見恍みと)” の例文
こう彼は呟いたまま、しばらく女の寝顔に見恍みとれていたが、何と思ったかきゅうに首を縮めて、またすっぽり夜着を引被ひっかぶってしまった。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
その視線をうけているのをまだ気づかずに、これも頻りに芸人の刀玉取に見恍みとれながらにこにこしていた若い旅支度の商人風な男がある。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ポカンと眼を開けて無意味に踊り子の厭らしい踊りに見恍みとれていた彼は、彼等の出て行く後姿を見遣りながら、斯うまた自分に呟いたのだ。
子をつれて (新字新仮名) / 葛西善蔵(著)
……おかしいな……妙だな……と男ながら惚れ惚れと鏡越しに見恍みとれているうちに、若い親方は、吾輩の首の周囲まわりに白い布片きれをパッと拡げた。
山羊髯編輯長 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
火影ほかげ片頬かたほゝけたつまかほは、見恍みとれるばかりに綺麗きれいである。ほゝもポーツと桜色さくらいろにぼかされて、かみいたつてつやゝかである。
背負揚 (新字旧仮名) / 徳田秋声(著)
この道は、さして骨の折れないカヤトですから一行はあたかも遊散気取りで悠々と歩んで周囲の山巒さんらんのただならぬ情景に見恍みとれるの余裕が出ました。
山道 (新字新仮名) / 中里介山(著)
童子は、黙って時計をさッきから見恍みとれていたが、その白い肌に遠い覚えを辿たどるようなむしろ鬱陶うっとうしい目いろをした。
後の日の童子 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
予はフイイレンチエの偉人廟パンテオンであるサンタ・クロスの広場へ来てダンテの大石像を仰ぎ、寺内じないはひつてヂヨツトの筆に成る粗樸そぼくにして雄健ゆうけんな大壁画に見恍みとれた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
「ねえ、おッ師匠しょさん。そう花火にばかり見恍みとれていないで、さあひとつ干しておくんなさいよ」
円朝花火 (新字新仮名) / 正岡容(著)
怒と恨とで燃えかがやいた私の目ですら、つい見恍みとれずにはいられません位。はっと心付いて私は御部屋を出ました。——もう奥様の御運は私の手の中に有ましたのです。
旧主人 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
房一が来た用を忘れてしばらく見恍みとれてゐる間に、小柄な、鼠のやうに小粒な円い眼の、額の禿げ上つた男の顔が店土間からのぞいたかと思ふとすぐに下駄を突つかけて出て来た。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
各箇いくつかの団体の、いろいろの彩布の大旗小旗の、それが朝風に飜って居る勇しさに、凝乎じっ見恍みとれてお居でなさった若子さんは、色の黒い眼の可怖こわい学生らしい方に押されながら、私の方を見返って
昇降場 (新字新仮名) / 広津柳浪(著)
思ひししばし見恍みとれつひるさがり陶器師すゑものつくりはろくろを廻はす
真珠抄 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
稀〻たまたま、彼が念頭にない老画師の姿を、おおまだ居たのかと、見かける時は、老画師はいつも画冊と絵筆を手にして、山を写し、渓流けいりゅう見恍みと
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この野郎、扇屋の女中部屋の寝像ねぞうにでも見恍みとれて、またよくねえ了見りょうけんを出したとみえるな、世話の焼けた野郎だ」
巴里パリイのノオトル・ダムを観る暇の無かつた晶子はこれ見恍みとれて居る。周囲の礼拝らいはい室に静かに黙祷もくたうに耽つて居る五六人の女が居た。響くものは僕等の靴と草履ざうりの音だけである。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
私は暫くの間、茫然とそんな光景を見恍みとれておりました。
少女地獄 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
殊に、堀秀政や、その他、互いに名を惜しむ武門の将は、美しきものに見恍みとれるときのような眼で、湖の沖を凝視していた。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
絵姿だとばかり思って、お君があまり熱心に見恍みとれているものですから、能登守が少しばかり説明を加えますと
大菩薩峠:13 如法闇夜の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
私はただ茫然と、それを見恍みとれているきりである。
路傍の木乃伊 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
と、男が男のすがたに見恍みとれるほどの者もあった。わけても吉田忠左衛門、背は高く、肩の肉は厚く、容貌は魁偉かいいである。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と言って、能登守はめたけれど、お松の言葉よりは鎌のような月の方に見恍みとれているのでありました。
「御亭主には、いつのまにやら、お点前てまえ行作ぎょうさも、お見事になられましたな。きょうは、とくと拝見して余りのお変りように、思わず見恍みとれました」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そう思ったものですから、兵馬は臨湖の岸まで来て、急がず、湖上遥かに見渡して、その風景に見恍みとれてたたずんだが、それからおもむろに湖畔を逍遥の体で歩んで行くと、ふと岸の一角に
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
いや、見恍みとれてもいる。——これがわが子の修業の端か。ひととせ、都に出て、他人のきびしい撥で打たれつつ習い覚えた曲の一つか。いじらしさよ。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山岳にも河川にも用のない机竜之助は、日当りのよいことが何より結構で、お銀様が風景に見恍みとれている時に、竜之助はよい気持であたりの芝生の上へ腰を卸して、日の光を真面まともに浴びている。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
弟の行為をののしりながらも、兄の今若も、乙若が心のままにそれをむさぼっている容子を、うらやましげに見恍みとれていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松の木立の隙間すきまから、晴れた空をながめやり、暫くその空の色に見恍みとれていたようでしたが、やがて、思い出したように煙管きせるをハタハタとはたくと、再び立ち上って、例の小鍬を無雑作に拾い上げ
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
勘太は、水桶のなかに映っている自分の顔に見恍みとれていた。もう一つの桶のなかには、秋空の雲が浮いていた。
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
金蔵は我を忘れて見上げ見恍みとれていました。
大菩薩峠:05 龍神の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
万花まんげいろどりには、琥珀こはく、さんご、真珠をちりばめ、瓔珞ようらくには七ツの小さい金鈴と、数珠宝珠ずずだまをさげるなど、妙巧の精緻せいち、ただ見恍みとれるのほか、ことばもない。
新・水滸伝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、そこの薬草嚢やくそうぶくろ見恍みとれたりした。ただ筑阿弥のことだけは、べつにどうとも、考え出されなかった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
笠のうちで、苦笑して見ていた。彼は、先刻さっきからその軒つづきの陶器師すえものしの細工場の前に立ち、子供のように何事も忘れて、轆轤ろくろへらの仕事に見恍みとれていたのであった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、君臣は、なにか美しい光輪のにじでも見まもるように、しばしその夕は、一すいの灯に見恍みとれ合った。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
室町の京公達きょうきんだちでも、こうととのった姿とおもざしは少なかろう。——しかし、それにばかり見恍みとれていた者は、天井を見ている彼のひとみの、不敵なものを見遁みのがしていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仰ぐと、町のどこからでも、岐阜城の巍然ぎぜんたる城壁が見える。——笠のへりに手をかけると、それにもややしばし見恍みとれている。何か、感慨に耐えないものがあるらしい。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「小殿のおん眉には、まだ御酒も足らぬそうな。それとも、藤夜叉ふじやしゃにお見恍みとれでございますか」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
杉戸の絵に見恍みとれているうちに、光悦や紹由を見失ってしまい、武蔵が廊下を迷っていると
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼は朝露にぬれた姿を、草から出て、河原に立たせ、しばらく、水の美しさに見恍みとれていた。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ元のしじまに返って——ほどなく、追っかけて行った兵の群れが、むなしげに戻って来ると、そこの四ツ目結の紋幕の外に、ひとり黙然と散る花に見恍みとれている将があった。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「えっ、年景の」生信房は、しばらくの間、立ちすくんで火災の美しさに見恍みとれていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこから少し離れたところから、祇園ぎおん藤次も、さっきから見恍みとれていた一人であった。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、みな見恍みとれた。——といっても、蒲柳ほりゅう柔弱にゅうじゃくな型ではなく、四肢は伸びやかに、眉はく、頬は小麦色に、くちびるのごとく、いかにも健康そうな、美丈夫、偉丈夫の風があった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
安楽房は、何かすばらしい名工の細工物でも見るようにその手に見恍みとれていた。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わが姿の清麗に、見恍みとれていたわけでもない。生命に感謝していたのである。
宗業は、塀の外をしばらくぶらぶらしていたが、やがて、鍛冶かじいけのそばへ行って、雑草の中の石に、腰をおろし、ふなかなにか、水面みなもをさわがしている魚紋に見恍みとれていた。時々、顔を上げて
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
姉妹きょうだいは、自分で作った人形に見恍みとれる人形師のように、牛若をながめた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽柴どのもお若いが、織田どのの御中堅ごちゅうけんは、ほとんどみな壮年、御築城の壮観といい、そこに立たれている幕将方の意気といい、旭日きょくじつの勢いとは、これをいうかと、最前から見恍みとれておりました
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、テレた顔を上げて、見恍みとれるような素振そぶりをしたりしていた。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
などと美麗きれいなものを見出してしばし見恍みとれていたりした。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)