引移ひきうつ)” の例文
あなたがたもいずれはこちらの世界せかい引移ひきうつってられるでしょうが、そのときになればわたくしどもの現在げんざい心持こころもちがだんだんおわかりになります。
市中しちゅうの散歩は子供の時から好きであった。十三、四の頃私のうちは一時小石川こいしかわから麹町永田町こうじまちながたちょうの官舎へ引移ひきうつった事があった。勿論もちろん電車のない時分である。
この店は馬喰町四丁目でしたが、後には小伝馬町こでんまちょう引移ひきうつして、飾提灯かざりちょうちん即ち盆提灯や鬼灯提燈ほおずきちょうちんを造った。
江戸か東京か (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
『日まで聞いた。——松平家へ出入の者から聞いたのじゃ。吉良家の引移ひきうつりは八月の二十日迄と申す』
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これ等の理由から六円五十銭の家賃の家を捨てゝ二十三円の高い家賃の家へおもひ切つて引移ひきうつつた。
執達吏 (新字旧仮名) / 与謝野寛(著)
是はおよねさん、其ののちついにない存外の御無沙汰ごぶさたをいたしました、嬢様にはお変りもなく、それは/\頂上々々、牛込から此処こゝへお引移ひきうつりになりましてからは、何分にも遠方ゆえ
はなしではあるが一月ひとつきのうちに生命せいめいあやふいとかつたさうな、いてるとあまこゝろよくもないに當人たうにんしきりといやがる樣子やうすなり、ま、引移ひきうつりをするがからうとて此處こゝさがさせてはたが
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
彼が家のはなれの物置兼客間の天井てんじょうには、ぬけがらからはかって六尺以上の青大将が居る。其家が隣村にあった頃からの蛇で、家を引移ひきうつすと何時の間にか大将も引越して、吾家貌わがいえがおに住んで居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
新銭座しんせんざ有馬ありまと云う大名の中屋敷を買受かいうけて、引移ひきうつるやいなや鉄砲洲は居留地になり、くれば慶応四年、すなわち明治元年の正月早々、伏見ふしみの戦争が始まって、将軍慶喜よしのぶ公は江戸へ逃げて帰り
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
道理もつともと歡こびて或日傳吉は憑司方へ到り此度都合により他所へ引移ひきうつり商賣を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
小六ころく此所こゝ引移ひきうつつてるのは、てんからて、夫婦ふうふいづれにも、多少たせう迷惑めいわくであつた。だからるとつて約束やくそくしてきながら、いまだにない小六ころくたいしては、別段べつだん催促さいそくもしなかつた。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
早速さっそく其処そこ引移ひきうつることにした。
暗夜の白髪 (新字新仮名) / 沼田一雅(著)
同時どうじ現世げんせほうではすでにわたくしめにひとつの神社じんじゃ建立こんりゅうされてり、わたくしもなくこの修行場しゅぎょうばからその神社じんじゃほうへと引移ひきうつることになったのでございます。
所詮しょせん、前のような生活はしていられないので、十内が帰ると、すぐ家は引移ひきうつった。
始終とほしごたごたしてらち御座ござりませぬといふ、めうことのとおもひしが掃除さうぢのすみて日暮ひぐれれがたに引移ひきうつきたりしは、合乘あひのりのほろかけぐるま姿すがたをつゝみて、ひらきたるもん眞直まつすぐりて玄關げんくわんにおろしければ
うつせみ (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
起して藤重ふぢしげ何方いづかた引移ひきうつりしやと尋ぬるに家主は答へてさればなり藤重ふぢしげ久敷ひさしく我等たなに住居致せしがにはか田舍ゐなか伯母をばの方よりむかへ來りしとてよひの程に家を片付かたづけ我等に渡し出立致したりと云れて吾助は力を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
自分じぶんとて、ただすこはやくこちらの世界せかい引移ひきうつったというだけ、これからはともどもにって、修行しゅぎょうすることにいたしましょう。うぞこちらへ……。』
然程さるほどに吉之助は其翌日そのよくじつかの加納屋利兵衞方へ引移ひきうつり元服して名を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)