“望蜀”のいろいろな読み方と例文
読み方割合
ぼうしょく75.0%
ばうしよく12.5%
ぼうしよく12.5%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
わしに望蜀(ぼうしょく)の意はあるとしても、あんな山地の一方に屈して、曹操(そうそう)、孫堅(そんけん)ごとき者と争い、互角(ごかく)に一生を終るなど、手本とはいたしたくない。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十五年(ねん)の九月(ぐわつ)、日(ひ)は忘(わす)れたが初旬(しよじゆん)であつた。それが權現臺(ごんげんだい)最初(さいしよ)の發掘(はつくつ)で、其頃(そのころ)余(よ)の宅(たく)は陣屋横町(ぢんやよこちやう)に在(あ)つて、活東(くわつとう)望蜀(ばうしよく)の二子(し)が同住(どうじう)して居(ゐ)た。後(のち)に玄川子(げんせんし)も來(き)た。
最(もつと)も振(ふる)つて居(ゐ)たのは三十六年(ねん)一月(ぐわつ)元旦(ぐわんたん)で、此日(このひ)年始(ねんし)に來(き)た幻花子(げんくわし)は、掘初(ほりぞ)めをすると云(い)つて唯(たゞ)一人(ひとり)で出掛(でか)けたのを、後(あと)から、靜灣(せいわん)、佳水(かすゐ)、天仙(てんせん)、望蜀(ぼうしよく)、古閑(こかん)、狹衣(さごろも)、活東(くわつとう)の七人(にん)と評議(ひやうぎ)の上(うへ)