“狹衣”の読み方と例文
新字:狭衣
読み方割合
さごろも100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
最(もつと)も振(ふる)つて居(ゐ)たのは三十六年(ねん)一月(ぐわつ)元旦(ぐわんたん)で、此日(このひ)年始(ねんし)に來(き)た幻花子(げんくわし)は、掘初(ほりぞ)めをすると云(い)つて唯(たゞ)一人(ひとり)で出掛(でか)けたのを、後(あと)から、靜灣(せいわん)、佳水(かすゐ)、天仙(てんせん)、望蜀(ぼうしよく)、古閑(こかん)、狹衣(さごろも)、活東(くわつとう)の七人(にん)と評議(ひやうぎ)の上(うへ)
その間に狹衣(さごろも)などをはじめ源氏物語を模倣したものは數多く出たやうですが、僕がいま言つたやうな源氏物語にある本當の意味でトラヂックな精神を生かさうとしたものの一つもなかつたのは
若菜の巻など (旧字旧仮名) / 堀辰雄(著)
今日(けふ)は天氣(てんき)が快(い)いからとて、幻花子(げんくわし)が先導(せんだう)で、狹衣(さごろも)、活東(くわつとう)、望蜀(ばうしよく)の三子(し)が、鍬(くわ)を擔(かつ)いで權現臺(ごんげんだい)に先發(せんぱつ)した。後(あと)から余(よ)も行(い)つて見(み)ると、養鷄所(やうけいじよ)の裏手(うらて)の萱原(かやはら)の中(なか)を、四人(にん)て連(しき)りに掘散(ほりち)らして居(ゐ)る。