しん)” の例文
朝鮮に東学党の乱が起って、しん国がまず出兵する、日本でも出兵して、二十七年六月十二日には第五師団の混成旅団が仁川じんせんに上陸する。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
『乍浦集』の原本は西暦千八百四十二年すなわち我が天保十三年壬寅の年英国の軍隊が南しんの諸州をこうし遂に香港ホンコンを割譲せしむるに至った時
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
女仙外史一百回は、しん逸田叟いつでんそう呂熊りょゆうあざな文兆ぶんちょうあらわすところ、康熙こうき四十年に意を起して、四十三年秋に至りて業をおわる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
食器が優れていたと言うのは、とりも直さず、料理が進んでいた証拠でありましょう。しかるに、しん代になると、だんだん退化して味が悪くなっている。
食器は料理のきもの (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
青柳より筑前領の大島に出で、彼処かのところより便船を求めて韓国からくにに渡り、伝へ聞く火賊くわぞくの群に入りての国を援け、しんの大宗の軍兵に一泡噛ませ呉れむと思ひし也。
白くれない (新字新仮名) / 夢野久作(著)
素材とか簡素とかいうことは、美の大きな要素である。あの極彩色のしん朝の焼物より、二、三の筆致で単色で画かれた磁州窯の方がどれだけ美しいであろう。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
かん高祖こうそ丁公ていこうりくし、しん康煕こうき帝がみん末の遺臣いしん擯斥ひんせきし、日本にては織田信長おだのぶなが武田勝頼たけだかつより奸臣かんしん、すなわちその主人を織田に売らんとしたる小山田義国おやまだよしくにはいちゅう
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
主としてみん律、しん律などを基礎として立案したのであるが、伯はつとに泰西の法律に着目し、箕作麟祥みつくりりんしょう氏に命じてフランスの刑法法典を翻訳せしめ、これを編輯局に持参して
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
支那の僻陬へきすうの地の農民たちは、日清戦争があったことも、しんみんに取ってかわったことも知らずに、しかし、軍隊の略奪には恐ろしく警戒して生きている、──こういうことは
明治の戦争文学 (新字新仮名) / 黒島伝治(著)
「何だ、紅楼夢だ。しん代第一の艶書、翁が得意だと聞いてはいるが、待った、待った。」
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
むろん和様には遠く唐様からやうの分子がまさつてゐて、みんしん初あたりの某々の書に、いくらか似たのがないでもないが、それにしても小味な個性とはちがつて、茫漠とした気宇が横溢してゐる。
秋艸道人の書について (新字旧仮名) / 吉野秀雄(著)
五月に聞いた話では去年二月に明王は緬甸ビルマへ逃げたそうですが。それでまだ片づかないのか。そんなもようです。もうしん王の時代になるのではないか。どんなものですか、と信助が云った。
抽斎は『老子』を尊崇そんそうせんがために、先ずこれをヂスクレヂイにおとしいれた仙術を、道教の畛域しんいき外にうことをはかった。これは早くしん方維甸ほういでん嘉慶板かけいばんの『抱朴子ほうぼくし』に序して弁じた所である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
諸蒙古酋長が白馬白駝をしん廷に貢する常例十九世紀まで存せりと言えりと(Yule,‘The Book of Ser Marco Polo,’1871, Bk. i, ch. ※)
武子さんは暹羅シャムの皇太子に入輿にゅうよの儀が会議され——明治の初期に、日支親善のため、東本願寺の光瑩こうけい上人の姉妹はらからが、しん帝との縁組の交渉は内々進んでいたのに沙汰さたやみになったが——武子さんのは
九条武子 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
しんの党の旗頭はたがしら、葛西ノ忠太そうろうなり、お書き留めくだされい」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
薔薇の路アカシヤの路くるましてしんの王女の逍遥する日
村落には石のいどがあって、その辺は殊にやなぎが多い。楊の下にはしん国人がかごをひらいてかにを売っている。蟹の大なるは尺を越えたのもある。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
否、その存在の意義が薄いのは真に美しい品たることができないからである。私はあの末期の蒔絵まきえや、しん朝の豪奢な五彩にかつて美しいものを見た場合がない。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
この書はしんの道光二十六年内閣中書舎人魏源しゃじんぎげんの著した『聖武記』十四巻の抄録である。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しかるに廟諡びょうしを得たもうこと無く、正徳しょうとく万暦ばんれき崇禎すうていの間、事しば/\議せられて、しかついに行われず、みん亡び、しん起りて、乾隆けんりゅう元年に至って、はじめて恭憫恵きょうびんけい皇帝というおくりなを得たまえり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
とう律、みん律、しん律などを参酌して立案し、同年八、九月の頃に至ってその草案は出来上ったが、当時の参議副島種臣そえじまたねおみ氏はこれを閲読して、草案「賊盗律」中に謀反むほん、大逆のくだりあるを発見して
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
明末みんまつしんこれをこぼち、なおいまだ修せられず」
銅銭会事変 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しん乾隆けんりゅう二十六年のことである。虎邙こきゅうに乞食があって一頭の狗熊くゆうを養っていた。熊の大きさは川馬せんばのごとくで、のような毛が森立している。
あの価を誇り技巧におごる末期の蒔絵まきえしん朝五彩の焼物を私に贈る者があるなら、私はそれをどこにしまうかに困却するであろう。尊い故ではない、醜いからである。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
漢土かんどには白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡とうばが望湖楼酔書を始めとう韓偓かんあく夏夜雨かやのあめしん呉錫麒ごしゃくき澄懐園消夏襍詩ちょうかいゑんしょうかざっしなぞそのるいすくなからず。彼我風土の光景互に相似たるを知るに足る。
夕立 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
しん朝もその国初の康煕こうき雍正ようせい乾隆けんりゅうの百三十余年間はめざましい文運隆昌の時代で、嘉慶かけいに至って漸く衰えはじめました。
あの官窯かんようであったしん朝の五彩ごさいを見てもそうです。単に驚くべき技巧の発達のみが示されて、美は埋没されてしまいました。あの抹茶器として作られたものを見てください。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
一 しんの名家袁随園えんずいえんが『詩話』まきの四に
小説作法 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
しん雍正ようせい十年六月の夜に大雷雨がおこって、けん県の県城の西にある某村では、村民なにがしが落雷に撃たれて死んだ。
各時代の歴史はそれぞれの偉大な王侯や、英雄を有ち、また重く強い民衆をひかえているのであります。しゅうしんや漢や六朝りくちょう、つづいてとうそうげんみんしんの各時代は、それぞれ巨大な歴史を有って居ります。
北支の民芸(放送講演) (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
わたくしどもにはよくわかりませんが、支那の小説は大体に於いて、とうしんとが一番よろしく、次がそうで、みん朝の作は余り面白くないのだとか申すことでございます。
○台南市桐骨董こっとう店にてしん末頃の赤絵の皿を見て
台湾の民芸について (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
しんの乾隆二十年、都で小児が生まれると、驚風きょうふう(脳膜炎)にかかってたちまち死亡するのが多かった。
その人はしん阮葵生げんきせいの書いた「茶余客話」という書物を持って来て、梅沢君に説明して聞かせた。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
それから九百余年の後、しん康煕こうき年間のことである。会稽かいけい徐藹じょあいという諸生が年二十五でという病いにかかった。腹中に凝り固まった物があって、甚だ痛むのである。
しんの太祖が遼東一帯の地を斬り従えて、瀋陽しんよう——今の奉天——に都を建てた当時のことである。
雪女 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
わたくしは最後に『閲微草堂筆記』を受持つことになりましたが、これは前の『子不語』にまさる大物で、作者は観奕道人かんえきどうじんと署名してありますが、実はしん紀昀きいんであります。
この作者はしん袁枚えんばいで、あざな子才しさいといい、号を簡斎かんさいといいまして、銭塘せんとうの人、乾隆けんりゅう年間の進士しんしで、各地方の知県をつとめて評判のよかった人でありますが、年四十にして官途を辞し