しょく)” の例文
しょくの西南の山中には一種の妖物ようぶつが棲んでいて、その形は猿に似ている。身のたけは七尺ぐらいで、人の如くに歩み、つ善く走る。
諸葛孔明はしょくの玄徳のために立たれるまでは、南陽というところで、みずから鋤鍬すきくわを取って百姓をしておいでになりましたのです。
大菩薩峠:38 農奴の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
やがて後にしょくの天子となるべき洪福と天性の瑞兆であったことは、趙雲のける馬の脚下あしもとから紫の霧が流れたということを見てもわかる
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
人は何人も向上的精神に依りて生活している者であれば、ろうを得てしょくを望むということがすべての成業者の成業の道程である。
現代学生立身方法 (新字新仮名) / 大隈重信(著)
後又、北はさいを出でゝ元の遺族を破り、南は雲南うんなんを征して蛮を平らげ、あるい陝西せんせいに、或はしょくに、旗幟きしの向う所、つねに功を成す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
おれはこんな男に対して、どんな手段を取るだろう、俺がしょくの都へくのは、ねて往くのではない、苦しいから逃げて往くのだ、いずれにしても
倩娘 (新字新仮名) / 陳玄祐(著)
何度くずれてもしょくの桟道のようなものさえ造っておけば、やっかいな四面の海などはないも同然だ。ここにおいてか初めて大陸的気風を養成することができる。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
それより七年以前まえの天宝八年に、范陽はんよう進士しんし呉青秀ごせいしゅうという十七八歳の青年が、玄宗皇帝の命を奉じ、彩管さいかんうてしょくの国にり、嘉陵江水かりょうこうすいを写し、転じて巫山巫峡ふざんふきょうを越え
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
それは中国の湖北省西方からいわゆるしょくの地の四川省にかけて生ずる常緑の大喬木(高さ五、六丈)の名であって、蓮花のような美花を発らき蘭花のような佳香があるといわれる。
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
支那のしょくの成都に幹利休という人があってこの人の遺偈が左の如くである。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、——せめて帰り路だけでも好いから、のがれたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分はしょく桟道さんどうと云う事を人から聞いて覚えていた。
坑夫 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
「いや彼はしょくの産だ」
岷山の隠士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
待ちかねていた——二人してしょくを望むように待っていた東寔とうしょく愚堂和尚が、ふらりと、旅よごれのまま、八帖寺へ見えたのである。
宮本武蔵:08 円明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
五代のしょくが国号を建てた翌年、彼は或る夜ひそかに村舎の門をぬけ出して、行くえ不明になった。そのうちに、往来の人がこんなことを伝えた。
実に洪武三十一年八月にして、太祖崩じて後、幾干月いくばくげつらざる也。冬十一月、代王だいおうけい暴虐ぼうぎゃく民をくるしむるを以て、しょくに入りて蜀王と共に居らしむ。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
その素姓を洗えば、しょく鵠鳴山こうめいざんにいてやはり道教をひろめていた張衡ちょうこうという道士の子で、張魯ちょうろあざな公棋こうきという人物だった。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
作者はしょく杜光庭とこうていであります。杜光庭は方士ほうしで、学者で、唐の末から五代に流れ込み、蜀王のしょうに親任された人物です。
のち戦功をって累進して将となり、しょくを征し、雲南うんなんを征し、諸蛮しょばんを平らげ、雄名世にく。建文元年耿炳文こうへいぶんに従いて燕と戦う。炳文敗れて、成とらえらる。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
いわゆる天下の嶮、しょく桟道さんどうをこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、沔陽に着くと
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼がしょく成都せいとに拠って叛乱を起したときに、蜀王の府をもってわが居城としていたが、それは数百年来の古い建物であって、人と鬼とが雑居のすがたであった。
しょくと同盟して、魏の洛陽らくようかんとし、曹操の建業も一朝いっちょうかとあやぶまれていたようなときである。
私本太平記:10 風花帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
なにかの商売用で長江ちょうこうをさかのぼってしょくへゆくと、成都の城外——と言っても、六、七里も離れた村だそうですが、その寂しい村の川のほとりに龍王廟というのがある。
青蛙堂鬼談 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
(彼の死を見たことは、この筑前ちくぜんにとって、たとえばしょく孔明こうめいくしたよりも大きな悲しみだろう)と。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
元和の末年に李夷簡りいかんという人がしょくの役人を勤めていたとき、蜀の町に住む趙高ちょうこうという男は喧嘩を商売のようにしているあばれ者で、それがために幾たびか獄屋に入れられたが
そうだ。孔明こうめいを迎えてしょくせいし、三国の一方を占めて帝座にのぼった人物。この人がまだ志も得ず、孔明にも会わず、同族の劉表りゅうひょうに身を寄せて、いわば高等食客を
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幾人の盗賊がしょく玄徳げんとくの墓をあばきにはいると、内には二人の男が燈火あかりの下で碁を打っていて、ほかに侍衛の軍人が十余人も武器を持って控えていたので、盗賊どももおどろいて謝まり閉口すると
「いえ、しょくの国を取ったら、荊州はおかえし申すと、孔明も連判して、固い証約を取ってありますから」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「荊州の玄徳は、いよいよしょくに攻め入りそうです。目下、彼の地では活溌な準備が公然と行われている」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しょくの大軍は、沔陽べんよう陝西省せんせいしょう沔県べんけん漢中かんちゅうの西)まで進んで出た。ここまで来た時
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「三つもだ。そして、二つは還った。一つは、しょくの軍営におちたきりだった」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しょく劉璋りゅうしょうへ、一書をおつかわしあって、玄徳は呉へ後詰ごづめを頼んできている。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔明こうめいの家、諸葛氏しょかつしの子弟や一族は、のちに三国のしょく——それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中国のしょくへ通う途中にでもありそうな「山市さんし」といったおもむきの土地である。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そうだろう。しょく劉備りゅうびではないが、信長の髀肉ひにくもすこしえたからの」
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
せっかく、しょくに立つや、劉玄徳りゅうげんとくは、遺孤いこ孔明こうめいに託してった。孔明のかなしみは、食も忘れたほどだったという。——だが、わしとおぬしの間はあべこべだ。孔明に先立たれた劉備りゅうびにひとしい。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
喰い終る頃、うっすらと、下の谷間は霧がれかかって来た。敵の搦手からめてだ。——しょく桟道かけはしを思わすような蔦葛つたかずらの這った桟橋かけはしが見える。絶壁が見える。巨大な青苔あおごけえた石垣やらさくなども見える。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
竹童はこの深山にみょうだなと思いながら、なにごころなくながめまわしてくると、天斧てんぷ石門せきもん蜿々えんえんとながきさく、谷には桟橋さんばし駕籠渡かごわたし、話にきいたしょく桟道さんどうそのままなところなど、すべてはこれ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、しょく、魏の三つに分れた地線の交叉こうさしている真ん中にいる。荊州はまさに大陸の中央である……が、ここにいま誰が時代の中枢をつかんでいるか。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
柳ヶ瀬、椿坂、大黒谷おおくろだにと、蜿蜒えんえんの兵馬はしょくに入るしのばせた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)