一寸いっすん)” の例文
一寸いっすんの虫にも五分ごぶの魂というが当節はその虫をばじっと殺していねばならぬ世の中。ならぬ堪忍するが堪忍とはまず此処ここらの事だわ。
散柳窓夕栄 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「まだ面白い事があります首をくくるとせい一寸いっすんばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
その一寸いっすんのばしが、目覚めざまし時計の音を聞いてから、温かい蒲団ふとんの中にもぐっているように、何とも云えず物憂ものうく、こころよかった。
女妖:01 前篇 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
よく見ると、そこがすり切れていて、一寸いっすんばかり裾綿が覗きだしているのだった。それを眺めているうちに、彼は酒の酔がさめかかった。
立枯れ (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
とうとう一寸いっすん逃れを云って、その場は納まったが、後で聞くとやはりその女は、それから三日ばかりして、錺屋かざりやの職人と心中をしていた。
ひょっとこ (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
足を「一寸いっすん」すべらすと、ゴンゴンゴンとうなりながら、地響をたてて転落してくる角材の下になって、南部センベイよりも薄くされた。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
尤も、地方の高等学校なら這入れたのかも知れませんが、彼は東京の地を一寸いっすんも離れるのが嫌だと云って、甘んじて落第して了ったのです。
金色の死 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
無慈悲のようでもいっそ一日も早い方がいい、一寸いっすん逃がれに日を延ばしてゆくほどいよいよ二進にっち三進さっちもいかないことになる。
両国の秋 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それゆえイザとなっては、思い切って出ることも出来ない。そうしていて、たゞ一寸いっすん逃れにお宮の処に行っていたかった。
別れたる妻に送る手紙 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
おれは一文いちもんなしになって、皆にばかにされて、うえ死にをしなければならないんだ。五分り、一寸いっすんだめしも同様だ。
かたわ者 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その女を養母とした七歳のお貞は、子供に似合わぬピンとした気性だったので、一寸いっすんのくるいもないように、養母と娘の心はぴったりと合ってしまった。
マダム貞奴 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
一寸いっすんの仕合せには一尺の魔物が必ずくっついてまいります。人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。
ヴィヨンの妻 (新字新仮名) / 太宰治(著)
まあまあと一寸いっすんのばしにしていたが、いつまでほうって置くわけにも行かないので、遂に決心してそれを伐った。
俳句はかく解しかく味う (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
運転手は、夢からめたように、運転手席に着いた。が、発動機のこわれている上に、前方の車軸までが曲っているらしい自動車は、一寸いっすんだって動かなかった。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「いけねえいけねえ。たとえ天下の往来であろうと、てめえだけは通すことはならねえ、その地境じざかいから一寸いっすんでも踏み込んで見やがれ、胴と首の生別れだぞッ」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、やうやくはっと飛んだと思った時には、わづか彼女の足元は一寸いっすん位しか動いてゐなかった。
青白き夢 (新字旧仮名) / 素木しづ(著)
さっそくつかまえて、一寸いっすんだめし五分ごぶだめし、なぶり殺してやらねば、こっちの気がおさまらないわ
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ソレでホテルに案内されていって見ると、絨氈じゅうたん敷詰しきつめてあるその絨氈はどんな物かと云うと、ず日本で云えば余程の贅沢者ぜいたくもの一寸いっすん四方幾干いくらいって金を出して買うて
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
それは私の右足に相違ない……せこけた、青白い股の切り口が、薄桃色にクルクルと引っくくっている。……そのまん中から灰色の大腿骨だいたいこつ一寸いっすんばかり抜け出している。
一足お先に (新字新仮名) / 夢野久作(著)
月日の経つのは早いもので、十一年が其の間奉公に陰陽かげひなたなく、実に身をに砕いての働き、し寅に起き、一寸いっすんも油断せず身体を苦しめ、身を惜まず働きまする。
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
ご存じの楚蟹ずわえの方ですから、何でも茨を買って帰って——時々話して聞かせます——一寸いっすん幅の、ブツぎりで、雪間ゆきま紅梅こうばいという身どころをろうと、家内と徒党をして買ったのですが
菊あわせ (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
帰る途々みちみち、彼は何処か楽書らくがきをするに都合の好さそうな処をと捜しながら歩いた。土蔵どぞうの墨壁は一番魅力を持っていた。けれども余り綺麗きれいな壁であると一寸いっすんほどの線を引いて満足しておいた。
(新字新仮名) / 横光利一(著)
やがて日はれた。日が暮れると短い夏の夜はすぐけていった。一寸いっすん先も見えないくらな寺の中はガランとして物音一つしない。勘太郎は息をころし、今か今かと鬼どもの来るのを待っていた。
鬼退治 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
三輪の万七は一寸いっすんも引かなかったのです。
そうしてもう一度無二無三むにむさんに、妻の体を梁の下から引きずり出そうと致しました。が、やはり妻の下半身は一寸いっすんも動かす事は出来ません。
疑惑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それは二枚折の時代のついた金屏風で、極彩色の六歌仙が描かれていたが、その丁度小野おの小町こまちの顔の所が、無惨にも一寸いっすんばかり破れたのだ。
心理試験 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
よほど厚い石と見えて爪から余った先が一寸いっすんほどもある。したがって馬は一寸がたちんばを引いて車体を前へ運んで行く訳になる。
満韓ところどころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
まあ兎も角も明日まで待ってくれと、お菊は一寸いっすん逃れの返事をして、ようよう其処そこから逃げ出して来たのであった。
黄八丈の小袖 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
閾際しきいぎわひざまずいて、音を立てぬように障子に手をかけて、一寸いっすんばかりする/\と開けて見ると、正面に普賢菩薩ふげんぼさつ絵像えぞうけ、父はそれに向い合って寂然と端坐していた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
謝るまでは其処を一寸いっすんも動かさぬから、そう思っとるがいい。……おい車掌は何処へ行ったんだ?
電車停留場 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
古くさい文学観をもって、彼は、一寸いっすんも身動きしようとしない。頑固。彼は、それを美徳だと思っているらしい。それは、狡猾こうかつである。あわよくば、と思っているに過ぎない。
如是我聞 (新字新仮名) / 太宰治(著)
旦那を殺すの恥を掻かせるのとはなんのことでござんす、此方こちとらア自分の命を棄てゝも旦那を助ける覚悟だ、又一旦思い込んだこた一寸いっすんあと退かねえ此の亥太郎でござんすぜ
後の業平文治 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「畜生ッふて外道げどうだ。そんな野郎にご領内の地べたを一寸いっすんでも踏ませてなるもんけえ」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
見ると一寸いっすんばかり蚯蚓脹みみずばれになっていた。涙がまたなんとなく眼の中に湧いてきた。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
がまた一方から考えて見ると、それは畢竟ひっきょう無益なことであって、たとい一寸いっすん逃れに居士及自己を欺いておいたところで、いつかは道灌山の婆の茶店を実現せずにはおかなかったのである。
子規居士と余 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
清左衛門は一寸いっすんも引きませんでした。
思うに小野さんは事実の判決を一寸いっすんのがれる学士の亀であろう。亀は早晩首を出す。小野さんも今に封筒の裏を返すに違ない。
虞美人草 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
すると、帽子のひさしと、外套の襟とのわず一寸いっすんばかりの隙間すきまから、目を射る様にギラギラと光ったものがある。
黄金仮面 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
信一にこう云われて、二人ともだらしなく大の字なりに土間へ倒れたまゝ、一寸いっすんも動けなかった。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
一寸いっすんさきは闇だということだけが、わかっている。あとは、もう、何もわからない。
八十八夜 (新字新仮名) / 太宰治(著)
が、彼の手は不思議にも、万力まんりきか何かにはさまれたように、一寸いっすんとは自由に動かなかった。その内にだんだん内陣ないじんの中には、榾火ほたびあかりに似た赤光しゃっこうが、どこからとも知れず流れ出した。
神神の微笑 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一寸いっすんのびればひろッてえこともあるんだ、左様そうくよ/\心配しんぺえして身体でも悪くしちゃア詰らねえからなア、まさか間違ったら其の時にまたなんとでも仕ようがあらアな、え、何うするって
見る見る葉子は一寸いっすんの身動きもできないくらい疼痛とうつうに痛めつけられていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
川島君は砲弾の破片に撃たれたのです。私もその時、小銃弾に帽子を撃ち落されましたが、幸いに無事でした。その弾丸がもう一寸いっすんと下がっていたら、唯今ただいまこんなお話をしてはいられますまい。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
と一同は鯉口切って犇々ひしひしと、ここ一寸いっすん退かぬ気色だ。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人に押されて入り込むと真暗である。ただ一寸いっすんのセキもないほどんでいる。そうして互に懸命な声をげる。火は明かに向うに燃えている。
永日小品 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
折角せっかく決心して出かけて来たのだから、一寸いっすんのばしにしても仕方がない、ともかく話をつけてしまおうと考えた。
月と手袋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
影と影とはいつの間にやら一寸いっすんの出入りもなく並び合った。私は始めて、ちらりと女の横顔を覗き込んだ。笠の緒の向うにやっと彼女のふっくらとしたほおの線の持ち上りが見えた。
母を恋うる記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
君の三十年間の忠勤も、今宵こよいの無礼で、あとかたも無く消失した。はかないものだね。人の運命なんて、一寸いっすんさきも予測出来ないものだね。どんな事になるものか、まるっきり、わからない。
新ハムレット (新字新仮名) / 太宰治(著)
見え透いた一寸いっすん逃れと、弟はなかなか得心しなかった。
鳥辺山心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)