耳朶じだ)” の例文
それは何か巨像が金剛こんごうの信を声に発したように二人の耳朶じだを打った。はっと、ぬかずいてしまうしか他の意志のうごくすきもなかった。
大岡越前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この時大天文台からは、非常信号が掛かって、会堂の一隅に置かれたる大鐘は、物凄い音響ひびきを以て、聴衆の耳朶じだを烈しく打った。
太陽系統の滅亡 (新字新仮名) / 木村小舟(著)
そして、わざと唇を彼の耳朶じだのところに押しつけて「あたしネ、本当はお前さんとこの橋から下におっこちたいのよ、ウフフフ」
棺桶の花嫁 (新字新仮名) / 海野十三(著)
またその時、いままで森閑としていた隣室から父親喜平の激しく怒鳴る声が、雷よりもすさまじい勢いをもって紀久子の耳朶じだを襲ってきた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
車をり閉せし雨戸をたゝかんとするに、むかしながらの老婆の声はしはぶきと共に耳朶じだをうちぬ。次いで少婦せうふの高声を聞きぬ。
三日幻境 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
朝の黄金の光がっと射し込み、庭園の桃花は、繚乱りょうらんたり、うぐいす百囀ひゃくてん耳朶じだをくすぐり、かなたには漢水の小波さざなみが朝日を受けて躍っている。
竹青 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その時、突然のように、えた金属性の響きが、微かながら私の耳朶じだをとらえた。私が空を振り仰ごうとしたとき、男の手が私のひじをとらえた。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
彼女は再び、前脚を一層深く折り曲げ、背筋の皮と耳朶じだとをブルン! と寒さうに痙攣させて、ねむくてたまらぬと云ふやうに眼を閉ぢてしまつた。
猫と庄造と二人のをんな (新字旧仮名) / 谷崎潤一郎(著)
黒い空気の中に、突然無遠慮な点をどっと打ってすぐ筆を隠したような音が、余の耳朶じだたたいて去るあとで、余はつくづくと夜を長いものに観じた。
思い出す事など (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もし好意をもってすれば、さるだとか、耳朶じだが半分だなどいう特徴の一端を挙げずに、愉快ゆかいなる印象を与うるがごとき名をつけうることも必ずできる。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
しかし、ゴオルに入った途端とたん、ぼく達の耳朶じだひびいたピストルは、過去二年間にわたる血となみだあせの苦労が、この五分間で終った合図でもありました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
鼻というものは元来不必要なものである。平面の上に穴が二ついているだけで結構用は足りるものである。耳朶じだが音を受ける程にも役に立たない。臭を
鼻の表現 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
常識を捨てたまえ! この語をあなたの耳朶じだに早鐘のごとく響かせたい。これが私のあなたに与え得る最高最急の親切である。常識はあなた自身の知識ではない。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
以前我が都民が配給の小麦粉を食って中毒したという風聞が頻々として耳朶じだを打ったことがあった。
植物一日一題 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
五人の土人を突き伏せた時、自分も数痕すうこんこうむったが、そんな事にはビクともしない。さらに敵中へ飛び込んで行った。その時、耳朶じだを貫いたのが大爆発の音響である。
神尾の世にも口惜くやしそうな声が、そのいやな深夜の車井戸の響きと共に、お銀様の耳朶じだに触れると共に、お銀様の眼前に現われたのは、そのお喋り坊主の弁信の姿ではなく
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
久しく決闘を忘れたる世人の耳朶じだを驚し、陪席判事は皆その請求のいるるべからざるを主張し、決闘裁判に関する古法律は形式上は未だ廃止されてはおらぬが、古代の蛮法であって
法窓夜話:02 法窓夜話 (新字新仮名) / 穂積陳重(著)
「馬鹿! 危い! 気を付けろ!」と、汽車の機関士のはげしい罵声ばせいが、狼狽ろうばいした運転手の耳朶じだを打った。彼は周章あわてた。が、さすがに間髪を容れない瞬間に、ハンドルを反対に急転した。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
気を滅入めいらす氷雨ひさめが朝から音もなく降りつづいていて、開け放たれた窓の外まで、まるで夕暮のように惨澹さんたんとしていたが、ふと近所のラジオのただならぬ調子が彼の耳朶じだにピンと来た。
冬日記 (新字新仮名) / 原民喜(著)
悲哀トリステサまでも連れて賑やかに外出して行く声が、私の耳朶じだを打ってきたのであった。
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
しかし、この日、鳴りやまぬ拍手大カッサイを耳朶じだにのこして、静坐冥想した先生は、深く心に期するところがあった。これぞ神の告げたもうシルシであろう。慟哭をすてよ。狐疑をすてよ。
肝臓先生 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
芸者その頃冬の夜道を向嶋あたりへ遠出とおでに行く時、お高祖頭巾こそずきんをかぶるもありき。四角なる縮緬ちりめんの角に糸を輪にして付け、それを耳朶じだにかけてかぶるなり。小袖こそでには糸織縞に意気な柄多くありたり。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
その声が今、脅かすように彼の耳朶じだを打っているのである。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
いきなり歌麿の耳朶じだふるわせた。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
老男らうなん耳朶じだは螢光をともす。
山羊の歌 (新字旧仮名) / 中原中也(著)
重治は、いつかやまいも忘れたように、耳朶じだをほの紅くしながら、秀吉のために説き来り説き去って、ほとんどいろも見えなかった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
瀕死の父の枕元で、父の名を絶叫したあの時の悲惨な声が、いつでも自分の耳朶じだを撃って、自分を奮激させて来たではないか。医者になろう。
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
そして残りの毛髪を一つに纏めて、円く、平に、顱頂部ろちょうぶから耳朶じだの上へ被らせているのが、大黒様の帽子のようです。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
それであればこそ路傍ろぼう耳朶じだに触れた一言が、自分の一生の分岐点ぶんきてんとなったり、片言かたことでいう小児しょうにの言葉が、胸中の琴線きんせんに触れて、なみだの源泉を突くことがある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
その単調な哀愁を帯びた旋律せんりつは、執拗に樹々の幹をい、位置によっては言葉尻まで判るほど明瞭に耳朶じだに響いて来るのだ。密林の持つ不思議な性格のひとつである。
日の果て (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
左右の耳朶じだのマイクロフォンに、如何なる順序で、そうした事件の推移が印画されて来たかという事を、その順序通りに廻転して行くフィルムに就て説明して参ります。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
われ起つて茅舎ばうしやを出で、且つ仰ぎ且つ俯して罵者に答ふるところあらんと欲す。胸中の苦悶未だ全く解けず、行く行く秋草の深き所に到れば、たちまち聴く虫声の如く耳朶じだ穿うがつを。
一夕観 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
下に動くときも上に揺り出す時も同じ様に清水しみずなめらかな石の間をめぐる時の様な音が出る。只その音が一本々々の毛が鳴って一束の音にかたまって耳朶じだに達するのは以前と異なる事はない。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
清冷なる鈴の音は、いよいよ近く耳朶じだについて来る、心地のよいこと。
大菩薩峠:32 弁信の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
右近の言葉は、彼の耳朶じだのうちに彫り付けられたように残っている。
忠直卿行状記 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
大喝を発して、ぽっと熱した耳朶じだをしながら、頼朝は大きくくちをむすんだまま、自分の胸へ自分で云っているように黙りこくっていた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
降りるとたちまち、彼等の陽気な唄声うたごえが私の耳朶じだを打ちました。それもそのはず、彼等はわずか五六歩に足らぬところを、合唱しながら拍子を取って進んで行くのです。
痴人の愛 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
伊藤公が先生にしかられたその瞬間しゅんかんに起こった一時の感情が同公をして政治家たらしめたかとただせば、その時始めて「寝耳ねみみに水」のごとくこの教訓が公の耳朶じだを打ったとは思われぬ。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
然れども社界の裡面には常に愀々しう/\の声あり、不遇の不平となり、薄命の歎声となり、憤懣心の慨辞となりて、噴火口端の地底より異様の響の聞ゆる如くに、吾人の耳朶じだを襲ふを聴く。
徳川氏時代の平民的理想 (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
糸のが再び落ちつきかけた耳朶じだに響く。今度は怪しき音の方へ眼をむける。
幻影の盾 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
降るような蝉の鳴声にまじって、かすかに爆音に似た音が耳朶じだを打った。林のわきに走り出て、空を仰いだ。しんしんと深碧ふかみどりの光をたたえた大空の一角から、空気を切る、金属性の鋭い音が落ちて来る。
桜島 (新字新仮名) / 梅崎春生(著)
だから、いったん好まぬ自制をかなぐりすてて、声を大にし、耳朶じだを熱し始めると、彼の面目は俄然、彼ならでは持たない風貌を帯びて来る。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一切の国政をみな家臣にまかせて、光風霽月こうふうせいげつを友とし、九年の間も、この高楼たかどのから降りないせいか、老公の耳朶じだまなじりには、童顔のうちに一種の仙味がある。
牢獄の花嫁 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さっきは酒の気がなかったと思うと、今はもうここで一升あまりペロリとって、耳朶じだを桃色に染めている。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
眼は鳳眼ほうがんであり、耳朶じだは豊かで、総じて、体のおおきいわりに肌目きめこまやかで、音声もおっとりしていた。
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉のいうところを、茂助は、両手をつかえたまま、耳朶じだの充血してくるほど、熱心に聞いていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歳時記では今を水ぬるむの時と申しますが、鐘にも春のぬくみがある、嫋々じょうじょうとしてあたたかな、耳朶じだぬるい開帳の鐘の音、梅見がてらの人出と共に、朝から絶えまもありません。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
殊に、弁次郎幸村が、秀吉の意をうごかそうとして、若い情熱を耳朶じだに染めながら、ひるみなく自己の意見と、懇請こんせいとを述べるあいだ、秀吉は、聞き惚れるように、眼をほそめた。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熱血僧ねっけつそう忍剣にんけんは、だんだんと聞いてゆくうちに、その耳朶じだ杏桃すもものように赤くしてきた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女性が真底から真剣に自己をぎすましてみせるときのあの姿なのである。——むしろ自己の感情にさわがれているのは、ここまでの真意を洩らした高氏の紅い耳朶じだやその語気の方だった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)