火照ほて)” の例文
私の甥は顔を火照ほてらせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色けしきさえもございません。
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
五条橋の袂を、西東から行き交う人々の顔が、みんな汗にうじゃじゃけて、赤く火照ほてって、飴細工の如く溶けてくずれ出しそうに見えた。
恐怖 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
顔が熱く火照ほてり、目まで真ッ赤になっている。下唇を強く噛み、眉を曇らせているのは、胸中のなにかの苦悶と闘っているらしい。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
飲めぬ口なので、青面獣せいめんじゅう炎面獣えんめんじゅうのような火照ほてりになりだした。肉を食い、飯をつめこみ、やおら野太刀を持ち直して腰をあげた。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私もその時急に耳まで火照ほてって来るのを感じつつ苦笑した——モナカの事件も存じております——と云われそうな気がして……。
あやかしの鼓 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
渡瀬はまたからからと笑って、酒に火照ほてってきた顔から、五分刈が八分ほどに延びた頭にかけて、むちゃくちゃにでまわした。
星座 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
熱の火照ほてりで珍らしく冴えた頬をして、髪を引きつめのまま仰向きに寝ているお咲の顔は、急に子供に戻ったように見える。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
と、酒が少し入るとすぐ真赤になる性質の房一は、その紅黒い顔を火照ほてらせ、円い身体を持扱ひかねたやうになつて訊いた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
とたんに身内が熱く火照ほてりはじめ、女は空になった武士の杯を満たしてやるのも忘れて、全身がわななくようにふるえた。
(新字新仮名) / 山川方夫(著)
こちら側まで火照ほてりが反射して来るので、満潮の川水に座蒲団を浸しては頭にかむる。そのうち、誰かが「空襲」と叫ぶ。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
「私があなたを愛していることを、ずっと前から知っていらしたくせに。」彼女は打ち明けると苦しいほど顔が火照ほてった。
「ほんではおどおら毎月まいげつ五円ずつ送って寄越すから。——毎月五円ずつ。」と言って市平は、顔の火照ほてるのを覚えた。
土竜 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
まだ、夜がいつぱいあるやうな気がして、寿司を舌の上にくちやくちやと噛みしめながら、ゆき子は、畳の上に火照ほてつた脚を投げ出したりしてゐる。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
さすがの女流詩人も彼が臆面もなく行って来たというその意味がやっと分ったとみえわれ知らず顔を火照ほてらしたが
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
青年は案外に健康さうな双頬そうきょうに純真な火照ほてりを漂はせて明子をまぶしさうに見上げてゐた。明子の顔を微笑が波うつた。二人はうなづき合つて外に出た。
青いポアン (新字旧仮名) / 神西清(著)
そして、そとを歩きながら、まだ火照ほてつてゐる自分の顏に大きな雪の花がぶつかるのを、ひイやりと心よく感じた。
泡鳴五部作:05 憑き物 (旧字旧仮名) / 岩野泡鳴(著)
独語ひとりごとを言ひ言ひ内部なかに入つて来た。見ると暖炉ストーブ周囲まはりには、先客せんかくがどつさり寄つてたかつて火いきれに火照ほてつた真赤な顔をして、何かがやがや話してゐた。
顔が火照ほてって頭がぼうっとして、こうしていても躍り出したくなる無性に楽しいような気がしてきますけれど、それでいて彼女と膝が触れ合っていることが
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
病院で患部を洗はれ、火照ほてる程沁みる藥を忌々しく思ひながら、又同じ道を立ちづめの電車で家に歸ると、全く疲れ切つて何をする氣力もなくなつてしまふ。
「それに、ずうずうしいやつなんです。」お銀は火照ほてったような顔をして、そこへ片づいた晩のことを話した。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
柄にもない気のきいた台詞せりふである。下顎したあごのぎっくりと骨ばった、平べったい顔は酒で赤黒く火照ほてっていた。
本所松坂町 (新字新仮名) / 尾崎士郎(著)
謙作がその方を見た時には、女はもうコップを赤く火照ほてった口元に持って往ってなまめかしいえみを見せていた。謙作のまわりにははなやかなかがやかしい世界が広がっていた。
港の妖婦 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
ぼくは羞恥に火照ほてった顔をして、ちょこんと結んだひっつめのかみをみせ、項垂うなだれているあなたが、恍惚こうこつと、なにかしらぼくのささやきを待ち受けている風情ふぜいにみえると
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
胸は波を打ち、耳は火照ほてるし、眼はくらんで、冷汗が腋の下を伝わるばかり、顔も上げられないのだ。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
凄いほどな麗人といふよりも美しい野の少女があけの頬を火照ほてらしながら、それでも瞳を反らしてしまはずに、うるんだ眼差しで、凝と見入みいつてゐるやうな、捨てがたい
(旧字旧仮名) / 長谷川時雨(著)
晩春の生暖い風が、オドロオドロと、火照ほてった頬に感ぜられる、蒸し暑い日の午後であった。
白昼夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あるとき、春さんは湯から出て顔を真赤に火照ほてらせていたが、それが少し普通でなかった。
生い立ちの記 (新字新仮名) / 小山清(著)
天幕てんまくの中で今日の獲物をあつものの中にぶちこんでフウフウ吹きながらすするとき、李陵は火影ほかげに顔を火照ほてらせた若い蕃王ばんおうの息子に、ふと友情のようなものをさえ感じることがあった。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
自分はそれくらいきた彼女をそれくらいはげしく想像した。そうして雨滴あまだれの音のぽたりぽたりと響く中に、取り留めもないいろいろな事を考えて、火照ほてった頭を悩まし始めた。
行人 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
杉本は恥しさに顔が火照ほてってきた。奇妙な性格の元木武夫にぽかんと浮んだであろう大久保彦左衛門の女房が、何かものわかりの鈍いとされている児童の心をひどく打ったのである。
白い壁 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
やっぱり幾らか火照ほてるには違いないが——心は十分満足して勝ちほこって横になった。
阿Q正伝 (新字新仮名) / 魯迅(著)
私は顏が眞赤まつか火照ほてつて來るのを覺えた。痛ましい、心を掻きみだす追憶の數々が結婚の言葉に誘はれて呼び醒まされたからである。彼等は皆私のかうした當惑と感動を見てしまつた。
夜気がしっとりと重く、わたしの火照ほてった顔へにおいを吹きつけるのだった。どうやら雷雨らいうが来そうな模様で、黒い雨雲がきだして空をい、しきりにそのもやもやした輪郭りんかくを変えていた。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
併し其早業は只一度で無くて幾度も繰返されたのを確実に見た。彼は自分自身がそんな事をして居る様な驚きに出食わした。顔が火照ほてって耳ががァんと鳴って血の凝りでふさがれた様な気がした。
偽刑事 (新字新仮名) / 川田功(著)
かつぐやうにした蝙蝠傘かうもりがさ西日にしびが當つて、お光の顏は赤く火照ほてつて見えた。
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
夜中になって来ると病気の私の身体からだ火照ほてり出し、そして眼がえる。
交尾 (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
韋駄天いだてんに走り去る小僧っ子には、おいつきようもなかった。左利きは全く子供にもかなわない。許生員は破れかぶれに鞭を抛ってしまうより外なかった。酔も手伝ってからだが無性に火照ほてり出した。
蕎麦の花の頃 (新字新仮名) / 李孝石(著)
鳶色に薄桃色をさした小づくりの顔は、内部のたくましい若い生命に火照ほてってあたたかく潤っていた。情熱を大事にしまってでもいるように、またむす子は、両手を上着のポケットにそろえて差し込んでいた。
母子叙情 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
間もなくお宮は酒に赤く火照ほてった頬をおさえながら入って来た。
うつり香 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
彼は自分の耳朶の暑く燃えるように火照ほてるのを感じた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
翼のかげ支柱に映りしづかなる飛行はつづくゆふ火照ほてる海
夢殿 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
「それは」とロイスの顔がきゅうに火照ほてってきて
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
私は恥で全身が火照ほてる感じだった。
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
頬が火のように火照ほてってきた。
鍵から抜け出した女 (新字新仮名) / 海野十三(著)
彼女の眼の中には、意外な事に、悲しみも怒りも見えなかつた。が、唯、抑へ切れない嫉妬の情が、燃えるやうに瞳を火照ほてらせてゐた。
(新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
と、杜興は今——紫いろに地腫じばれした顔の火照ほてりを抱えながら、李応りおう楊雄ようゆう、石秀の前に、いて、そのくやしさを語るのだった。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
体がだるくて手のひらや顔が妙に火照ほてるところを見ると、熱があるに違いないと思うけれども、私は測ってみようとはしない。
(新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
父は風呂で火照ほてった顔を双手りょうてでなで上げながら、大きく気息いきを吐き出した。内儀おかみさんは座にたえないほどぎごちない思いをしているらしかった。
親子 (新字新仮名) / 有島武郎(著)
顔が熱く火照ほてり、動悸がはげしく打つ。肩で大きく息をしながら、見ると、暗い土間に、松の大木をころがしたように、男は横たわっている。動かない。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
お島は今着ているものの聯想れんそうから鶴さんの肉体のことを言出しなどして、小野田を気拙きまずがらせていた。男の体に反抗する女の手が、小野田の火照ほてったほおに落ちた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)