長谷はせ)” の例文
松林を出ると、先刻さっき上って来た一筋の坂が、見るかげもなくなった長谷はせの町へ真直まっすぐに続いている。三人は黙々として下って行った。
九月一日 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
これ相州西鎌倉長谷はせ村の片辺かたほとりに壮麗なる西洋館の門前に、今朝より建てる広告標なり。時は三伏さんぷく盛夏の候、あつまり読む者のごとし。
金時計 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それで夫婦ふうふ朝夕あさゆう長谷はせ観音かんのんさまにおいのりをして、どうぞ一人ひとり子供こどもをおさずけくださいましといって、それはねっしんにおねがもうしました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
夫婦ふたりして長谷はせへお礼詣りに行って参籠さんろうしたせつ、いただいて来た命名とやら。何ぞ長谷へがんを結んでいたことがあったのかもしれませぬ」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鎌倉では長谷はせの金波楼と云う、あまり立派でない海水旅館へ泊りました。それに就いて今から思うと可笑おかしな話があるのです。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
ちなみに轟九蔵氏の原籍地は神奈川県鎌倉町長谷はせ二〇三となっているが、同所附近で氏の前身を知っている者は一人も居ない。
二重心臓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
日和ひよりおりなどにはわたくしはよく二三の腰元こしもとどもにかしずかれて、長谷はせ大仏だいぶつしま弁天べんてんなどにおまいりしたものでございます。
京の清水きよみずの観音様や、大和やまと長谷はせの観音様など、なかまの名高い仏様にも会ってこられたそうだし、そのほか、あちこち、まわってこられたそうだ。
長彦と丸彦 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
道々も漠然として居る私達側に引き換え、何か非常に海岸に目指すもののある期待に赫子も麻川氏も弾んで居るらしく見える。長谷はせの海岸に着いた。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
親王は六十二歳の文中三年ようやく吉野に御帰りになった。間もなく天授三年長谷はせで再び出家をとげられ、弘和元年『新葉集』を撰ばれた頃は河内国かわちのくにに住居された。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
いいえ、御隣の坊ちゃんなんぞじゃなくってよ。何だか見た事があるような——そうそう、いつかばあやと長谷はせへ行った時に、私たちの後をついて来た、あの鳥打帽を
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
このつぎには、仏様の中で長谷はせの観音様は霊験のいちじるしいものがあると支那しなにまで聞こえているそうですから、お参りになれば、遠国にいて長く苦労をなすった姫君を
源氏物語:22 玉鬘 (新字新仮名) / 紫式部(著)
鶴見は夏の季に入ってからどこへも出ずに籠っていたので、久しぶりで、長谷はせの方へ出掛けてみた。古本屋をあさって、雑書を五、六冊手に入れて、それを風呂敷に包んで持っていた。
丹波の桑田郡穴太あのう村の長谷はせの城守、赤沢加賀守が関東へ旅をして鷹を二羽もとめて、帰途に清洲の信長を訪ねて、お好きの方を進上するから一羽とってくれと云うと、信長は喜んで、ヤ
織田信長 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
綱吉に殺生せっしょうの禁を勧めて、三十年間天下を苦しめた怪僧隆光は、祟りを恐れて故郷の長谷はせへ逃げ出し、護持院は名題の札屋敷を取りこわし、銅瓦を売り払って維持の料に当てるという有様
かつそれ烟管キセル・喜世留、硝子ガラス・玻璃、莫大小メリヤス・目利安、不二山ふじさん・冨士山のたぐい一物いちぶつ字をことにし、長谷はせ愛宕あたご飛鳥あすか日下くさか不入斗いりおまず九十九つくものごとく、別に字書を作るにあらざれば知るべからず。
平仮名の説 (新字新仮名) / 清水卯三郎(著)
これはこれ、昨夜を長谷はせ籠堂こもりどうで明かしたはずの机竜之助でありました。
長谷はせ大仏境内、大仏殿。
六百五十句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
長谷はせ観音の堂近く
鎌倉 (新字新仮名) / 芳賀矢一(著)
岐阜城第一に迎えた春の献賀けんがにと、丹波たんば長谷はせの城主赤沢加賀守かがのかみは、自分の秘蔵する名鷹めいよう二羽のうちの一羽を、わざわざ使者に託して送ってきた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実高夫婦さねたかふうふはさっそく長谷はせ観音かんのんさまにおれいまいりをして、こんどまれたひいさんの一生いっしょうを、ほとけさまにまもっていただくようにおたのみしてかえってました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
浜の方へ五六間進むと、土橋が一架ひとつ、並の小さなのだけれども、滑川なめりがわかかったのだの、長谷はせ行合橋ゆきあいばしだのと、おなじ名に聞えた乱橋みだればしというのである。
星あかり (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しかしそのは吉江氏を始め、西条君や森口君とはずつと御無沙汰ごぶさたをつづけてゐる。唯鎌倉の大町おほまちにゐた頃、日夏君も長谷はせきよを移してゐたから、君とは時々往来わうらいした。
「仮面」の人々 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
向うの垣根の外に下駄の音がして長谷はせあたりへ来て居る麻川氏の知人達の声が聞えた。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
長谷はせの御堂の春の夜の月
二月堂の夕 (旧字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
はまはうへ五六けんすゝむと、土橋どばし一架ひとつなみちひさなのだけれども、滑川なめりがはかゝつたのだの、長谷はせ行合橋ゆきあひばしだのと、おなじきこえた亂橋みだればしといふのである。
星あかり (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
そのおれいまいりに、平生へいぜい信心しんじんする長谷はせ観音かんのんさまへ、うちじゅうのこらずれて、にぎやかに御参詣ごさんけいをなさいました。
鉢かつぎ (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
そのせつ妊娠みごもっていた子も流産したので、長谷はせの観音へ祈願をこめて、初めて得たのがこの子であり、そこで幼名も観世丸と名づけたものであったという。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はあしたは長谷はせ大友おおともと晩飯を共にするつもりだった。こちらにないスコットの油画具あぶらえのぐやカンヴァスも仕入しいれるつもりだった。フロイライン・メルレンドルフの演奏会へも顔を出すつもりだった。
十円札 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
大正十二年七月中旬の或日、好晴の炎天下に鎌倉雪の下、長谷はせおうぎヶ谷やつ辺を葉子は良人おっとと良人の友と一緒に朝から歩きまわって居た。七月下旬から八月へかけて一家が避暑する貸家を探す為めであった。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
藤沢の女郎屋は遠いから、長谷はせあたりの淫売店じごくやどへ行けば、いつでも起きていらあ、一所にお前も寝て来るが可い。「じゃあ直ぐと参ります。「御苦労だな。「なんの貴下あなた。 ...
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
その観世丸と申す名も、そなたと治郎左とが長谷はせまいって、いただいて来た童名じゃそうな。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長谷はせ大仏だいぶつ辺に館があったので、地名オサラギを当てて、大仏殿とよばれ、北条一族中ではもっとも声望があった人だから、この手の総大将としては申し分のない人だった。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南を指して走りしと得三の言いたれば、長谷はせかたに行きて見んと覚束おぼつかのうは思えども、比企が谷より滑川へ道を取って行懸り、森の中を通るとき、木の根を枕にくさむらに打倒れたる者を見たり。
活人形 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)