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三田
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みた
ふりがな文庫
“
三田
(
みた
)” の例文
兎
(
と
)
に
角
(
かく
)
是等を救助せずして静まるべきの筋にあらずとて、先づ救民小屋
造立
(
つくりたて
)
の間、本所
回向院
(
えこういん
)
、
谷中
(
やなか
)
天王寺、
音羽
(
おとは
)
護国寺、
三田
(
みた
)
功運寺
大菩薩峠:16 道庵と鯔八の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
今あの通り
酒井
(
さかい
)
の人数が
三田
(
みた
)
の薩州屋敷を
焼払
(
やきはらっ
)
て居るが、
是
(
こ
)
れが何でもない事で天下
奉平
(
たいへい
)
、安全の世の中になるまいものでもない。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
学校から帰りに、
神田
(
かんだ
)
をいっしょに散歩して、
須田町
(
すだちょう
)
へ来ると、いつも君は
三田
(
みた
)
行の電車へのり、僕は
上野
(
うえの
)
行の電車にのった。
出帆
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
『さうです。
君
(
きみ
)
の
出
(
で
)
られた
學校
(
がくかう
)
です。
三田
(
みた
)
ですか、
早稻田
(
わせだ
)
ですか。』と
高等商業
(
かうとうしやうげふ
)
の
紳士
(
しんし
)
は
此二者
(
このにしや
)
を
出
(
いで
)
じといふ
面持
(
おもゝち
)
で
問
(
と
)
ふた。
日の出
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
明治四十四年三月
籾山
(
もみやま
)
書店は『すみだ川』の
外
(
ほか
)
にその頃わたくしが『
三田
(
みた
)
文学』に掲げた数篇の短篇小説
及
(
および
)
戯曲を集め一巻となして刊行した。
すみだ川
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
▼ もっと見る
慶応義塾
(
けいおうぎじゅく
)
は、こんなふうに、
民主的
(
みんしゅてき
)
なふんいきをもっていました。そうして、
明治
(
めいじ
)
四(一八七一)
年
(
ねん
)
に、
慶応義塾
(
けいおうぎじゅく
)
は、
新銭座
(
しんせんざ
)
から
三田
(
みた
)
へうつりました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
三人の姉妹は時おり倉地、岡に伴われて苔香園の表門のほうから
三田
(
みた
)
の通りなどに散歩に出た。人々はそのきらびやかな群れに物好きな目をかがやかした。
或る女:2(後編)
(新字新仮名)
/
有島武郎
(著)
その一例として去る六月十九日の晩、
神保町
(
じんぼうちょう
)
の停留所近くで八時ごろから数十分間
巣鴨
(
すがも
)
三田
(
みた
)
間を往復する電車について行なった観測の結果を次に掲げてみよう。
電車の混雑について
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
三田
(
みた
)
の
魚籃
(
ぎょらん
)
の近所に知り
人
(
びと
)
があるので、丁度そこに居あわせた松吉という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと、ここに一つの事件が
出来
(
しゅったい
)
したんです
半七捕物帳:29 熊の死骸
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
彼は小夜子につれられて、おけいさんというこの女の人の
家
(
うち
)
へも一度遊びに行ってみた。おけいさんは
三田
(
みた
)
の方の、ある静かなところに門のある家を借りていた。
仮装人物
(新字新仮名)
/
徳田秋声
(著)
芝
(
しば
)
の
将監橋
(
しょうげんばし
)
の
側
(
そば
)
であるので、
豊岡町
(
とよおかちょう
)
の私の家へ帰るのには、
如何
(
どう
)
しても、この
河岸通
(
かしとおり
)
を通って、
赤羽橋
(
あかばねばし
)
まで行って、それから
三田
(
みた
)
の通りへ出なければならないのだ
白い蝶
(新字新仮名)
/
岡田三郎助
(著)
彼は日米外交のそもそもからハリスと共にその局に当たった人で、日本の国情に対する理解も同情も深かったと言わるるが、江戸
三田
(
みた
)
古川橋
(
ふるかわばし
)
のほとりで殺害された。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
久
(
ひさ
)
しい
以前
(
いぜん
)
だけれども、
今
(
いま
)
も
覺
(
おぼ
)
えて
居
(
ゐ
)
る。
一度
(
いちど
)
は
本郷
(
ほんがう
)
龍岡町
(
たつをかちやう
)
の、あの
入組
(
いりく
)
んだ、
深
(
ふか
)
い
小路
(
こうぢ
)
の
眞中
(
まんなか
)
であつた。
一度
(
いちど
)
は
芝
(
しば
)
の、あれは
三田
(
みた
)
四國町
(
しこくまち
)
か、
慶應大學
(
けいおうだいがく
)
の
裏
(
うら
)
と
思
(
おも
)
ふ
高臺
(
たかだい
)
であつた。
木菟俗見
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
書記松本のうちは、
三田
(
みた
)
四国町の停留所から右の
路地
(
ろじ
)
を入った小さい二階長屋だった。
工場新聞
(新字新仮名)
/
徳永直
(著)
明治三十四年一月廿五日、
予
(
よ
)
、先生を
三田
(
みた
)
の
邸
(
やしき
)
に
訪
(
と
)
いしは、午後一時頃なり。
瘠我慢の説:05 福沢先生を憶う
(新字新仮名)
/
木村芥舟
(著)
一通の手紙を書いて、上に
三田
(
みた
)
ヶ
谷
(
や
)
村
(
むら
)
村長石野栄造様という
宛名
(
あてな
)
を書いた。
田舎教師
(新字新仮名)
/
田山花袋
(著)
兼「もう唯今お嬢様にも
左様
(
そう
)
申すので、
何
(
ど
)
うかして
何処
(
どこ
)
に入らっしゃるか知れ無い訳もあるまいと尋ねましても何うしても知れませんので、
慥
(
たし
)
か
何時
(
いつ
)
ぞや
三田
(
みた
)
に入らっしゃる様子を聞きましたが」
松の操美人の生埋:02 侠骨今に馨く賊胆猶お腥し
(新字新仮名)
/
三遊亭円朝
(著)
先日、
三田
(
みた
)
の、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。
心の王者
(新字新仮名)
/
太宰治
(著)
わたくしは大沼家についてその姓氏を問うたがこれを詳にすることを得なかった。
三田
(
みた
)
薬王寺の過去帳には忌辰と
法諡
(
ほうし
)
とを載するのみである。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
勿論作品そのものの中にも、多分に
三田
(
みた
)
文学流の西洋種を交へて居る。先づ比較的西洋種を交へない作家と云へば、
徳田秋声
(
とくたしうせい
)
氏位のものだらうと思ふ。
東西問答
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
私の方からも
願
(
ねがい
)
の
筋
(
すじ
)
がある、兼て長官へ内々御話いたしたこともある通り、
三田
(
みた
)
の
島原
(
しまばら
)
の屋敷地を拝借いたしたい、
是
(
こ
)
れ
丈
(
だ
)
けは厚く
御含
(
おふくみ
)
を願うと云うは
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
大島小學校
(
おほしませうがくかう
)
に
居
(
ゐ
)
たものが、
今
(
いま
)
東京
(
とうきやう
)
に
三人
(
さんにん
)
居
(
ゐ
)
ます。これが
僕
(
ぼく
)
の
同窓
(
どうさう
)
です。
此三人
(
このさんにん
)
が
集
(
あつ
)
まる
會
(
くわい
)
が
僕等
(
ぼくら
)
の
同窓會
(
どうさうくわい
)
です。
其一人
(
そのひとり
)
は
三田
(
みた
)
を
卒業
(
そつげふ
)
して
今
(
いま
)
は
郵船會社
(
いうせんぐわいしや
)
に
出
(
で
)
て
居
(
ゐ
)
ます。
日の出
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
二十七日に切腹した水野の葬式は二十九日の夕方に
三田
(
みた
)
の菩提寺で営まれた。上を
憚
(
はばか
)
って無論質素に執行されたのであるが、さすがに世間を忍んで見送る者も多かった。
番町皿屋敷
(新字新仮名)
/
岡本綺堂
(著)
諭吉
(
ゆきち
)
は、
慶応義塾
(
けいおうぎじゅく
)
であたらしい
教育
(
きょういく
)
をし、「
文部省
(
もんぶしょう
)
は
竹橋
(
たけばし
)
にあり、
文部大臣
(
もんぶだいじん
)
は
三田
(
みた
)
にいる。」と、せけんでいわれたほどですが、それとどうじに、
出版
(
しゅっぱん
)
に
力
(
ちから
)
を
入
(
い
)
れました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
なんでも、江戸
三田
(
みた
)
の薩摩屋敷があの仲間の根拠地さ。あの屋敷じゃ、みんな追い追いと国の方へ引き揚げて行って、屋敷のものは二十人ぐらいしか残っていなかったそうです。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
昼飯をすませて少し休息すると、わずかばかりの紙幣を
財布
(
さいふ
)
に入れて出かける。
三田
(
みた
)
行きの電車を
大手町
(
おおてまち
)
で乗り換えたり、あるいはそこから歩いたりして
日本橋
(
にほんばし
)
の四つ
角
(
かど
)
まで行く。
丸善と三越
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
三田
(
みた
)
の大学が何らの肩書もないわたくしを
雇
(
やと
)
って教授となしたのは、新文壇のいわゆるアヴァンガルドに立って
陣鼓
(
タンブール
)
を鳴らさせるためであった。
正宗谷崎両氏の批評に答う
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
東京に
三田
(
みた
)
あり、
摂州
(
せっしゅう
)
に
三田
(
さんだ
)
あり。兵庫の隣に
神戸
(
こうべ
)
あれば、伊勢の旧城下に
神戸
(
かんべ
)
あり。俗世界の習慣はとても雅学先生の意に適すべからず。貧民は俗世界の子なり。
小学教育の事
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
さうです、
僕
(
ぼく
)
はオックスフオードにもハーバードにも
帝國大學
(
ていこくだいがく
)
にも
早稻田
(
わせだ
)
にも
三田
(
みた
)
にも
高等商業學校
(
かうとうしやうげふがくかう
)
にも
居
(
ゐ
)
たことは
無
(
な
)
いのです。たゞ
故郷
(
くに
)
の
大島小學校
(
おほしませうがくかう
)
を
出
(
で
)
たばかりです。
日の出
(旧字旧仮名)
/
国木田独歩
(著)
諭吉
(
ゆきち
)
は、
三田
(
みた
)
に
慶応義塾
(
けいおうぎじゅく
)
をうつしたとき、
自分
(
じぶん
)
のすむ
家
(
いえ
)
もたてましたが、
大工
(
だいく
)
にたのんで、
家
(
いえ
)
のゆかをふつうよりたかくして、おし
入
(
い
)
れの
中
(
なか
)
からゆか
下
(
した
)
へもぐってにげだせるようにしました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
進んで
挑戦的
(
ちょうせんてき
)
の態度に出、あらゆる手段を用いて江戸市街の
攪乱
(
こうらん
)
を試み、当時江戸警衛の任にあった
庄内藩
(
しょうないはん
)
との衝突となったのも、
三田
(
みた
)
にある薩摩屋敷の焼き打ちとなったのも皆その結果であって
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
『房山集』所載の詩は
三田
(
みた
)
の薬王寺に先君子竹渓の墓を展した五言古詩を以て終っている。展墓の詩中わたくしは枕山の伝をつくる資料となるべき句のみを挙げる。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
地所払下
三田
(
みた
)
の屋敷は福澤諭吉の拝借地になって、地租もなければ借地料もなし
恰
(
あたか
)
も私有地のようではあるが、何分にも拝借と
云
(
い
)
えば
何時
(
いつ
)
立退
(
たちのき
)
を命じられるかも知れず
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
当時の事は既に「下谷の家」と題した一小篇に記述した。雑誌『
三田
(
みた
)
文学』の
初
(
はじめ
)
て刊行せられた年の同誌に掲げんがため筆を
秉
(
と
)
ったのであるから、これさえ早く既に十四、五年を過ぎている。
下谷叢話
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
そも
三田
(
みた
)
の校内にては
奢侈
(
しゃし
)
の風をいましめんとて校内に取寄すべき弁当にはいづれもきびしく代価を制限したり。されば料理の材料おのづから粗悪となりてこれを
食
(
くら
)
へば
終日
(
ひねもす
)
胸苦
(
むなぐる
)
しきを覚ゆ。
矢はずぐさ
(新字旧仮名)
/
永井荷風
(著)
三
常用漢字
小1
部首:⼀
3画
田
常用漢字
小1
部首:⽥
5画
“三田”で始まる語句
三田尻
三田谷
三田通
三田平
三田派
三田辺
三田子爵
三田文学
三田聖坂
三田道夫