生地きじ)” の例文
「つまらねエ口を出したんで、百両くれてやったようなものです。どうも親分は、時によると、女に甘い生地きじが出るンでいけねえや」
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
生地きじの芙蓉も美しかったけれど、全身に毒々しく化粧をした芙蓉は、一層生前のその人にふさわしくて、云い難き魅力を備えていた。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
もし彼女が、その欠点と美点とをもってただ生地きじのままで満足していたなら、彼はさらにいかほどかよく愛してやったことだろう!
セキスピアもバナードショオも背後に撞着どうちゃく倒退とうたい三千里せしむるに足るていの痛快無比の喜悲劇の場面を、生地きじで行った珍最期であった。
近世快人伝 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
生地きじからいっても絵からいっても、今までのどの九谷の窯とも似もつかず縁故も見出せぬものであるから、無理もないのである。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
しかしながら、人生には、ところと、場合と、時とによって、どうしても生地きじのままの面目では押し通せないことがあるのです。
大菩薩峠:33 不破の関の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彼女の額に載せたれ手拭は自然と彼女の顔の白いものをぬぐい落した。持って生れたままの浅黒い生地きじがそこにあらわれていた。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そうしてまだ粉飾や媚態びたいによって自然を隠蔽いんぺいしない生地きじ相貌そうぼうの収集され展観されている場所にしくものはないようである。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
笑いながら店先へ腰を掛けたのは四十二三のせぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て、だれの眼にも生地きじ堅気かたぎとみえる町人風であった。
半七捕物帳:01 お文の魂 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
餡と一緒にお白粉しろいまでも洗い落して了ったと見え、却って前よりは冴え/″\として、つやのある玉肌の生地きじが一と際透き徹るように輝いて居る。
少年 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
意地も生地きじも内田の強烈な性格のために存分に打ち砕かれた細君は、上品な顔立てに中世紀の尼にでも見るような思いあきらめた表情を浮かべて
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
そして生地きじの色らしく見えるのがなおいけません。私のこの白木の机だけは、天然自然の生地のままで、どんなことをしても剥げるということがありません。
変な男 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
ドレスの生地きじを間違って裁断した時みたいに、もうその生地は縫い合せる事も出来ず、全部捨てて、また別の新しい生地の裁断にとりかからなければならぬ。
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
生地きじのままの力なんです……この力の上に神の精霊が働いてるかどうか、それさえわからないくらいです。
人間の生地きじはこれだから、これで差支さしつかえないなどと主張するのは、練羊羹ねりようかんの生地は小豆あずきだから、羊羹の代りになま小豆をんでれば差支ないと結論するのと同じ事だ。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
湘南しょうなんの海岸も季節前は生地きじのまゝで、一帯の漁村続きに過ぎない。逗子の町はだひっそりしていた。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
当時忍術しのび衆の心掛けとして、同じ家中の侍へも、生地きじの姿は見せなかった。生地の姿を知っているものは、同じ仲間の忍術衆だけで、主君といえども知らなかった。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
思想の自由を善用して世界の智識の一端に触れる事の出来たたまものですが、人でなしに扱われていた因襲の革嚢かわぶくろから生地きじの人間になって躍り出したのは結構な事であるとして
女子の独立自営 (新字新仮名) / 与謝野晶子(著)
説明するまでもなく金春の煉瓦造りは、土蔵のように壁塗りになっていて、赤い煉瓦の生地きじを露出させてはいない。家の軒はいずれも長く突きまるい柱に支えられている。
銀座 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
その年月ねんげつがどうしてわかるかといへば、ゑつけた記録きろくによるほかには、よこつて、生地きじてゐるまるいくつもかさなつてゐるそのきめすうかぞへてみるとわかるのです。
森林と樹木と動物 (旧字旧仮名) / 本多静六(著)
しみぐらいですめばいいが、次第にそれが生地きじみたいになってしまうから、危いんだよ。
次郎物語:04 第四部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
亢奮かうふんしたせいか、少しばかり直りかけた田舎訛いなかなまりが、すっかり生地きじを出してしまいます。
判官三郎の正体 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
すべすべに洗いあげた、子供のような生地きじの顔に、クッキリと眉だけひいている。ヴォリュウムのある身体つきで、田舎で暢気のんきに育った証拠に、手足がのびのびと発達している。
我が家の楽園 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
唐子は生地きじだけを作ってくれれば、彩色は自分の方でするということであった。私もちょうど病気全快して師匠の家で仕事をしていた時であるから、これらの応対を聞いておった。
どういうわけかと問うと、芸者なんぞは、お白いや頬紅の effetエフェエ を研究するにはいかも知れないが、君の家主いえぬしのお上さんのような生地きじの女はあの仲間にはないと云った。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
めんと向かってひどいことを言ったものだが、どこへ出しても生地きじをむきだしの泰軒、徳川などは天下の番頭、したがって愚楽ごときは、番頭の番頭ぐらいにしか思っていないんだ。
丹下左膳:02 こけ猿の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
ボタンに穴を明けて置いて、その中にラジウムをめこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力いりょくは、洋服の生地きじ馬蹄ばていで作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。
柿色の紙風船 (新字新仮名) / 海野十三(著)
しかしミサ子のほうは、さすがにあっさりと生地きじをみせ、なつかしそうにいった。
二十四の瞳 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
唐織衣からおりごろもに思いもよらぬ、生地きじ芸妓げいこで、心易げに、島台を前に、声を掛ける。
南地心中 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
およそえものの和え方は、女の化粧と同じで、できるだけ生地きじの新鮮味をそこなわないようにしなければならぬ。掻き交ぜ過ぎた和えものはお白粉しろいを塗りたくった顔と同じで気韻きいんは生動しない。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
少しままなところのある彼の姉と触れ合っている態度に、少しも無理がなく、——それを器用にやっているのではなく、生地きじからの平和な生まれ付きでやっている。信子はそんな娘であった。
城のある町にて (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
「いいや、男女が二人して作る生活に、幸福なんて滅多にないのじゃありませんか。夫婦生活も、楽しいのは最初のうちだけで、お互に生地きじを出しはじめると、月並な文句ですが、墓場ですな。」
貞操問答 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そして、そうなるとペーピーはあとで、力をにぎるようになったら、いろいろ利益を授けてくれることができるはずだったからだ。女中の一人がずっと前から高い服生地きじを使わないでしまっておいた。
(新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
「だんだん昔の生地きじが出るな」
改訂御定法 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
殺された晩にも、勿論お化粧をしていたのでしょうが、万力が顔の血でも洗った為に、初めて生地きじがあらわれたのでは無いかと察せられます。
半七捕物帳:67 薄雲の碁盤 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
脂肪しぼうに富んだ皮膚は生地きじから色白な質だった。ことし四十一の男ざかりではあり、世の中のおもしろい、そして得意の絶頂にある義元だった。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
教養を知らぬ生地きじのままの人間は、猿と同じことで、怒った時に歯をむきだすものだということを、私はその時知った。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
この男は本当におこっているようですから、人間は本当に憤ると、生地きじを隠すことができないはずだと見たからです。
大菩薩峠:22 白骨の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
常に注意してその肌の生地きじを見せないことと、そうしていれば彼女のうそがほんとうとして通用する程度の姿態を持っていることにあるので、要も実は
蓼喰う虫 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
貧弱な下宿屋の鴨居かもいに頭がつかえる。風采ふうさい生地きじの学生時代にロマンスがあったという丈けに眉目秀麗びもくしゅうれいで通る。間瀬君ほど強度ではないが、矢張り近眼鏡をかけている。
負けない男 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
現在ではただ与えられたいわゆるスターの生地きじとマンネリズムとを前提として脚色はあとから生まれるから、スター崇拝者は喜ぶであろうが、できたものは千編一律である。
映画時代 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
それから色々の所の土を用いて、絵だけは昔の様を継いで来ていたのであるが、この頃では、尾張おわりなどから生地きじを取りよせて、絵だけをつけることにしている人も多いらしい。
九谷焼 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
「おれの何より有難いのは、生地きじで仕えられるということさ。越中守様の下でなら、お太鼓を叩く必要もなければ怒ってばかりいる必要もない。楽に呼吸いきを吐けるというものさ」
銅銭会事変 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
何という生地きじかわからぬ金線入きんせんいり、刺繍裾模様の訪問着に金紗きんしゃの黒紋付、水々しい大丸髷おおまるまげだ。上げた顔を見ると夢二式の大きな眼。小さな唇。卵型のあご。とても気品のある貴婦人だ。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
当たり前じゃないか! ばか正直な問いなんか持ちかけなくても、生地きじはわかり過ぎるほどわかっていて、今さら何もいうがものはないとすれば、誰しも癇癪かんしゃくを起こそうじゃないか。
こいつぁ江戸張りに生地きじでぶつかってゆくに限る——与吉は早くも要領をつかんだ。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
けれども、当分泉のれる憂いはなかったにしても、クリストフはすでに、その泉が作品全体を養うには足りないことを知り得た。観念はたいていいつも、生地きじのままで現われてきた。
そう叫んだのは同じ妖女の声だったが、咄嗟とっさの場合、作り声ではなく、彼女の生地きじの声——たまのように澄んだ若々しい美声びせいだった。——ああ、とうとう探偵の覆面は取り去られたのだった。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)
私のように手落なく仕向けてすら夫は、けっしてこっちの思う通りに感謝してくれるものではありません。あなたは今に夫の愛をつなぐために、そのたっとい純潔な生地きじを失わなければならないのです。
明暗 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
勝子に見られない紅い林檎りんごのような頬がその人にあって、どうかするとその頬から受ける感じは粗野に近いほどのものであったが、それだけ地方から出て来た生地きじのままの特色を多分に有っていた。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)