“三田:みた” の例文
“三田:みた”を含む作品の著者(上位)作品数
永井荷風3
寺田寅彦2
福沢諭吉2
岡本綺堂2
芥川竜之介2
“三田:みた”を含む作品のジャンル比率
歴史 > 伝記 > 個人伝記(児童)22.2%
社会科学 > 教育 > 教育学・教育思想7.7%
芸術・美術 > 演劇 > 大衆演芸1.6%
(注)比率=対象の語句にふりがなが振られている作品数÷各ジャンルの合計の作品数
お前さんは何も知らぬか、大変な事が出来ました、大騒動だ、酒井さかいの人数が三田みたの薩州の屋敷を焼払おうと
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
そも三田みたの校内にては奢侈しゃしの風をいましめんとて校内に取寄すべき弁当にはいづれもきびしく代価を制限したり。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
三田みた行きの電車を大手町おおてまちで乗り換えたり、あるいはそこから歩いたりして日本橋にほんばしの四つかどまで行く。
丸善と三越 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
そうして、明治めいじ四(一八七一)ねんに、慶応義塾けいおうぎじゅくは、新銭座しんせんざから三田みたへうつりました。
新銭座しんせんざ入塾から三田みた引越ひっこし、屋敷地の広さは三十倍にもなり、建物の広大な事も新旧くらべものにならぬ。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
其一人そのひとり三田みた卒業そつげふしていま郵船會社いうせんぐわいしやます。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
三田みた魚籃ぎょらんの近所に知りびとがあるので、丁度そこに居あわせた松吉という子分をつれて、すぐにまた芝の方面へ急いで行くと
半七捕物帳:29 熊の死骸 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
一度いちどしばの、あれは三田みた四國町しこくまちか、慶應大學けいおうだいがくうらおも高臺たかだいであつた。
木菟俗見 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
学校から帰りに、神田かんだをいっしょに散歩して、須田町すだちょうへ来ると、いつも君は三田みた行の電車へのり、僕は上野うえの行の電車にのった。
出帆 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
三人の姉妹は時おり倉地、岡に伴われて苔香園の表門のほうから三田みたの通りなどに散歩に出た。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
明治三十四年一月廿五日、、先生を三田みたやしきいしは、午後一時頃なり。
三田みた功運寺、渋谷渋谷寺の五ヶ寺に於て炊出たきだしを命ぜられ普く貧民に之を与へ、其うち神田佐久間町の広場に小屋を設けられて至極の貧人を救助せしかば
三田みたの大学が何らの肩書もないわたくしをやとって教授となしたのは、新文壇のいわゆるアヴァンガルドに立って陣鼓タンブールを鳴らさせるためであった。
正宗谷崎両氏の批評に答う (新字新仮名) / 永井荷風(著)
明治四十四年三月籾山もみやま書店は『すみだ川』のほかにその頃わたくしが『三田みた文学』に掲げた数篇の短篇小説および戯曲を集め一巻となして刊行した。
すみだ川 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
三田みたにある薩摩屋敷の焼き打ちとなったのも皆その結果であって、西の方に起こって来た伏見鳥羽の戦いも実はそれを導火線とすると言われるほどの討幕の火ぶたを切ったのも
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
二十七日に切腹した水野の葬式は二十九日の夕方に三田みたの菩提寺で営まれた。
番町皿屋敷 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
彼は日米外交のそもそもからハリスと共にその局に当たった人で、日本の国情に対する理解も同情も深かったと言わるるが、江戸三田みた古川橋ふるかわばしのほとりで殺害された。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
上に三田みたむら村長石野栄造様という宛名あてなを書いた。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
おけいさんは三田みたの方の、ある静かなところに門のある家を借りていた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
勿論作品そのものの中にも、多分に三田みた文学流の西洋種を交へて居る。
東西問答 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
赤羽橋あかばねばしまで行って、それから三田みたの通りへ出なければならないのだ、それはまだ私の学校時代の事だから、彼処あすこらも現今いまの様ににぎやかではなかった
白い蝶 (新字新仮名) / 岡田三郎助(著)
その一例として去る六月十九日の晩、神保町じんぼうちょうの停留所近くで八時ごろから数十分間巣鴨すがも三田みた間を往復する電車について行なった観測の結果を次に掲げてみよう。
電車の混雑について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
先日、三田みたの、小さい学生さんが二人、私の家に参りました。
心の王者 (新字新仮名) / 太宰治(著)
東京に三田みたあり、摂州せっしゅう三田さんだあり。
小学教育の事 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
さうです、ぼくはオックスフオードにもハーバードにも帝國大學ていこくだいがくにも早稻田わせだにも三田みたにも高等商業學校かうとうしやうげふがくかうにもたことはいのです。
日の出 (旧字旧仮名) / 国木田独歩(著)
兼「もう唯今お嬢様にも左様そう申すので、うかして何処どこに入らっしゃるか知れ無い訳もあるまいと尋ねましても何うしても知れませんので、たし何時いつぞや三田みたに入らっしゃる様子を聞きましたが」
諭吉ゆきちは、三田みた慶応義塾けいおうぎじゅくをうつしたとき、自分じぶんのすむいえもたてましたが、大工だいくにたのんで、いえのゆかをふつうよりたかくして、おしれのなかからゆかしたへもぐってにげだせるようにしました。
なんでも、江戸三田みたの薩摩屋敷があの仲間の根拠地さ。あの屋敷じゃ、みんな追い追いと国の方へ引き揚げて行って、屋敷のものは二十人ぐらいしか残っていなかったそうです。浪士隊は三方に手を分けて、例の三つの内規を江戸付近にまで実行した上、その方に幕府方の目を奪って置いて、何か事をあげる計画があったとか。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)