だな)” の例文
久「ハア、そんなら先へきましょう、おや/\こゝの所は三軒ながら明きだなになった、こういう日あたりのいゝ所が明いては困るねえ」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
そのほかにも借り手のない空きだなが七戸か八戸あるので、実際の住人は二十七か八家族、合わせて百五十人から百七八十人を前後していた。
赤ひげ診療譚:06 鶯ばか (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「それが不思議なんだ、親分。二人共本所相生町あひおひちやう惣十郎だなの五軒長屋に隣合つて住んでゐる無二の仲だと言ふんですぜ——」
住居というのは、やはり以前のどぶだなの近くと見えます。三味線堀しゃみせんぼりに沿ってあれから、稲荷町いなりちょうの方角へ足を向けて行くと
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
住吉の渡船わたしをわたって通い、日本橋植木だなの藤間の家元に踊りをならいなどして、劇作を心がけ、坪内先生によって新舞踊劇にこころざしていた。
人参は高価の薬で、うらだなずまいの者が買い調えられる筈がないから、見殺しは気の毒だと思いながらも、それを教えずに帰って来たというのでした。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
味覚としての「いき」は「けものだな山鯨やまくじら」よりも「永代えいたい白魚しらうお」の方向に、「あなごの天麩羅てんぷら」よりも「目川めがわ田楽でんがく」の方向にもとめて行かなければならない。
「いき」の構造 (新字新仮名) / 九鬼周造(著)
送りたり然るに小兵衞は尾張町の呉服だな龜屋かめやの番頭仁兵衞といふ者に取入とりいり呉服物を二三百兩づつ預りて商賣しやうばいしける所に此仁兵衞頓死とんしして一向勘定合かんぢやうあひの分らざるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
京都に本店をもつこの大だなの帯安では余程以前から師匠を口説きおとすのに骨折っているようであった。
痀女抄録 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
神田けだものだな(今の豊島通りを右へ廻った辺)に「二六蕎麦」という名物、つまり十二文でなみのところより四文安いが、またその安いざつなところに一種の味があって
蕎麦の味と食い方問題 (新字新仮名) / 村井政善(著)
浅草どぶだな長遠寺ちょうえんじ御影供日おめいくびなので、紀州侯徳川茂承もちつぐの愛妾、お中﨟ちゅうろう大井おおいは、例年どおり御後室ごこうしつの代参をすませると、総黒漆そうくろうるしの乗物をつらねて猿若町さるわかまちの市村座へまわり
と申しますのは、中京辺りの大だなでは、どこの店でも家宝とする立派な屏風を、祇園祭りの間中店に飾ります。代々つづいている大きな老舗しにせでは、誠に立派な屏風を持っております。
いまだにむすめこゝろせで、金齒きんばれたる口元くちもとい、い、子細しさいらしく數多あまた奴婢ひとをも使つかへども、旦那だんなさますゝめて十けんだな人形にんぎやうひにくなど、一つまのやうには
われから (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
この先の五丁目次郎兵衛だなに同じく小物渡世で与惣次よそうじという四二やく近い男鰥おとこやもめが住んでいて、たいして別懇でこそなけれ、藤吉も彦兵衛も勘次も朝夕顔を見れば天気の挨拶位は交す仲だった。
そのは、ちょうど植木だな執持とりもち薬師様と袖を連ねた、ここの縁結びの地蔵様、実は延命地蔵尊の縁日で、西河岸で見初みそめて植木店で出来る、と云って、宵は花簪はなかんざし、蝶々まげ、やがて、島田、銀杏返いちょうがえし
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
そしてだなを番している老人に逢って、いろいろの話を取り決めた。
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
「ふん、また、おきまりの源治だなですか?」
雪の町 (旧字旧仮名) / 林芙美子(著)
「へえ、ワラだな河岸かしでございます」
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
牛込うしごめさかな町の喜平だなといい、路地の奥ではあったが一戸建ての家で、うしろが円法寺という小さな寺の土塀になっていた。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
飛んでも無い、調べは調べですよ、——親分が言つた通り、人形を荒された三軒とも名題の大だなで、人形も立派でしたよ。
木曾街道で有名な、ももんじだなである。隣から隣へつづいて半丁ばかりの両側は、みな、大熊、熊のてんの皮、などという看板をかけた店ばかり。
鳴門秘帖:03 木曾の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
るものなりやといはれしかば本郷三丁目徳兵衞だな住居ぢうきよなし日々雇ひ候者なれども心底しんていかくと存じ申さず越後邊の出生しゆつしやうの者と申立しにより大岡殿以後手懸てがゝりともならんかと樣子やうす
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
株家督かぶかとくがあるというでは無し、芳町のうらだなに逼塞して、おふくろは針仕事や洗濯物をして、細々にその日を送っているという始末ですから、久松は九つの年から近所の糸屋へ奉公にやられ
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
当夜植木だなのお薬師様の縁日に出たついでに、孫が好きだ、と草餅の風呂敷包を首に背負しょって、病中ながらかねて抱主かかえぬしのお孝が好いた、雛芥子ひなげしの早咲、念入に土鉢ながら育てたのを丁寧に両手に抱いて
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
久「明きだなはござい/\」
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
老人は京橋小田原町五郎兵衛だなという貸家の差配をしてい、名は松蔵、年は六十二歳だと云った。老人はそのとおりを、きちんと云ったのだ。
二十三といふにしては、ひどく若々しいのは、大だなの懷ろ子に育つて、世間の風にもあまり當らなかつたせゐでせう。
堀の裏だなで、まんまー、まんまーと、泣いていた格太郎も、もう前髪をとって、青額白皙せいがくはくせきの青年だった。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「あきだなさ、お前さん、田畝たんぼ葦簾張よしずばりだ。」
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
然程さるほどに大岡殿にはよく直樣すぐさま吉原土手下どてしたの人殺し一でう調しらべとなり其人々には駈込訴人かけこみそにんこく町二丁目甚兵衞だな六右衞門方同居久八右久八伯父をぢ六右衞門久八元主人神田三河町伊勢屋五兵衞代金七富澤町甲州屋吉兵衞等なり越前守殿久八を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
はっきり覚えているのは、下谷の御成道おなりみちの太助だなという長屋にいたときのことで、おせいは五歳だったが、母親は良人おっとと娘を捨てて出奔した。
さぶ (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
砧右之助は駒形の六兵衛だなに、偽名もせずにいる。丁寧につれて来るがいい、——それから、鞍掛宇八郎の浪宅は少し遠い。本郷丸山の手習師匠だ、これも誰か人を
本所ほんじょ林町紀之国屋だな
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
去定は接待へとおるとすぐに、小田原町の五郎兵衛だなからおくにという女が入牢している筈であるが、と訊いた。岡野は頷いて、入牢していると答えた。
砧右之助は駒形の六兵衞だなに、僞名ぎめいもせずに居る。丁寧につれて來るが宜い、——それから、鞍掛宇八郎の浪宅は少し遠い。本郷丸山の手習師匠だ、これも誰か人を
「名めえは文次だ」と文次が云った、「住居は京橋白魚河岸の吉造だなで、年は二十九、ほかに訊くことがあったら云ってくれ、答えられることならなんでも答えるぜ」
あすなろう (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
平次はいきなり、あさりだなの裏から、御小人おこにん屋敷、定火消御役屋敷(今の元町)の方へ行きました。
悪い商人は、こんな駆引かけひきで、表店の大だなを乗っ取る手もあるんですね、そこへ行くと此方こちとらは
炭屋河岸の小助だなという長屋から出て来ると、子供が駆けよって「おじちゃん」と呼びかけた。振向くと子供はにっと笑い、逃げ腰になりながら「おれ腹がへっちゃったんだよ」と云った。
おさん (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
十年も前から懇意こんいにして居ますが、上根岸の源三郎だなに居る、喜六といふ男で、——まだ四十七になつたばかりですが、昨日の朝卒中そつちうにやられて、後が女房に子達が六人
そして明くる朝、八丁堀から町方が出張して訊問じんもんしたところ、すらすらと犯行を自白したので、口書を取ったうえ小伝馬町へ送った。——卯之吉は冬木町の源兵衛だなに住み、伊与吉という父親がある。
しじみ河岸 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
親分、大變。十軒だなの徳次郎親分は、お縫殺しの下手人の疑ひで、三國屋の若旦那を縛りましたよ。一度自害といふことで誤魔化ごまかさうとしたのを、親分に出て來られて手柄を
「こちらは駿河町の越後屋のお手代で、繁二郎と仰しゃる方です、わたくしは山崎町の藤兵衛だなにいる、おかねという者ですが、この方は、死んだわたくしの娘の墓まいりに来て下すったところなんです」
夕靄の中 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「二長町の五兵衞だなで生れました。町内で訊いて下されば、まだ知つてる者がありませう」
向柳原むこうやなぎわらの彦兵衛だなで、背負商せおいあきないの小間物屋をしている宇太八うたはちというのが私の父親で」
「向柳原の彦兵衞だなで、背負商せおひあきなひの小間物屋をして見る宇太八うたはちといふのが私の父親で」
平次はいきなり、あさりだなの裏から、御小人屋敷、定火消御役屋敷の方へ行きました。
十軒だなの徳次郎は、平次よりは十歳も年上でせう。一時は兎も角鳴らした御用聞でしたが、力と無理押しと、情實と手加減を使ひわけ、近頃はあまり評判のよくない男だつたのです。
相手は大家だから十軒だなの徳次郎親分や、町役人までも渡りをつけ、自害といふことにしてとむらひの支度に取りかゝらうとするのを、あつしが一人で頑張つて、其儘にさせて來ましたがね。
皆んな金のあり餘る大だなで、——そんな事は内證にして置き度いでせうが、人形荒しなどは珍らしいから、若い奉公人の口からすぐ漏れて、半日經たないうちに、あつしの耳へ入りますよ