凄惨せいさん)” の例文
旧字:凄慘
安岡は研ぎ出された白刃はくじんのような神経で、深谷が何か正体をつかむことはできないが、凄惨せいさんな空気をまとって帰ったことを感じた。
死屍を食う男 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
そして、私のそのかすかな身ぶるいのなかを氏の作品の「羅生門」の凄惨せいさんや「地獄変」の怪美や「奉教人の死」の幻想が逸早いちはやく横切った。
鶴は病みき (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
そのほか、せまい間道かんどうや、みねみちでも、およそ敵兵の出没と、小ゼリ合いの見えぬ所はなく、夜もひるも、凄惨せいさんなこだまだった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だれもその凄惨せいさんな裏面には気づく者はなかった。第一どうしてそんなことが推察し得られたろう? 印度にはそういう沼がいくらもある。
それが巫女みこの魔法を修する光景に形どって映写されているようであるが、ここの伴奏がこれにふさわしい凄惨せいさんの気を帯びているように思う。
宇田川小町とうたわれた非凡の艶色えんしょくは、死もまた奪う由なく、八方から浴びせた提灯の光の中に、凄惨せいさんな美しいものさえかもし出しているのです。
真っ黒に焼けた柱の燃え残りが、あちらこちらに不気味に突っ立って、テラスの混凝土コンクリートゆかだけが残っているのが、何ともいえぬ凄惨せいさんさです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
こもの下には捜しまわったその小娘の死骸しがいが、見るも凄惨せいさんな形相をして、あおむけになりながら横たわっていたからです。
右門捕物帖:30 闇男 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
対外的のことはしばらくとしても、国内的にみれば欽明きんめい朝より推古朝にいたるおよそ五十年のあいだは、眼をおおわしむる凄惨せいさんな戦いの日々である。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
フッと気がついたときには、あの凄惨せいさんな小田原の隧道の上かと思いの外、身はフワリとやわらかいベッドの上に、長々と横になっているのでありました。
崩れる鬼影 (新字新仮名) / 海野十三(著)
ただわかるのは、線と色との調和と、それから描かれた人物の陰深にして凄惨せいさんな表情。そうして見ているうちに、温和があり、威厳がある半面の相。
大菩薩峠:24 流転の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
これが、ひや酒となると、なおいっそう凄惨せいさんな場面になるのである。うなだれている番頭は、顔を挙げ、お内儀のほうに少しくひざをすすめて、声ひそめ
酒の追憶 (新字新仮名) / 太宰治(著)
あるものは足を吊られて、さかさまに噴気孔に下げられている。それは一幅いっぷく凄惨せいさんな地獄絵図でなくて何であろう。
雲仙岳 (新字新仮名) / 菊池幽芳(著)
五十八 けれど日没の凄惨せいさんな光景を見た者は、明日の日があろうとは思えなかった。ただ絶望するのみであった。
暗黒星 (新字新仮名) / シモン・ニューコム(著)
吹きまくる雪に包まれて、国老の屋敷は森閑と鎮りかえっていた……胸に喰込むような、凄惨せいさんな叫びであった。急に板の引裂けるような物音だったが……。
夜明けの辻 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
暗灰色の夕空、濃いやみにつつまれてゆく野ッ原——、何もかも窒息させられてしまい、この凄惨せいさんな景色のどこに「春」がひそんでいるなどと考えられようか⁈
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
その、ものがなしげな太い響は、この光景にさらに凄惨せいさんな趣を加えるようであった。やがてサイレンがむと、教官は自分の演じた効果に大分満足したらしく
壊滅の序曲 (新字新仮名) / 原民喜(著)
すると怪しや三人の姿は、彼の威勢に恐れたものかパッとそのまま消え失せたが、家の上とおぼしい方角から、声を揃えて唄う声が、凄惨せいさんとして聞こえて来た。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そして女は極めて緩く鈍く薄笑いに笑った。それは笑いというべきものであったか、何であったか分らぬ、如何なる画にも彫刻にも無い、妖異ようい凄惨せいさんなものであった。
連環記 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
表情のない仮面のような顔であった。歯と歯の間からとび出す凄惨せいさんな音を聞きながら、「金作——」と彼は口のなかで云った。想像のなかで弟を呼んでみたのである。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
道の両側になった樹木の枝には、凄惨せいさん海嘯つなみの日の光景を思わすように、ぼろぼろになった衣服きものや縄ぎれが引っかかっていた。それを見ると壮い漁師の心は暗くなった。
海嘯のあと (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
凄惨せいさんな努力を一年ばかり続けたのち、ようやく、生きることのよろこびを失いつくしたのちもなお表現することの歓びだけは生残りうるものだということを、彼は発見した。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
場面がすごはずなのに、すこしも凄惨せいさんさがなく、どことなく伸び伸びしているのは、島抜け法印の、持って生れた諧謔味かいぎゃくみが、空気をなごやかなものにしているせいであろう。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
先頃キネマ倶楽部で上場されたチェーラル・シンワーラーの「ジャンダーク」は大評判の大写真で、けてもその火刑ひあぶりの場は凄惨せいさんを極めて、近来の傑作たる場面であった。
活動写真 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
それにしても、このような恐ろしい最期さいごをとげるとは! あまりにも凄惨せいさんだ。ひどい屈辱だ。亡き人を思いおこして、死別の苦痛をやわらげるよすがとするものは何もない。
傷心 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
大仏殿の二階で全く逃げ場がない避難者たちの喚き叫ぶ声は、夜空に凄惨せいさんなひびきをつたえた。大焦熱の地獄、焔の底の罪人も、これほどとは思われぬ阿鼻あびの地獄であった。
這入った刹那せつなに私の見たものは、ひとみの据わった、一種凄惨せいさんな感じのこもったナオミの眼でした。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
主水は高野を下山して、紀州家をたよって身を寄せた、加藤家と高野山の争いもそうであったが、紀州家を対手あいてとして、争いを起そうと決心した加藤家は、凄惨せいさんな覚悟を据えた。
討たせてやらぬ敵討 (新字新仮名) / 長谷川伸(著)
ただ一と声、凄惨せいさん咆哮ほうこうが響いたかと思うと、虎は矢のように第二の突撃をこころみた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
今度は、周章あわてずに、ぐ下りて見たが、何んともいいようのない凄惨せいさんな場面だった。
鉄路 (新字新仮名) / 蘭郁二郎(著)
と家従たちがいさめるのを退けてしいて出て来たのである。しかも遠距離ですぐにも行き着くことのできない道は夕霧をますます悲しませたのであった。山荘は凄惨せいさんの気に満ちていた。
源氏物語:39 夕霧一 (新字新仮名) / 紫式部(著)
そこが何より、この場面仕掛の見せ所だったのである。それから、ホレイショの凄惨せいさんな独白があって、それが終ると、頭上の金雀枝を微風が揺り、花弁はなびらが、雪のように降り下って来る。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
全盛期を過ぎた伎芸ぎげいの女にのみ見られるような、いたましく廃頽はいたいした、腐菌ふきん燐光りんこうを思わせる凄惨せいさん蠱惑力こわくりょくをわずかな力として葉子はどこまでも倉地をとりこにしようとあせりにあせった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
その階下に屍体を横たえて放火したものらしく、しかも火勢が非常に猛烈であったため、腹部以下の筋肉繊維は全然、黒き毛糸状に炭化して骨格にからみ付き、凄惨せいさんなる状況を呈していたと言う。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
夜々綢繆ちうびうの思ひ絶えざる彷彿はうふつ一味の調は、やがて絶海の孤島に謫死てきししたる大英雄を歌ふの壮調となり五丈原頭ごぢやうげんとう凄惨せいさんの秋をかなでゝは人をして啾々しうしう鬼哭きこくに泣かしめ、時に鏗爾かうじたる暮天の鐘に和して
閑天地 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
「どうしたら、ええんだ!」——しまいに、そう云って、勃起ぼっきしている睾丸きんたまを握りながら、裸で起き上ってきた。大きな身体の漁夫の、そうするのを見ると、身体のしまる、何か凄惨せいさんな気さえした。
蟹工船 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
観客席は今までの凄惨せいさん陰鬱な気分から開放されてにわかに陽気になる。闘牛コリダと比べて、これは確かに呑気のんきしごくな、きわめて力の入れがいのある——つまり、牛を代表に立てた対市競技だからである。
子供はその凄惨せいさんな光景に思わず目をおおってしまう。……
恢復期 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
墳墓から出でたる者が、洞窟どうくつから出でたる者を脅かし狼狽ろうばいさせる。獰猛なるものは凄惨せいさんなるものを恐れる。おおかみは幽鬼に出会ってあとに退く。
犬射いぬいノ馬場で斬り死をとげ、じつに凄惨せいさんな全滅をみてしまったが、原因は一に、味方とたのんでいた者が、俄に、裏切りに出たことにあった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
頭を胡果くるみからのように叩き潰されたお萩の死体は、物馴れた八五郎の眼にも凄惨せいさんで、二度と調べて見る気も起させません。
そのまに館がひとり、山村がいち人、あとの四人を残りの近侍達が斬りすてて、広場の砂礫は凄惨せいさんとして血の海だった。
老中の眼鏡 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
凄惨せいさんかぎりなき空中墳墓くうちゅうふんぼ! おおこの奇怪きわまりなき光景を望んで気が変にならないでいられるものがあり得ようか。
空中墳墓 (新字新仮名) / 海野十三(著)
いいえ、疑わぬどころか! 凄惨せいさんとも、陰惨とも、申訳ないとも、気の毒とも……聞いているうちに私は、何ともかともいおうようのない気がしてきたのです。
墓が呼んでいる (新字新仮名) / 橘外男(著)
国威の昂揚こうようする偉大な時代を背景としつつ、一方では凄惨せいさんな地獄絵は幾たびか展開されていたのであった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
かならず凄惨せいさんに吠えあって、主人としての私は、そのときどんなに恐怖にわななき震えていることか。
重傷者の来てむ泉。つぎつぎに火傷者の来て呑む泉。僕はあの泉あるため、あの凄惨せいさんな時間のなかにも、かすかな救いがあったのではないか。泉。泉。泉こそは……。
鎮魂歌 (新字新仮名) / 原民喜(著)
ただ「船弁慶ふなべんけい」で知盛とももりの幽霊が登場し、それがきらきらする薙刀なぎなたを持って、くるくる回りながら進んだり退いたりしたその凄惨せいさんに美しい姿だけが明瞭めいりょうに印象に残っている。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
これはまた一段の修羅場だ——という一句によって推察せられる如く、先夜の池田屋斬込みに幾倍する凄惨せいさんの場面が、この京洛の一角のいずれかで展開せられたに相違ない。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
このあと、船には身分ある者は乗せても下郎は乗せるなといって、武士たちは、雑人が船に近寄れば太刀、長刀で打ち払う。船をめぐって味方同志の凄惨せいさんな場面が展開された。