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蜀
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しょく
ふりがな文庫
“
蜀
(
しょく
)” の例文
蜀
(
しょく
)
の西南の山中には一種の
妖物
(
ようぶつ
)
が棲んでいて、その形は猿に似ている。身のたけは七尺ぐらいで、人の如くに歩み、
且
(
か
)
つ善く走る。
中国怪奇小説集:03 捜神記(六朝)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
諸葛孔明は
蜀
(
しょく
)
の玄徳のために立たれるまでは、南陽というところで、みずから
鋤鍬
(
すきくわ
)
を取って百姓をしておいでになりましたのです。
大菩薩峠:38 農奴の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
やがて後に
蜀
(
しょく
)
の天子となるべき洪福と天性の瑞兆であったことは、趙雲の
翔
(
か
)
ける馬の
脚下
(
あしもと
)
から紫の霧が流れたということを見てもわかる
三国志:07 赤壁の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
人は何人も向上的精神に依りて生活している者であれば、
隴
(
ろう
)
を得て
蜀
(
しょく
)
を望むということがすべての成業者の成業の道程である。
現代学生立身方法
(新字新仮名)
/
大隈重信
(著)
後又、北は
塞
(
さい
)
を出でゝ元の遺族を破り、南は
雲南
(
うんなん
)
を征して蛮を平らげ、
或
(
あるい
)
は
陝西
(
せんせい
)
に、或は
蜀
(
しょく
)
に、
旗幟
(
きし
)
の向う所、
毎
(
つね
)
に功を成す。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
俺
(
おれ
)
はこんな男に対して、どんな手段を取るだろう、俺が
蜀
(
しょく
)
の都へ
往
(
ゆ
)
くのは、
拗
(
す
)
ねて往くのではない、苦しいから逃げて往くのだ、
何
(
いず
)
れにしても
倩娘
(新字新仮名)
/
陳玄祐
(著)
何度くずれても
蜀
(
しょく
)
の桟道のようなものさえ造っておけば、やっかいな四面の海などはないも同然だ。ここにおいてか初めて大陸的気風を養成することができる。
雪国の春
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
それより七年
以前
(
まえ
)
の天宝八年に、
范陽
(
はんよう
)
の
進士
(
しんし
)
で
呉青秀
(
ごせいしゅう
)
という十七八歳の青年が、玄宗皇帝の命を奉じ、
彩管
(
さいかん
)
を
笈
(
お
)
うて
蜀
(
しょく
)
の国に
入
(
い
)
り、
嘉陵江水
(
かりょうこうすい
)
を写し、転じて
巫山巫峡
(
ふざんふきょう
)
を越え
ドグラ・マグラ
(新字新仮名)
/
夢野久作
(著)
それは中国の湖北省西方からいわゆる
蜀
(
しょく
)
の地の四川省にかけて生ずる常緑の大喬木(高さ五、六丈)の名であって、蓮花のような美花を発らき蘭花のような佳香があるといわれる。
植物一日一題
(新字新仮名)
/
牧野富太郎
(著)
支那の
蜀
(
しょく
)
の成都に幹利休という人があってこの人の遺偈が左の如くである。
民芸四十年
(新字新仮名)
/
柳宗悦
(著)
水は胸までくらい我慢するがこの梯子には、——せめて帰り路だけでも好いから、
遁
(
のが
)
れたかったが、やっぱりちょうどその下へ出て来た。自分は
蜀
(
しょく
)
の
桟道
(
さんどう
)
と云う事を人から聞いて覚えていた。
坑夫
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
「いや彼は
蜀
(
しょく
)
の産だ」
岷山の隠士
(新字新仮名)
/
国枝史郎
(著)
待ちかねていた——二人して
蜀
(
しょく
)
を望むように待っていた
東寔
(
とうしょく
)
愚堂和尚が、ふらりと、旅よごれのまま、八帖寺へ見えたのである。
宮本武蔵:08 円明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
五代の
蜀
(
しょく
)
が国号を建てた翌年、彼は或る夜ひそかに村舎の門をぬけ出して、行くえ不明になった。そのうちに、往来の人がこんなことを伝えた。
中国怪奇小説集:11 異聞総録・其他(宋)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
実に洪武三十一年八月にして、太祖崩じて後、
幾干月
(
いくばくげつ
)
を
距
(
さ
)
らざる也。冬十一月、
代王
(
だいおう
)
桂
(
けい
)
暴虐
(
ぼうぎゃく
)
民を
苦
(
くるし
)
むるを以て、
蜀
(
しょく
)
に入りて蜀王と共に居らしむ。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
その素姓を洗えば、
蜀
(
しょく
)
の
鵠鳴山
(
こうめいざん
)
にいてやはり道教をひろめていた
張衡
(
ちょうこう
)
という道士の子で、
張魯
(
ちょうろ
)
、
字
(
あざな
)
を
公棋
(
こうき
)
という人物だった。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
作者は
蜀
(
しょく
)
の
杜光庭
(
とこうてい
)
であります。杜光庭は
方士
(
ほうし
)
で、学者で、唐の末から五代に流れ込み、蜀王の
昶
(
しょう
)
に親任された人物です。
中国怪奇小説集:08 録異記(五代)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
後
(
のち
)
戦功を
以
(
も
)
って累進して将となり、
蜀
(
しょく
)
を征し、
雲南
(
うんなん
)
を征し、
諸蛮
(
しょばん
)
を平らげ、雄名世に
布
(
し
)
く。建文元年
耿炳文
(
こうへいぶん
)
に従いて燕と戦う。炳文敗れて、成
執
(
とら
)
えらる。
運命
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
いわゆる天下の嶮、
蜀
(
しょく
)
の
桟道
(
さんどう
)
をこえて、ここまで出てくるだけでも、軍馬は一応疲れる。孔明は、沔陽に着くと
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
彼が
蜀
(
しょく
)
の
成都
(
せいと
)
に拠って叛乱を起したときに、蜀王の府をもってわが居城としていたが、それは数百年来の古い建物であって、人と鬼とが雑居のすがたであった。
中国怪奇小説集:15 池北偶談(清)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
呉
(
ご
)
は
蜀
(
しょく
)
と同盟して、魏の
洛陽
(
らくよう
)
を
衝
(
つ
)
かんとし、曹操の建業も
一朝
(
いっちょう
)
の
間
(
ま
)
かとあやぶまれていたような
秋
(
とき
)
である。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
なにかの商売用で
長江
(
ちょうこう
)
をさかのぼって
蜀
(
しょく
)
へゆくと、成都の城外——と言っても、六、七里も離れた村だそうですが、その寂しい村の川のほとりに龍王廟というのがある。
青蛙堂鬼談
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
(彼の死を見たことは、この
筑前
(
ちくぜん
)
にとって、たとえば
蜀
(
しょく
)
が
孔明
(
こうめい
)
を
亡
(
な
)
くしたよりも大きな悲しみだろう)と。
黒田如水
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
元和の末年に
李夷簡
(
りいかん
)
という人が
蜀
(
しょく
)
の役人を勤めていたとき、蜀の町に住む
趙高
(
ちょうこう
)
という男は喧嘩を商売のようにしている
暴
(
あば
)
れ者で、それがために幾たびか獄屋に入れられたが
中国怪奇小説集:05 酉陽雑爼(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
そうだ。
孔明
(
こうめい
)
を迎えて
蜀
(
しょく
)
を
征
(
せい
)
し、三国の一方を占めて帝座にのぼった人物。この人がまだ志も得ず、孔明にも会わず、同族の
劉表
(
りゅうひょう
)
に身を寄せて、いわば高等食客を
新書太閤記:05 第五分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
幾人の盗賊が
蜀
(
しょく
)
の
玄徳
(
げんとく
)
の墓をあばきにはいると、内には二人の男が
燈火
(
あかり
)
の下で碁を打っていて、ほかに侍衛の軍人が十余人も武器を持って控えていたので、盗賊どももおどろいて謝まり閉口すると
中国怪奇小説集:05 酉陽雑爼(唐)
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
「いえ、
蜀
(
しょく
)
の国を取ったら、荊州はおかえし申すと、孔明も連判して、固い証約を取ってありますから」
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「荊州の玄徳は、いよいよ
蜀
(
しょく
)
に攻め入りそうです。目下、彼の地では活溌な準備が公然と行われている」
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜀
(
しょく
)
の大軍は、
沔陽
(
べんよう
)
(
陝西省
(
せんせいしょう
)
・
沔県
(
べんけん
)
、
漢中
(
かんちゅう
)
の西)まで進んで出た。ここまで来た時
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「三つもだ。そして、二つは還った。一つは、
蜀
(
しょく
)
の軍営におちたきりだった」
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
蜀
(
しょく
)
の
劉璋
(
りゅうしょう
)
へ、一書をおつかわしあって、玄徳は呉へ
後詰
(
ごづめ
)
を頼んできている。
三国志:09 図南の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
孔明
(
こうめい
)
の家、
諸葛氏
(
しょかつし
)
の子弟や一族は、のちに三国の
蜀
(
しょく
)
、
呉
(
ご
)
、
魏
(
ぎ
)
——それぞれの国にわかれて、おのおの重要な地位をしめ、また時代の一方をうごかしている関係上、ここでまず諸葛家の人々と
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
中国の
蜀
(
しょく
)
へ通う途中にでもありそうな「
山市
(
さんし
)
」といった
趣
(
おもむき
)
の土地である。
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうだろう。
蜀
(
しょく
)
の
劉備
(
りゅうび
)
ではないが、信長の
髀肉
(
ひにく
)
もすこし
肥
(
こ
)
えたからの」
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
せっかく、
蜀
(
しょく
)
に立つや、
劉玄徳
(
りゅうげんとく
)
は、
遺孤
(
いこ
)
を
孔明
(
こうめい
)
に託して
逝
(
い
)
った。孔明のかなしみは、食も忘れたほどだったという。——だが、わしとおぬしの間はあべこべだ。孔明に先立たれた
劉備
(
りゅうび
)
にひとしい。
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
喰い終る頃、うっすらと、下の谷間は霧が
霽
(
は
)
れかかって来た。敵の
搦手
(
からめて
)
だ。——
蜀
(
しょく
)
の
桟道
(
かけはし
)
を思わすような
蔦葛
(
つたかずら
)
の這った
桟橋
(
かけはし
)
が見える。絶壁が見える。巨大な
青苔
(
あおごけ
)
の
生
(
は
)
えた石垣やら
柵
(
さく
)
なども見える。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
竹童はこの深山に
妙
(
みょう
)
だなと思いながら、なにごころなくながめまわしてくると、
天斧
(
てんぷ
)
の
石門
(
せきもん
)
、
蜿々
(
えんえん
)
とながき
柵
(
さく
)
、谷には
桟橋
(
さんばし
)
、
駕籠渡
(
かごわた
)
し、話にきいた
蜀
(
しょく
)
の
桟道
(
さんどう
)
そのままなところなど、すべてはこれ
神州天馬侠
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ああ、こう観ていると、自分のいる位置は、まさに呉、
蜀
(
しょく
)
、魏の三つに分れた地線の
交叉
(
こうさ
)
している真ん中にいる。荊州はまさに大陸の中央である……が、ここにいま誰が時代の中枢をつかんでいるか。
三国志:06 孔明の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柳ヶ瀬、椿坂、
大黒谷
(
おおくろだに
)
と、
蜿蜒
(
えんえん
)
の兵馬は
蜀
(
しょく
)
に入る
魏
(
ぎ
)
を
偲
(
しの
)
ばせた。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“蜀(
蜀漢
)”の解説
蜀漢(しょくかん/しょっかん、221年 - 263年)は、中国の三国時代に劉備が巴蜀の地(益州、現在の四川省・湖北省一帯および雲南省の一部)に建てた国。
歴史上、蜀の地に割拠した王朝は多数あるが、王朝を指して「蜀」と言った場合、多くは蜀漢を指す。
(出典:Wikipedia)
蜀
漢検1級
部首:⾍
13画
“蜀”を含む語句
玉蜀黍
黄蜀葵
蜀江
蜀紅
蜀葵
蜀山
望蜀
蜀道
紅蜀葵
蜀錦
蜀山人
唐蜀黍
蜀黍
巴蜀
蜀魂
望蜀生
蜀紅錦
蜀江錦
西蜀
蜀川
...