“蒲生賢秀”の読み方と例文
読み方割合
がもうかたひで100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
蒲生賢秀がもうかたひで以下の留守居衆が、信長の妻子眷族けんぞくをつれてことごとく日野の城へ退いていた後だし、町の家々にも、暖簾のれんも見えず商品の影もない。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
阿部の屋敷の裏門に向うことになった高見権右衛門はもと和田氏で、近江国おうみのくに和田に住んだ和田但馬守たじまのかみすえである。初め蒲生賢秀がもうかたひでにしたがっていたが、和田庄五郎の代に細川家に仕えた。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
あれは日野ひの城の蒲生賢秀がもうかたひでどののお子で鶴千代どのと申されます。
蒲生鶴千代 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)