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滯在
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たいざい
あれほど希望に全身を
刺戟されてゐた
處女作はとうとう一枚も書き上らないままに、
苫小牧滯在の一月ほどは空しく過ぎてしまつた。
立つ
前の
晩に、
父は
宗助を
呼んで、
宗助の
請求通り、
普通の
旅費以外に、
途中で二三
日滯在した
上、
京都へ
着いてからの
當分の
小遣を
渡して
あひなるべくは
多治見へのして、
陶器製造の
模樣までで、
滯在少くとも
一週間の
旅費として、
一人前二十五兩、
注におよばず、
切もちたつた
一切づゝ。
君も
御存知の
如く
病後、
赤十
字社の
醫者に
勸められて二ヶ
月間此湯原に
滯在して
居た
時である。
毎年イタリイを
旅行する
人は
非常に
多いのでありますが、イタリイ
滯在の
半は、
博物館で
過し、あとの
半はローマだとかポムペイだとかの
舊蹟を
巡遊するといふあり
樣であります。
一
年半も
前といへば
私がまだ
亞米利加の
大陸に
滯在して
居つた
時分の
事で、
隨分古い
新聞ではあるが、
古くつても
何んでもよい、
故郷懷かしと
思ふ一
念に、
眼も
放たず
讀んでゆく
内
そこに
一月餘りも
滯在してゐるうちに九
月になり
掛けたので、
保田から
向ふへ
突切つて、
上總の
海岸を
九十九里傳ひに、
銚子迄來たが、そこから
思ひ
出した
樣に
東京へ
歸つた。
その後
間もなく、ちやうど三
浦三
崎の
宿屋に
滯在中に訃音に
接した時、
私はまだあまりにまざまざしいその
折の
印象を
思ひ出させられるだけに、
哀悼の
氣持も一そう
痛切だつた。
『
然らば、
君等は
或時期まで、
此島に
滯在せねばなりません。』と
斷乎と
言放つた。
執筆の
都合上、
赤坂の
某旅館に
滯在した、
家は
一堪りもなく
潰れた。
决心如何といふのは、
吾等兩人かゝる
絶島に
漂着した
今、
無理にも
本國へ
皈りたいか、
又は
或便宜を
得るまで、
大佐等と
此島に
滯在する
覺悟があるかとの
問だと
私は
考へたので、
無論
その時三月近く
滯在してゐた母の
實家で
若い
叔父が
寫眞をやつてゐた。