おとがい)” の例文
鼻からおとがいまで、馬づらにだぶだぶした、口の長い、顔の大きな、せいは四尺にも足りぬ小さな神官かんぬしでござりましたそうな。ええ、夫人おくさま
わか紫 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
神像のような口とおとがい、——その色合が純然たる暗褐色から濃いきらきらした黒玉色へ変る、異様な、烈しい、つぶらな、うるおいのあるまなこ
僕は「深夜の市長」の頬からおとがいにかけて濃い髯のある面を懐しく下から眺めた。彼の顔はなんだかいつもとは違っているようであった。
深夜の市長 (新字新仮名) / 海野十三(著)
するとすぐ眼の前に、みっともない皺くちゃの泣き腫らした顔が見え、その隣には鉤鼻かぎばなおとがいの尖った、歯の一本もない老婆の顔が見えた。
女房ども (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
笠のひもに、二重に結ばれたおとがいをさしのぞくと、がっしりした中年以上の武家、それは、大阪表から久しく姿を見せずにいた常木鴻山こうざんであった。
鳴門秘帖:06 鳴門の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恐ろしい佝僂せむしで、高く盛上がった背骨にられて五臓ごぞうはすべて上に昇ってしまい、頭の頂は肩よりずっと低く落込んで、おとがいへそを隠すばかり。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
何となく不安を感じたのだろう、お繁はおとがいを襟へ埋めたが、ちょうどこの頃宇和島鉄之進は、順賀橋じゅんがばしの辺りを歩いていた。
前記天満焼 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ちょっと釜の下をなおしてから、手を帯へさしこんだお艶は、白いおとがいを深ぶかと襟へおとしてわれ知らず、物思いに沈む。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
キラキラした髪……挙措ものごし恰好かっこう……ちらと横から見た、睫毛まつげの長い……優しいおとがい……決して決して、私の幻覚や見誤りなぞでは、ないのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
それにつれて、女のながい睫毛が、伸びたり縮んだりする。みじかいおとがいを隈どつてゐる陰影も、移つたりかしいだりする。
鸚鵡:『白鳳』第二部 (新字旧仮名) / 神西清(著)
仏蘭西人フランスじんきまって Servietteセルヴィエットおとがいの下から涎掛よだれかけのように広げて掛けると同じく、先生は必ずおりにした懐中の手拭を膝の上に置き
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そのワーテルローという言葉に、水のコップをそばにしてテーブルにひじをついていたマリユスはおとがいからこぶしをはずして、じっと聴衆をながめ初めた。
気もさかんであるから、高い足場へ上って、差図をしたり、竹と丸太をいろいろに用いて、おとがいなどの丸味や胸などのふくらみをこしらえておりますと
緑翹は額の低い、おとがいの短い猧子かしに似た顔で、手足は粗大である。えりや肘はいつも垢膩こうじけがれている。玄機に緑翹を忌む心のなかったのは無理もない。
魚玄機 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
小せんのおとがいへ足首をかけて仰向かせ、右の手にて善太のもとどりをつかまへて引つ立て、二人とちよと顔を見合せて、ぢりぢりと自分の首を右の方にそむく。
愛子はそこにある書物をひとかかえに胸に抱いて、うつむくと愛らしく二重ふたえになるおとがいで押えて座を立って行った。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
上品な額や、花車きゃしゃおとがいや、さては振分け髪を一束づつ載せた細りとした肩のあたりと云い、瓜二つどころか全く豆と豆との如くと云っても足りない位である。
少女 (新字新仮名) / 渡辺温(著)
青くしなびたおとがいや、かすかな呼吸ごとにヒクついているせた小鼻のあたりを、じッとみているうちに、急に寒さを感じて、鷲尾はあわててドテラをひっかけた。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
中身をパックリと自分のおとがいの上へもって行ったところを見ると、色男も食い気に廻って、さっぱりえない。
大菩薩峠:31 勿来の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
頬のうしろ、あごからおとがいにかけては其人の弱点を一番持っている。誰でもそうである。其だけに又最も特質的な魅力もある。顎の美しさは最も彫刻的の微妙さを持つ。
人の首 (新字新仮名) / 高村光太郎(著)
その後の一時間ばかりトオカルは右の手におとがいを抑えて見えない目で死人を見つめながら坐していた。
浅瀬に洗う女 (新字新仮名) / フィオナ・マクラウド(著)
年のころは四十過ぎであろう、痩せておとがいの尖った顔は蒼黒く、眼は落ち窪んで青く光っていた。
貧乏神物語 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そのため彼女の顔の大半はかくされていましたが、なおおとがいから首筋の真白で柔らかそうな、ふっくらとした美しさは、浮気な男心をそそるに充分な魅力を見せて居りました。
耳香水 (新字新仮名) / 大倉燁子(著)
男はまたおとがいを撫で、ぼんのくぼを掻いた。こちらを見たり、肩をゆすったりして、なにかあいまいなことを云って、不決断にいちど出てゆこうとした。が、すぐ引返して来て
泥棒と若殿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
京子の若い日の癖の無い長身、ミルク色にくくれたおとがい白百合しらゆりのような頬、額。星ばかり映して居る深山の湖のような眼。夏など茶絣ちゃがすりの白上布に、クリーム地に麻の葉の単衣帯ひとえおび
春:――二つの連作―― (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
しっとりと油にしめって居るたぼの下から耳を掠めておとがいのあたりをぐる/\と二た廻り程巻きつけた上、力の限り引き絞ったから縮緬はぐい/\と下脹しもぶくれのした頬の肉へ喰い入り
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それがようやく一点に集注されると、ルキーンはアッと叫んでドドドッと走り寄った。半ば開かれた扉の間に、長身痩躯そうくの白髪老人が前跼まえかがみに俯伏うつぶして、おとがいを流血の中に埋めている。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
しかし下唇が上のよりもやや突き出ている気味だった。あごこそは、胡桃くるみをも噛み砕きそうな強い顎であった。おとがいの、右へ片寄った深い凹みは、顔全体に一種奇妙な不均衡を与えていた。
おれがやったらという顔つきで、孫四郎はまたこういいながらあおおとがいをなでた。
庄吉は、炭俵へ指を突っ込んで、炭の粉を、鼻の下へ、おとがいへ、なすりつけた。そして、立上ると、少し、頭がふらつくようで、一寸よろめいた。そして、暫く炭俵を掴んで突っ立っていた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
そこには担当する課事を終わって、机の上を片づけるものがある。風呂敷包ふろしきづつみを小脇こわきにかかえながら雑談にふけるものもある。そのそばには手でおとがいをささえて同僚の話に耳を傾けるのもある。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
が、老人は呻き声一つ立てないので、何の物音もなく、ただ枕が静かに床へころげて、頭がぐったりと落ちこんだ。そして、口は相変らず半開きのままで、おとがいががっくりと胸の方へくっついた。
空家 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
能登がアイヌの「ノト」おとがいである事は多くの人が信じている。
土佐の地名 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
おとがいる 失ふところ多し
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
編笠のおとがい見ゆる祭かな 朱拙しゅせつ
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
おとがいの下に笑いを締め出して
新版 放浪記 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「またやんちゃんが始まるな、」と哲学者は両手でおとがいを支えて、柔和な顔を仰向あおむけながら、若吉をみつめて剃立そりたてひげあとで廻す。
湯島詣 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「次は三停でございます。……額が天停、鼻が人停、それからおとがいを地停という。……これを変えることに致しましょう」
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
おびえ立った彼女が、ひたと彼に寄りすがって来ると、彼はつい我慢がならなくなって彼女の唇やおとがいに熱く熱く接吻して、なおもぎゅっと抱きしめた。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
なかば開けるまい扇におとがいのわたりを持たせて、「われをばはや見忘れやしたまいつらん」というはイイダ姫なり。
文づかい (新字新仮名) / 森鴎外(著)
だから、小次郎の親の良持はすでに、その顴骨かんこつや、おとがいの頑固さ、髯、髪の質までが、都の人種とは異っていた。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして夜着にかけた洗い立てのキャリコの裏の冷え冷えするのをふくよかなおとがいに感じながら心の中で独語ひとりごちた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それはこういうことであった。私のおとがいは牢獄の床の上についていたが、唇や頭の上部が、顎よりも低くなっているらしいのに、なににも触れていないのである。
落穴と振子 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
青白いおとがいの角ばりや、メリンスの羽織を着ている肩のげたあたりに、どっかただごとでなかったような、暗いとげとげしさが残っているのをすぐ感じながら……。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
ふたたび噤んだ口の下辺からおとがいにかけて、その朝のいかにも正銘のレーザーらしい剃りの冴えが、見る目もあざやかだつた。本格的な切れ味だ、ふと十吉はさう思ふ。
灰色の眼の女 (新字旧仮名) / 神西清(著)
その時分にはいくら淫奔いんぽんだといってもまだ肩や腰のあたりのどこやらに生娘きむすめらしい様子が残っていたのが、今ではほおからおとがいへかけて面長おもながの横顔がすっかり垢抜あかぬけして
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
といっているうちに、道庵先生が急におとがいを解いて、米友を吃驚びっくりさせるほどの声で笑い出しました
大菩薩峠:23 他生の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
それをだんだん釜の中に入れて烈火でかし、鬼は数疋の仲間に、杓をもってそれを曾の口にそそがした。おとがいを流れると皮膚が臭い匂いをして裂け、喉に入れると臓腑が沸きたった。
続黄梁 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と、月を仰いでいた行者は乳母の方を向き直りながら、長い杖のあたまへおとがいを載せた。
聞書抄:第二盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
であるから、どっちにしても死のおとがいを逃れることは出来ない。