屈託くったく)” の例文
彼はホテルの十日間を、何の屈託くったくもなく、腕白小僧わんぱくこぞうの様にほがらかに暮した。ホテルのボートを借りて湖水をまわるのが日課だった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「それにも及ぶまい。どっちにしても何とか埒をあけるからくよくよするな。胸に屈託くったくがあると粗匇をする。奉公を専一に気をつけろ」
籠釣瓶 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
学校時代には学科の点数が主な屈託くったくだった。点数を余計せしめるものを秀才と認めて、これに敬意を表した。しかし今はサラリーマンだ。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
朝夕ちょうせき禅房の掃除もするし、聴聞ちょうもんの信徒の世話もやくし、師の法然にもかしずいて、一沙弥いちしゃみとしての勤労に、毎日を明るく屈託くったくなく送っていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「船長は何か心に屈託くったくがあるのではありませんか。それが船長を興奮させたり、また非常に苦労させたりしているのでしょう」
こうかんがえるのは、当然とうぜんのことでした。しかしわかいものは、元気げんきよくられました。おとこも、おんなも、なんの屈託くったくもなさそうなかおつきをしています。
台風の子 (新字新仮名) / 小川未明(著)
津田の腹には、その治療にとりかかる前に、是非金の工面くめんをしなければならないという屈託くったくがあった。その額は無論大したものではなかった。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
殊に、そんな楽しい時代には、地上の子供達も、屈託くったくというものにまるでれていなかったので、それをどうしていいか分らなかったのです。
あとは、駕籠と駕籠を一そう近づけて、耳打ちのように密談みつだんになったが、そのまま二人は、やがて、屈託くったくのない笑い声を残して左右に別れた。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
このような太平楽たいへいらくを、何の屈託くったくもなしに平然と口にすることのできた自分の浅墓さに私はいきどおりをかんじないではいられぬ。
親馬鹿入堂記 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
兵馬はこの人のいつも元気であって、好んで虎の尾を踏むようなことをして、屈託くったくしない勇気に感服することであります。
明日あすの暮しを考える屈託くったくと、そう云う屈託を抑圧しようとする、あてどのない不愉快な感情とに心を奪われて、いじらしい鼠の姿も眼にはいらない事が多い。
仙人 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
しかし少年の一点のひがみも屈託くったくもない顔つきと行雲流水のような行動とは人々の心に何か気分を転換てんかんさせ、生活に張気を起させる容易なものがあったらしい。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのために登勢はかえって屈託くったくがなくなったようで、生れつきの眇眼すがめもいつかなおってみると、思いつめたように見えていた表情もしぜん消えてえくぼの深さが目だち
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
と思い案ずる目をなかば閉じて、屈託くったくらしく、盲目めくら歎息たんそくをするように、ものあわれなよそおいして
春昼後刻 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たしかにこの娘さんは、可愛らしいところはあるが、何か心に屈託くったくがありそうにも見えた。
いつものような屈託くったくもなければ心配もなく、よし心配があったにしてもそんなものはわきの方へと押しやって、その晩一晩は何も考えずに、全くの人生の傍観者ででもあるかのように
日本橋附近 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
娘の顔には、昨日の絶望的な色はありませんが、大きい屈託くったくが、その弱い身体を押しひしぐらしく、日蔭の花のような痛々しさと、言うに言われぬ、病的な美しさを感じさせるのです。
それで妻の屈託くったくを慰めようとし、夫人に向って度々外出や遊山ゆさんをすすめた。『外に参りよき物見る。と聞く。と帰るの時、少し私に話し下され。ただ家に本を読むばかり、いけません』
木村を良人おっととするのになんの屈託くったくがあろう。木村が自分の良人おっとであるのは、自分が木村の妻であるというほどに軽い事だ。木村という仮面……葉子は鏡を見ながらそう思ってほほえんだ。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その間の仕事は何だとうと、ただ著書飜訳ほんやくにのみ屈託くったくして歳月をおくって居ました。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
いまの現在げんざい位置いちすらも、そろそろゆれだしたような気がする。ものに屈託くったくするなどいうことはとんと知らなかった糟谷も、にわかに悔恨かいこんねんきんじがたく、しばしばられない夜もあった。
老獣医 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
永遠に塗りつぶされた唯一色の暗夜を独り行くようなはげしい屈託くったくを感じたのである。全て波瀾はらん曲折も無限の薄明にとざされて見え、止み難い退屈を驚かす何物も予想することが出来なかった。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
堀尾君もお客に来た以上然う屈託くったくばかりしていられない。勧められるまゝ風呂に入って、浴衣に着替えた。食卓についてから
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
白砡はくぎょくに彫った仏像みたいにその寝顔は気品にかがやいていた。やや面長で下膨しもぶくれの豊かな相形そうぎょうである。何の屈託くったくもないようないびきすら聞かれた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わたくしはさっきから気が付かないでもなかったのですが、話の方に屈託くったくして、ついそのままになっていたのでございます。
蜘蛛の夢 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
しかしこの四五日ぼんやり屈託くったくしているうちによくよく考えて見ると、彼自身が今までに、何一つ突き抜いて痛快だという感じを得た事のないのは
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
お君がこうしてない胸をいだいて物思いに沈んでいる時にも、お松はものに屈託くったくしない晴れやかなかおをして
明るい色が、控えの間のさかいに動いて、そこに何の屈託くったくもなさそうなお糸の顔があった。
元禄十三年 (新字新仮名) / 林不忘(著)
或年のはるぼくは原稿の出来ぬことにすくなからず屈託くったくしていた。滝田くんはその時ぼくのために谷崎潤一郎くんの原稿をしめし、(それは実際じっさい苦心くしんの痕の歴々れきれきと見える原稿だった。)大いにぼく激励げきれいした。
滝田哲太郎君 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
もはや、そらには、太陽たいようひかりねつとがみなぎっていました。とんぼは、ちょうど昨日きのう屈託くったくらずに、あそんでいたように、たんぼりると、そこで、ぼんやりと、また一にちごしたのでした。
寒い日のこと (新字新仮名) / 小川未明(著)
山には木樵唄きこりうた、水には船唄ふなうた駅路うまやじには馬子まごの唄、渠等かれらはこれをもって心をなぐさめ、ろうを休め、おのが身を忘れて屈託くったくなくそのぎょうに服するので、あたかも時計が動くごとにセコンドが鳴るようなものであろう。
三尺角 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
毎日二三度ずつ見に行くのだが、今日は遊びに屈託くったくしていて、一遍も行って見ない。事によるとかえってるかも知れない。今日は大分暑かった。
いたずら小僧日記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
だが——ひとみをぬぐって、都のちまたを見てゆくと、なんと、ここには皆、暗い顔や、迷いのある影や、屈託くったくの多い俯向うつむき顔や
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
節季師走にいろいろの忙がしい用をかかえた半七は、いつまでも加賀屋の女中のことなどに屈託くったくしてもいられなかった。
半七捕物帳:37 松茸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
大迫に頭髪を預けたまま、それは屈託くったくのない笑い声だった。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
病気にのみ屈託くったくする余も、これには少からず悩まされた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
それにひかれて、勝家はよくつぼねへ渡った。そして彼女たちの明るい中に、屈託くったくの多い心を一時でも忘れようとした。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
夕食の卓上、二千円のダイヤが屈託くったくになった。大谷さんは奥さんの訴えに耳傾けて、むずかしい顔をしていた。何うも丸尾夫人の為めに問題ばかり起る。
求婚三銃士 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
溜め息をついている母の屈託くったくらしい顔をのぞいて、十吉も思わず箸をやめた。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
(——実に陽気な御主人だ。天下の春は御主人の顔から立ち昇っているようだ。戦場にあっても、こういう旅のあいだも、屈託くったくらしいお顔はみたことがない)
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
我輩は還暦に達した時から、もう据置期間が経過したと思って、生の屈託くったくよりも死の支度に重きを
ガラマサどん (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
兄弟ともうるしをひいたような顔色である。何の屈託くったくもないように、餅を喰い、湯をのみ、笑い興じていたが
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生活問題を念頭に置かず、二円五十銭を大金と思っている時代はとうとい。正に聖人君子の心境である。然るに僕はもう慾が出て来た。何になろうかと、将来の生活問題に屈託くったくしている。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「貴公もおれも踊れない人間だ。ああして、何もかも忘れ果てて踊るべく、あまりに屈託くったくがあり過ぎる」
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
同じ教室に机を並べる三十余個の西瓜頭は入学試験以外に屈託くったくがない。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
何のはばかりも屈託くったくも彼にはない。藤吉郎は、彼女のやや小麦色に陽焦ひやけした顔をのぞきこんで
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀才もほかに屈託くったくがあるとこのとおりだ。
苦心の学友 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
帰るのをあきらめて、兼好も屈託くったくなく酔って寝た。べつの寝所へ入るとき、彼にもひとりの女がついて来た。が、兼好はあえて拒みもしない。またそれ以上のこともしない。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と母親には母親らしい屈託くったくがあった。
凡人伝 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)