江州ごうしゅう)” の例文
お銀の奉公先は、江州ごうしゅう小室こむろで一万二千石の領主小堀和泉守こぼりいずみのかみ様——江戸御上屋敷は駿河台だ。奥方には御姫様ばかりで跡取りが無い。
江州ごうしゅう、甲州、あるいは信州飯田いいだあたりの生糸商人も追い追い入り込んで来る模様があるから、なかなか油断はならないとの話もある。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
逃亡後、しばらく江州ごうしゅうあたりに身をかくし、還俗げんぞくして、兄義輝の後を継いで、十四代将軍を名乗ったものである。年は二十七歳だった。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中村栗園先生の門を素通りその時の道中であったか、江州ごうしゅう水口みなくち中村栗園なかむらりつえん先生の門前を素通すどおりしましたが、れははなはだ気に済まぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
あるいは倭姫命やまとひめのみことを祭ったのが始めという江州ごうしゅう土山の田村神社などの類で、この外にも新暦に引直した社がなお多かりそうである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
庄さん、お前、先生のおともをして胆吹山へお参りをしたら、その足で、江州ごうしゅうの大津の鍵屋伝兵衛といってたずねておいで……
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
茶壺ちゃつぼ。丈一尺四分、胴巾九寸、口径四寸五分。陶器。窯は江州ごうしゅう信楽しがらき。手法は焼締め、鉄流し釉。日本民藝美術館(現在、日本民藝館)蔵。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
東山道の迷信は順序として江州ごうしゅうより始めんに、家相について聞いた話がある。その地方にては、「四六畳、三ヘッツイ、家相構わず」と申す由。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
太郎左衛門は二人の女をれて、じぶんの家へ帰り女房やじょちゅうに云いつけて二人の世話をさした。二人は江州ごうしゅうから来た者でわかい方の女は色の白いきれいな顔をしていた。
切支丹転び (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
蛍の名所と云えば江州ごうしゅう守山もりやま辺にも、岐阜市の郊外などにもあるが、大概そう云う土地では名産の蛍を貴いあたりへ献上するので、捕獲することを禁じている
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
使って居た女中じょちゅうは、江州ごうしゅう彦根在の者で、其郷里地方きょうりちほうには家屋敷を捨売りにして京、大阪や東京に出る者が多いので、うその様にやすい地面家作の売物うりものがあると云う。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
かく憎しみとうらみ強き故か馬が人のために復讐した話もある(プリニウス八巻六四章、『淵鑑類函』四三三、王成の馬、『奇異雑談』下、江州ごうしゅう下甲賀名馬の事)
一気に繁昌はんじょうおもむいたが、もとよりあまねく病難貧苦を救うて現安後楽の願ひを成就じょうじゅせんとの宗旨しゅうしであれば、やがて江州ごうしゅう伊吹山いぶきやまに五十町四方の地をひらいて薬草園となし
ハビアン説法 (新字旧仮名) / 神西清(著)
雪の深い関ヶ原を江州ごうしゅうの方に出抜けると、平濶へいかつな野路の果てに遠く太陽をまともに受けて淡蒼うすあお朝靄あさもやの中にかすんで見える比良ひら比叡ひえいの山々が湖西に空に連らなっているのも
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
この中には西京さいきょうの松茸も少しばかり混っていますが大概は江州ごうしゅうから美濃みの辺の松茸のようです。
食道楽:冬の巻 (新字新仮名) / 村井弦斎(著)
「横山懐之かいし江州ごうしゅうノ人ナリ。自ラ湖山ト号ス。来ツテ余ノ塾ニ寓ス。年僅ニ二十七。志気すこぶる壮ナリ。客歳常房ノ間ヲ周遊シ、ちかごロ江戸ニ還リソノ詩ヲ刻セント欲シテ余ノ題言ヲもとム。」
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
「多賀の杓子」というのは、江州ごうしゅうの多賀社から御守に出す杓子のことであろう。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
むずかしい役目を引受けさせられたのが鎮守府将軍田原藤太秀郷とうだひでさと末孫ばっそんと云われ、江州ごうしゅう日野の城主から起って、今は勢州松坂に一方の将軍星として光を放って居た蒲生忠三郎氏郷であった。
蒲生氏郷 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
そもそも、始祖は江州ごうしゅうの産、叡山えいざんに登って剃髪ていはつし、石堂寺竹林房如成じょせいと云う。佐々木入道承禎しょうていく、久しく客となっておりますうち、百家の流派を研精し、一派を編み出し竹林派と申す。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
一行は九月十七日に京都を立って、同月二十五日には無事江府に下着げちゃくした。そして、石町こくちょう旅人宿りょじんやど小山屋に、江州ごうしゅうの豪家垣見左内公儀に訴訟の筋あって出府したと称して逗留とうりゅうすることになった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
もっとも、最初東京にはいってくるものは、江州ごうしゅう地方でいわゆるあゆの飴煮あめににするものであって、これはあまり美味なものではない。あゆは不思議な魚で、水勢のないところでは大きくならない。
若鮎について (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
兼子は十二人の子女の一人で、十八のおり江州ごうしゅうから婿むこを呼びむかえた。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
江州ごうしゅう雲州などという、わしの頼みとあらば灯の中水の中へも飛び込もうというすごいのがそろっているが、毎夜本堂に故買ずやの市が立って、神田の閑山なんかが出張って来てうるさくて寝泊まりはできぬ
つづれ烏羽玉 (新字新仮名) / 林不忘(著)
三成は、佐吉といっていた幼少の頃、江州ごうしゅうの一寺に小坊主として養われ、たまたま秀吉が休息に立ち寄ったとき、その茶童ちゃどうぶりを見て
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ですが江州ごうしゅうのもので最も注意すべきは信楽しがらきの焼物でありましょう。歴史の起りははなはだ古く、それに室町時代から茶人との縁が深かった窯であります。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
きのうは馬籠桝田屋ますだや江州ごうしゅう辺の買い手が来てたくわえ置きの保金小判を一両につき一両三分までに買い入れて行ったとか
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江州ごうしゅう草津と大津との間に数年前、新たに石山駅というものができて間もなく、深更の汽車がいまだ停車場に達せざるうちに、数個の電灯が並立せるを見
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
一方怒髪天をいて、片っぱしからちかよる民衆をひっくくり上げた検地役人の一行は、いったいこの村は何という村? と詰問した時に、江州ごうしゅう石田村と聞いて
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
元来温井検校の家は日蓮宗にちれんしゅうであって検校を除く温井一家の墓は検校の故郷こきょう江州ごうしゅう日野町の某寺にある。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
江州ごうしゅうの彦根、越後の高田、南部の盛岡、岩代いわしろの二本松、伊予の西条、羽後うごの秋田、上総かずさの大多喜、長州の山口、越前の福井、紀州の和歌山、常陸ひたちの水戸、四国の高松
江州ごうしゅう伊香いか郡坂口村の菅山寺は昔猴が案内して勅使に示した霊地の由(『近江輿地誌略』九〇)、下野しもつけより会津方面にかけて広く行わるる口碑に、猿王山姫と交わり、京より奥羽に至り
例えば江州ごうしゅう水口みなくち碩学せきがく中村栗園なかむらりつえんは父の実弟のように親しくして居ましたが、元来がんらい栗園の身分は豊前ぶぜん中津なかつ染物屋そめものやの息子で、所謂素町人の子だから、藩中士族は誰も相手になるものがない
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
三月の末東京に帰って、五月中またいちごなど持ってたずねて来た。翌年丁度引越しの一周年に、彼女はまた手土産てみやげを持って訪ねてくれた。去年帰西して、昨日きのう江州ごうしゅうから上京したばかりだと云った。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
……江州ごうしゅうへ入っては佐々木家へ仕え、京へはいっては三好家へ仕え、播磨はりまへ行っては別所家へ仕え、出雲いずもへ行っては尼子家へ仕え、備前びぜんへ行っては浮田家へ仕え、安芸あきへ行っては毛利家へ仕えた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
*九州柳川、江州ごうしゅう彦根及び八幡、雲州松江等の天然物が最良。
料理メモ (新字新仮名) / 北大路魯山人(著)
江州ごうしゅう浅井家まで来ている将軍の一行に対しては、それから間もなく、光秀を案内者とし、人数をさし送り、岐阜城へ迎え入れた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山水の絵はもと江州ごうしゅう信楽しがらきに発したものでありましょうが、益子では明治のなかば頃から盛に描かれるに至りました。
益子の絵土瓶 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
もはや御一行が江州ごうしゅう草津くさつまで動いたという二十二日の明け方になって、吉左衛門は夜通し早駕籠はやかごを急がせて来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江州ごうしゅうくんだりまで来て、百姓一揆に加担するなんて、物好きにも、人違いにも、方図があらあ。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
右とよく似たる話は、江州ごうしゅう犬上郡客中に聞いたことである。
おばけの正体 (新字新仮名) / 井上円了(著)
名はとめと云って江州ごうしゅう彦根在ひこねざいの者であった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
一応、江州ごうしゅう附近の攻略をすませると、光秀は留守居軍の一部をとどめ、全軍装備を新たにして、ふたたび上洛の途についた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これらの志士との往来が幕府の嫌疑けんぎを受けるもとになって、身辺に危険を感じて来た彼はにわかに京都を去ることになり、夜中江州ごうしゅう八幡やわたにたどり着いて西川善六にしかわぜんろくを訪い
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
江州ごうしゅうの小川村へ行くと、藤樹先生をたずねて来る他郷の人の為に、村人は、わざわざ衣服を改めて案内したそうですが、郷党にはその位の気風があってよろしいです、閑山先生は聞えたる老詩人です
近畿 京都大阪を中軸とし、東は江州ごうしゅうから南は紀州まで。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
いま広間の中ほどに、一面の大きな絵図が、小姓たちの手でひろげられた。それは畳二枚ほどもあった。——江州ごうしゅう蒲生郡安土あづち一帯の絵図である。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼が江州ごうしゅうの草津辺を帰るころは、そこにも満水の湖を見て来た。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
いま京都に家を持っているが、海北友松は、江州ごうしゅう堅田かただの人。つまり光秀の領する坂本城の近くに生まれた由縁ゆかりをもっている。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここにあるべきはずの北畠信雄きたばたけのぶおは、蒲生賢秀がもうかたひでとともに江州ごうしゅうの土山にたてこもり、いまなお伊勢伊賀の叛乱軍と抗戦中なることも来て見てわかった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
たとえば、相撲すもうにしても、それを安土でようとなると、江州ごうしゅう、京都、浪華なにわそのほかの遠国からも千五百人からの相撲取をあつめて興行したりする。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)