たる)” の例文
石橋を渡る駄馬の蹄の音もした。そして、満腹の雀はたるんだ電線の上で、無用なさえずりを続けながらも尚おいよいよふくれて落ちついた。
南北 (新字新仮名) / 横光利一(著)
その苦労をおとらは能くお島に言聞せたが、身上しんしょうができてからのこの二三年のおとらの心持には、いくらかたるみができて来ていた。
あらくれ (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
それが色の着いたろうを薄く手の甲に流したと見えるほど、肉と革がしっくりくっついたなり、一筋のしわ一分いちぶたるみも余していなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
朝の光が涼しい風と共に流れ込んで、髪乱れ、眼くぼみ、皮膚はだつやなくたるんだ智恵子の顔が、モウ一週間も其余も病んでゐたものの様に見えた。
鳥影 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
真淵訓の「紀の国の山越えてゆけ」は、調子の弱いのは残念である。この訓は何処かたるんでいるから、調子の上からは古義の訓の方が緊張している。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
打ち克ちがたい睡魔がやがて彼の瞳をとざしはじめ、疲れきつた手足は、今にも知覚を失つて、ぐんなりたるみさうになり、頭が前へこくりと落ちる……。
と、その乾いた唇がたるんで、再びあらわれた歯を見ると、濃厚なぬらぬらした鳶色の粘液が一杯にかぶさっていた。
青蠅 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
それから、片方引くと解ける方のを鍵穴からくぐらせて、それには幾分たるみを持たせておくんだ。無論鍵の押金が上へ向いていればこそ、可能な話なんだよ。
聖アレキセイ寺院の惨劇 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
なるほど、前にもいった通り、第三篇は油の十分乗った第二篇に比べると全部にたるみがあって気が抜けておる。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
よくおぼえてはないが、玄關げんくわんかゝると、出迎でむかへた……お太鼓たいこむすんだ女中ぢよちうひざまづいて——ヌイと突出つきだした大學生だいがくせいくつがしたが、べこぼこんとたるんで、其癖そのくせ
麻を刈る (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
加之それに顏にもたるむだ點がある、何うしても平民の娘だ。これが周三に取ツて何となく物足ものたりぬやうに思はれて、何だかあかにほひの無い花を見るやうな心地がするのであツた。
平民の娘 (旧字旧仮名) / 三島霜川(著)
いつも鎧戸よろひどおろしたまゝの、二つの大きな窓には、同じ色の帷帳カアテン花綵飾はなづなかざりがたるんで、半分覆うてゐた。ゆか絨毯じゆうたんも紅く、寢臺の足許の卓子テエブルにも、眞紅まつかきれが掛かつてゐた。
見ればいつのまにか、かれと日本左衛門の腕首の間には、タランと一本の取繩とりなわがつながれていて、釘勘は右の片腕を糸巻にしながら徐々じょじょとそのたるみを張りつめて行く気構え。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
単調な唄が続いてゐる間は、全ての綱は物憂げにたるんで、蒼空の中で遊ぶやうに思はれた。
竹藪の家 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
と、彼女は前折まえかがみになった。腹がたるんで皺が出来た。芋虫いもむしのようにウネウネした、二筋の太い皺であった。両腕の先に水槽みずぶろがあった。その側に小桶があった。両手を小桶の縁へかけた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ある地方ちはう郡立病院ぐんりつびやうゐんに、長年ながねん看護婦長かんごふちやうをつとめてるもとめは、今日けふにち時間じかんからはなたれると、きふこゝろからだたるんでしまつたやうな氣持きもちで、れて廊下らうかしづかにあるいてゐた。
(旧字旧仮名) / 水野仙子(著)
その黒くなめらかに拭き込んだ板の面を夏の夜の雨あがりの涙ぐんだ様な月がほのかな光を、水の様に流し湛えて居るのであった。太いたるんだ婆やの足は、ぺたりぺたり、とその上を歩いた。
かやの生立 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
ルーズベルトはもう一度握り拳の背でたるんだ瞼をこすった。そして、心中の不安を払い除けでもするように、大きな手の平で、椅子の肘掛けをトントンと叩きながら、部屋の中を見廻した。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
ふるくからあった一ちょうの三味線は、娘の子供の時分までは、よく母親の弾いた音を聞いたが、或年の梅雨の頃、その三味線の胴皮が、ぼこぼこにたるんで音が出なくなってから何処へか隠されてしまった。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
長嘴ながはし下の黄なるたるみもしぼみたりふくらむものと我は待ちしに
河馬 (旧字旧仮名) / 中島敦(著)
水玉みづたまおもみにたるんでこはれてしまつた。
牧羊神 (旧字旧仮名) / 上田敏(著)
また、かげ蜘網すかきたるみて
白羊宮 (旧字旧仮名) / 薄田泣菫薄田淳介(著)
お庄は長いその顔がいつもたるんだようで、口の利き方にも締りのないこの男が傍にいると、肉がむず痒くなるほど厭であった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
第三句の、「羨しかも」は小休止があるので、前の歌の「潟を無み」などと同様、幾らか此処でたるむが、これは赤人的手法の一つの傾向かも知れない。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
授業が始まって、一カ月ばかりすると私の心に、また一種のたるみができてきた。私は何だか不足な顔をして往来を歩き始めた。物欲しそうに自分のへやの中を見廻みまわした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
気病きやみの後の様なたるんだ顔にまぶしい午後の日を受けて、物珍らし相にこの村を瞰下みおろしてゐると、不図、生村うまれむら父親おやぢの建てた会堂の丘から、その村を見渡した時の心地が胸に浮んだ。
赤痢 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
後世の歌なら、助詞などが多くてたるむところであろうが、そこを緊張せしめつつ、句と句とのあいだに、間隔を置いたりして、端正で且つ感の深い歌調をまっとうしている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
もうはなからけむを出すのがいやになつたので、腕組うでぐみをして親爺おやぢかほながめてゐる。其かほにはとしの割ににくが多い。それでゐてほゝけてゐる。まゆしたかはたるんで見える。
それから (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
もう鼻からけむを出すのが厭になったので、腕組をして親爺の顔を眺めている。その顔には年の割に肉が多い。それでいて頬はけている。濃いまゆの下に眼の皮がたるんで見える。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
妻はそれを今日こんにちに困らないから心にたるみが出るのだと観察していたようでした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)