境涯きょうがい)” の例文
敦子あつこさまが、こちらで最初さいしょかれた境涯きょうがい随分ずいぶんみじめなもののようでございました。これが敦子あつこさま御自身ごじしん言葉ことばでございます。——
日夜数知れぬ多くの人に名を呼ばれている境涯きょうがいの身であれば、商売をめるからとて、一々馴染みの客に断って往くわけのものでもない。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
あまりに昇進の早いのをねたむ同輩のためにざんせられて、山口藩和歌山藩等にお預けの身となったような境涯きょうがいをも踏んで来ている。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
『多年、連れ添うては来たが、身を町人の境涯きょうがいに落して見れば、家風に合わぬ其方そなた何日いつかは去ろうと考えていたのじゃ……』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大抵人は境涯きょうがいに化せられるものであって、どうもそこへ行って見ると自然にありがたくならなくちゃならんようになって来る。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
一つには自分がこれらの言を充分に味わう境涯きょうがいに達しない、すなわち自己のさとらず自己の弱点を察しないゆえである。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
オリヴィエは若かった。そして、生来の悲観性にもかかわらず、不幸な境涯きょうがいにもかかわらず、やはり生きていたかった。
慚愧ざんき不安の境涯きょうがいにあってもなお悠々ゆうゆう迫らぬ趣がある。省作は泣いても春雨はるさめの曇りであって雪気ゆきげ時雨しぐれではない。
春の潮 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
安値あんちょく報酬ほうしゅう学科がっか教授きょうじゅするとか、筆耕ひっこうをするとかと、奔走ほんそうをしたが、それでもうやわずのはかなき境涯きょうがい
六号室 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
応変自由なること、鐘の撞木しゅもくに鳴るごとく、木霊こだまの音を返すがごとく、活溌かっぱつ轆地ろくち境涯きょうがいとらえました。
鯉魚 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
「三河屋の旦那はそれでもよく文吉の世話をしたそうですよ、いくら注ぎ込んでも、貧乏性は仕方のないもので、あの通りその日暮しの境涯きょうがいから足が洗えません」
いや、それくらいで済めばよいが、悪くすれば食うに食なくまとうに衣なき境涯きょうがいにまで落ちねばなるまい。
細雪:03 下巻 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
このうらやむべき境涯きょうがいにいたって、はじめて婆羅門アウルヤ学派の知識と名乗り、次ぎの世に生まれ変わりたいと思うものをも、自由自在に望むことが許されるのである。
ヤトラカン・サミ博士の椅子 (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
そしてそういう境涯きょうがいのために、天国的にジャン・ヴァルジャンはコゼットの父となった。
いろいろ考えぬいた揚句あげく、私は遂に一案を思付いた。それは甚だ突飛とっぴな解決法であった。しかし現在の私のような境涯きょうがいにあっては致し方のないことだ。読者よ、あきれてはいけない。
大脳手術 (新字新仮名) / 海野十三(著)
陸上の美しい色彩に目を転じなければならぬような境涯きょうがいに進出して来たのであろうか。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
そこで、自分自身の妻に、別人として、再度の恋愛をするという、奇怪な境涯きょうがいに入る。これがやはり、旧作「一人二役」や「石榴ざくろ」において、私が最も興味を持った境涯なのである。
探偵小説の「謎」 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯きょうがいではないでしょう」
自分の算盤玉でやって行く商人の自由な境涯きょうがいうらやましがっている。息子が義兄の店で勤め上げて一本立ちにして貰えるならこの上はない。その意味から既に先方へ諾意だくいを表していたのである。
脱線息子 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
「どうだね。あの例の子が——私の忘れたことのないあの子が——ひょっとして——いやほんとに、隣家となりのその気の毒な娘みたいな境涯きょうがいにおちこむようなことも、ないとはいえないだろう。」
すなわ種々いろいろある手段によって三摩地さまち境涯きょうがいに入れば自ら五官の力を借りずに事物を正しく知ることが出来る、古来聖人君子の説かれたおしえは皆この五官のまよいを捨てよと云う事に他ならないのである。
大きな怪物 (新字新仮名) / 平井金三(著)
秋から冬になって時雨しぐれた日もたびたびあった。そのたびたびの時雨にったということも住み馴れた心持にぴったりと当てはまるものだ。び住んで居る静かな人の境涯きょうがいがおのずから描かれておる。
俳句への道 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
どちらにも進まれないような境涯きょうがいに座して苦しんでいます。
青春の息の痕 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
その時になると、彼は中津川の問屋の仕事を家のものに任せて置いて京都の方へ出かけて行くことのできる香蔵の境涯きょうがいをうらやましく思った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
父親の親類というのはどこにもなく、生命いのちの綱ともつえとも柱とも頼んでいた弟に死なれてからは本当の母ひとり娘ひとりのたよりない境涯きょうがいであった。
黒髪 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
それからモー四百余年よねんわたくし境涯きょうがいはそのあいだ幾度いくど幾度いくどかわりましたが、しかしわたくしいまおそのときいただいた御鏡みかがみまえ静座せいざ黙祷もくとうをつづけてるのでございます。
長い間のあこがれの的であった人と逢う瀬を楽しむ境涯きょうがいになったものゝ、それから後も皮肉屋の女の癖は改まらず、やゝもすれば意想外な悪戯いたずらを考え出してなぶりものにし
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
これは希臘ギリシア擬古狂詩ぎこきょうしの断片をざっと飜訳したものだそうだ。それと同じような意味を父の敬蔵けいぞう老荘ろうそうの思想から採って、「渾沌未分の境涯きょうがい」だといつも小初に説明していた。
渾沌未分 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
げんに人間が生理的にも貧弱にできあがっており、その大多数が粗野で、愚かで、すこぶるみじめな境涯きょうがいにある以上、誇りとかなんとかいっても、なんの意味があるでしょうか。
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
いかにいそがしい人といえどもかの実行の範囲内にあると思うし、またこいねがわくは一年に一回ぐらい一週間なり十日間なりほとんど俗事を忘るるごとき境涯きょうがいに入ることができるならば
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
実に清浄しょうじょう境涯きょうがいでございます。家のあるじは長く止まって一切蔵経を読んで貰いたいという希望でありますけれども、私はただ雪峰を越す時季を待つために逗留して居るのでございます。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
鰻まで出て芝居しばいをやって見せたというありさまだったから、まずまずこれまでにはない愉快な日であった。極端に自由を奪われた境涯きょうがいにいて見ると、らちもない事にも深き興味を感ずるものである。
水籠 (新字新仮名) / 伊藤左千夫(著)
ということは、あらゆる貧乏人、あらゆる家族所有者の、羨望せんぼうまとである所の、此上このうえもなく安易で自由な身の上を意味するのだが、柾木愛造は不幸にも、その境涯きょうがいを楽しんで行くことが出来なかった。
(新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
わしの境涯きょうがいは餓鬼道より少しもまさってはいない。
俊寛 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
彼らが境涯きょうがいの困難であればあるだけ、そのこころざしも堅く、学問も確かに、著述も残し、天文、地理、歴史、語学、数学、医学、農学、化学
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そんな親類があって、こんどそれだけの金を出してくれるくらいならば、そもそもあんな卑しい境涯きょうがいに身を沈めない前に泣きついて行くはずである。
狂乱 (新字新仮名) / 近松秋江(著)
それは場所ばしょ変更へんこうもうすよりは、むしろ境涯きょうがい変更へんこうまた気分きぶん変更へんこうもうすものかもれませぬ。
深編笠ふかあみがさの二人侍が訪ねて来るところで、この唄を下座げざに使っているのを図らずも聴いたが、与市兵衛よいちべえ、おかや、お軽などの境涯きょうがいと、いかにも取り合わせのうまいのに感心した。
吉野葛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
実にこれを説明するにも涙がこぼれる程哀れな境涯きょうがいにあるのです。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
そういう正香は諒闇の年を迎えると共に大赦たいしゃにあって、多年世を忍んでいた流浪るろう境涯きょうがいを脱し、もう一度京都へとこころざす旅立ちの途中にある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
盲人の不自由な境涯きょうがいを出来るだけ体験しようとして時には盲人をうらやむかのごとくであった彼が後年ほんとうの盲人になったのは実に少年時代からのそういう心がけが影響しているので
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いったん飛騨の山のような奥地に引ッ込んでしまえば容易に出て来られる境涯きょうがいとも思われなかったからで。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
すでに落飾らくしょく境涯きょうがいにあるというほど一変した京都の方の様子も深く心にかかりながら、半蔵は妻籠本陣に一晩泊まったあとで、また連れと一緒に街道を踏んで行った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)