髣髴はうふつ)” の例文
髣髴はうふつたる海天に青螺せいらのごとく浮いてゐる美しい島島の散在を望んでも、も早詩が胸から無くなつた。人間墳墓の地を忘れてはならない!
故郷に帰りゆくこころ (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
彼の眼の前に、再び、現実のそれよりはなほ一層高き神秘なる美と権威とに於て、長老と、モニカとの結合体が髣髴はうふつと現はれた。
足本國の外をまざる我徒ともがらに至りては、只だその瑰偉くわいゐ珍奇なるがために魂をうばはれぬれば、今たその髣髴はうふつをだに語ることを得ざるならん。
脚本『象』に於いて見るに、次ぎのやうな簡単なる会話が如何によく、其の人物と生活と時代とを髣髴はうふつたらしめるであらう。
谷崎潤一郎氏の作品 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
僕はこの一行いちぎやうの中に秋風しうふうの舟を家と頼んだ幇間ほうかんの姿を髣髴はうふつした。江戸作者の写した吉原よしはらは永久にかへつては来ないであらう。
夜更けて温泉に浴し、静かに眠らうとしたが、心が落付いて来ると赤彦君の顔容が眼前に髣髴はうふつとしてあらはれて来た。
島木赤彦臨終記 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
……ときなびきかゝるくもいうなるさへ、一てん銀河ぎんが髣髴はうふつとして、しかも、八甲田山かふださん打蔽うちおほふ、陸奥みちのくそらさびしかつた。
十和田湖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
糠雨ぬかあめのおぼつかなき髣髴はうふつの中に、一道の薄い烟が極めて絶え/″\になびいて居て、それが東から吹く風に西へ西へと吹寄せられて、忽地たちまち雲に交つて了ふ。
重右衛門の最後 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
夫婦ふうふ此肉このにくきざけられた、はなくちとを髣髴はうふつした。しかその咽喉のどからこゑつひこと出來できなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
神経的に燃えた。それは全く何の精神統一もない人の——彼自身のやうな人の昂奮かうふん髣髴はうふつとして燃えた。思慮なく、理性を没却して、そのくせ力なく、ただ一気に燃えた。
一見人工をくわへたる文珠菩薩に髣髴はうふつせり、かたはらに一大古松あり、うつとして此文珠いわへり、丘を攀登ばんとして岩下にちかづかんとするも嶮崖けんがい頗甚し、小西君および余の二人奮発ふんぱつ一番衆に先つてのぼ
利根水源探検紀行 (新字旧仮名) / 渡辺千吉郎(著)
海の彼方には津軽の山が浮んで、山の左から汐首の岬まで、灰色の空を被いだ太平洋が、唯一色の強い色を湛へて居る。——其水天髣髴はうふつあたりにポツチリと黒く浮いてるのは、汽船であらう。
漂泊 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
おつたはいくらいつてもきない當時たうじ髣髴はうふつせしめようとする容子ようすでいつた。
(旧字旧仮名) / 長塚節(著)
なほ熟視みつむ。……髣髴はうふつ
邪宗門 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
南画は胸中の逸気いつきを写せば、他はいて問はないと云ふが、この墨しか着けない松にも、自然は髣髴はうふつと生きてゐはしないか? 油画あぶらゑしんを写すと云ふ。
支那の画 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
路は薄暮に近き山間を縫ひて、杉樹さんじゆ蓊欝おうゝつと繁茂せるところ、髣髴はうふつとして一大奇景の眼下によこたはれるを見る。されど崖高く、四邊深黒にして容易に之を辨ずる能はず。
秋の岐蘇路 (旧字旧仮名) / 田山花袋(著)
かれはたゞ坂井さかゐきやく安井やすゐ姿すがた一目ひとめて、その姿すがたから、安井やすゐ今日こんにち人格じんかく髣髴はうふつしたかつた。さうして、自分じぶん想像さうざうほどかれ墮落だらくしてゐないといふ慰藉ゐしやたかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
眸を凝らして海を望めば、髣髴はうふつの間、サンタが姿のこの火焔の波を踏みて立ち、その燃ゆる如きなざしもて我を責め我を訴ふるを視、耳邊忽ち又妾を殺せ、妾を殺せと叫ぶを聞く。
それはただにその色ばかりではなく、羽全体が植物の芽生に髣髴はうふつして居た。生れ出るものには、虫と草との相違はありながら、或る共通な、或る姿がその中に啓示されて居るのを彼は見た。
村の郵便局からでは顏馴染なじみの局員の手前を恥ぢて、杖にすがりながら二里の峻坂をぢて汗を拭き/\峠を越えた父の姿が髣髴はうふつして、圭一郎は極度の昂奮から自殺してしまひたいほど自ら責めた。
業苦 (旧字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
俳優にはウイリヤム・セキスピヤと云へる人あり! 三十何年かまへの日本は、髣髴はうふつとこの一語にうかがふ事が出来る。この本は希覯書きこうしよでもなんでもあるまい。
本の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
忽ち柔なる笛の音起れり。是れヂドが戀の始なるべし。戀といふものは我が未だ知らざるところなれど、この笛の音は、我に髣髴はうふつとしてその面影を認めしめたり。忽ち角聲かりを報ず。暴風又起れり。
菱川ひしかはの浮世絵に髣髴はうふつたる女や若衆わかしゆの美しさにも鋭い感受性を震はせてゐた、多情なる元禄びとの作品である。「元禄びとの」、——僕は敢て「元禄びとの」と言つた。
芭蕉雑記 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
あれは平中の心の中には、何時いつ巫山ふざん神女しんによのやうな、人倫じんりんを絶した美人の姿が、髣髴はうふつと浮んでゐるからだよ。平中は何時も世間の女に、さう云ふ美しさを見ようとしてゐる。
好色 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
前に書き忘れたが、鳴雪翁めいせつをうの画も面白く拝見した。昔、初午はつうま稲荷いなりくと、よく鳥居をくぐるみち地口ぢぐち行燈あんどんがならんでゐた。あれはその行燈の絵を髣髴はうふつさせる所が甚だ風流である。
俳画展覧会を観て (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
十一月×日、予は本多子爵と共に、明子をひぬ。明子は容色の幾分を減却したれども、猶紫藤花下しとうくわかに立ちし当年の少女を髣髴はうふつするは、いまだ必しも難事にあらず。嗚呼ああ予は既に明子を見たり。
開化の殺人 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
さうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持つてゐる、或疑問を髣髴はうふつした。
戯作三昧 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
のみならず文章も千古無窮に力を保つかどうかは疑問である。観念も時の支配の外に超然としてゐることの出来るものではない。我我の祖先は「神」と言ふ言葉に衣冠束帯の人物を髣髴はうふつしてゐた。
侏儒の言葉 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
氏は罪悪の夜光虫が明滅する海の上を、まるでエル・ドラドでも探して行くやうな意気込みで、悠々と船を進めて行つた。その点が氏は我々に、氏のむしろ軽蔑するゴオテイエを髣髴はうふつさせる所以ゆゑんだつた。
あの頃の自分の事 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
これは又先生の短歌や俳句にも髣髴はうふつ出来ない訣ではない。同時に又体裁を成してゐることはいづれも整然と出来上つてゐる。この点では殆ど先生としては人工を尽したと言つても善いかも知れない。