ばしめ新聞屋と笑はしむる者果してこれが素を為す者なきか。
従軍紀事 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
で、腰をあげて歩きかけたが、そっと往くのは何か野心があってねらい寄るようでやましいので、軽いせきを一二度しながらいばったように歩いて往った。
蟇の血 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
斯う変るので一段と面白いのですよ、と我が妻は云ふ。イヤ、それはそれとして、兎も角も自分はこれに就いて一点やましい処のないのは明白な事実だ。
雲は天才である (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
陪審官たちの顔は彼等がそういう詩句については少しも知らぬことに気がついていささかやましいような色をあらわした
常は母に少し位小言云われても随分だだをいうのだけれど、この日はただ両手をついて俯向いたきり一言もいわない。何のやましい所のない僕はすこぶる不平で
野菊の墓 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
次から次と断片的に、やましさの発作が浮いては沈み、沈んでは浮びしてゐるうちに、汽車は茅ヶ崎に着いた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
欺罔たばかりは(心これによりてやましからぬはなし)人之を己を信ずるものまたは信ぜざるものに行ふ 五二—五四
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
少くも渠らが世間の道徳にそむいたにはやましくも恥かしくもない立派な哲学的根拠があるように思っていた。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
しかも、その満足は、復讐の目的から考えても、手段から考えても、良心のやましさに曇らされる所は少しもない。彼として、これ以上の満足があり得ようか。……
或日の大石内蔵助 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就きょしゅうであるから、彼自身は内にかえりみてやましいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
スリの御用ずみの贓品ぞうひんをひそかに所持していることに、ぼくは共犯者のそれのような、あのやましげなスリルと、秘密の悪事に荷担する奇怪なよろこびをおぼえたのだ。
煙突 (新字新仮名) / 山川方夫(著)
又八はやましくなかった。その品は懐中ふところに持っている。これは預かった物だと意識しながら持っている。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しからば第三階級に踏みとどまっていることにやましさを感じないか。感ずるにしても感じないにしてもそうであるのだから、私には疚しさとすらいうことはできない。
想片 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
「この町の家屋かおくかわらほどに敵が多くとも、心にやましきことなき以上は、何のおそるることかあらん」
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
けれども入つて来るといきなり、Eに一本参つた後なので内心に少々やましさがあつたといふよりも、一種のはにかみから、椅子いすは自ら皆の後ろの、すみの方を選んで了つた。
良友悪友 (新字旧仮名) / 久米正雄(著)
心にやましくないにしろ、一度ひろまつた蔭口には、正当な弁解も役に立たないものですからね
(新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
円満無欠なる我が身にきずつくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、いやしくも内に自ら省みてやましきものあるにおいては、その思想の発達、決して十分なるをべからず。
日本男子論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
唐の段秀実だんしうじつ郭曦かくぎにおいては彼がごとくの誠悃、朱泚しゆせいにおいては彼がごとくの激烈、しからばすなはち英雄おのづから時措のよろしきあり。要は内にかへりみやましからざるにあり。
留魂録 (新字旧仮名) / 吉田松陰(著)
彼女は、佃にやましい打算がないのなら、その証拠に、一日も早く佐々の家を出ろと云った。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
が大それたことをいたしまして、大罪でございます……けれども倅ばかりが悪いのではござりませぬ……たった今わたしは、身にやましいことがないと申し上げましたけれど
情状酌量 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
捜しに見えたのかは。ですがな、わしはその、伯爵閣下にたいして、なんのやましいところもないですわい。神明に誓って、疚しいことはありませんわい。断じてその、ありませんわい!
幹の瘤多きも見る眼やましく、むづかしげなる人に打対ひ立つ心地して、をかしからずとのみ思ひ居りけるが、或日の雨の晴れたるをり、ゆくりなくも花の二つ三つ咲き出でたるを見て
花のいろ/\ (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
自分が信ぜない事を、信じているらしく行って、虚偽だと思ってやましがりもせず、それを子供に教えて、子供の心理状態がどうなろうと云うことさえ考えてもみないのではあるまいか。
かのように (新字新仮名) / 森鴎外(著)
○之を今日の極東外交に考ふるに、露国政府が韓国に対する暴状は別問題とし、彼に向つて正義の軍を起したと云ふ我国の態度が、果して毫もやましき所なきかは大に顧慮すべき事である。
天文の専門家や学者が研究して政府へ報告する文章の中にも、普通に見ては奇怪に思われることで、源氏の内大臣だけには解釈のついて、そしてやましく苦しく思われることが混じっていた。
源氏物語:19 薄雲 (新字新仮名) / 紫式部(著)
本来なら、そういうやましいことがある以上、苦労するのは私ではありません。
仁王門 (新字新仮名) / 橘外男(著)
獄舎ろうやつながれるなどうことは良心りょうしんにさえやましいところいならばすこしも恐怖おそるるにらぬこと、こんなことをおそれるのは精神病せいしんびょう相違そういなきこと、と、かれみずかおもうてここにいたらぬのでもいが
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
子曰く、内に省みてやましからずんば、夫れ何をか憂え、何をか懼れんやと。
論語物語 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
併し余は自分の身にやましい所がないから、敢えて恐れぬ、深く詮索の必要が有ろうとも思わぬ、縦しや有った所で実に詮索する便りもないのだ、其のまま余は中に入り権田の室の戸を叩くと
幽霊塔 (新字新仮名) / 黒岩涙香(著)
二部は不用だし、向うは商売だから、また相手もあろうと思って、持って行ってやった帰りだった。多分その話はせずに、また誰かに売るのだろう。こっちは話したのだからやましくはないがね。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
窓の外に降る雪、風に乱るる雪、こずゑに宿れる雪、庭にく雪、見ゆる限の白妙しらたへは、我身に積める人のうらみたけかとも思ふに、かくてあることのやましさ、切なさは、あぶらしぼらるるやうにも忍び難かり。
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
内に省みてやましからず、自ら反してなおきもまたこの物にして、乃ち天地に俯仰ふぎょうして愧怍きさくするなく、これを外にしては政府教門の箝制する所とならず、これを内にしては五慾六悪の妨碍ぼうがいする所とならず