しゃが)” の例文
興哥はそこへ歩いて往った。黄金のかんざしが落ちていた。しゃがんで拾って空の明るみに透して見ると、鳳凰の形にこしらえた物であった。
金鳳釵記 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
たずね尋ねてとうとう追いついたのだ。彼は主人を認めると、一またぎにとびこんで来た。阿賀妻の足もとにしゃがんで手を貸そうとした。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
甲のばあいは夜の厠でしゃがんでいる頭へ西瓜が落ちたらしい、ごつんという音といっしょに「ひょう」というような奇声が聞えた。
評釈勘忍記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
「何だねえ、お前、大袈裟おおげさな。」と立身たちみに頭から叱られて、山姥やまうばに逢ったように、くしゃくしゃとすくんで、松小僧は土間へしゃがむ。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
しゃがんで草を分けて見ると、太い松丸太が四五本、縄で縛って、蓋のように置いてある。耳をすますと、声はその下から響いて来るようだ。
偉大なる夢 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
羽衣松はごろもまつの下。米友は槍をげたなり歩いて行って坐る。お君は置放しにした三味線を取って来て坐る。ムクはその前に両足を揃えてしゃがむ。
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
彦太郎がふと唐人川尻の土橋を見ると、土橋の畔に、皆田老人が立っていて、その横にひとりの少年が、ちょこんとしゃがんでいるのが見えた。
糞尿譚 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
わたくしはうなずいて見せた。そして、もうそのときわたくしは敷居の上へじわじわとすわしゃがんでいた。頭がぼんやりしていて涙はこぼさなかった。
雛妓 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
南玉が、お由羅邸からの引出物の風呂敷包を持って、黄昏時の露路を入ると、自分の家の門口に、一人の男が、しゃがんでいた。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
ぱたんと画具箱えのぐばこふたをして、細君は立ち上った。鶴子をう可く、しゃがんでうしろにまわす手先に、ものがやりとする。最早露が下りて居るのだ。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
田圃は青々と濃い絵の具で塗ったように見え、農夫たちが幾人か、ったりしゃがんだりするのは田草取りなのでしょう。処々に水が光っています。
鴎外の思い出 (新字新仮名) / 小金井喜美子(著)
庄吉は隣家の裏口を廻って、いつも締りがしてないその木戸を押して中にはいった。そして便所の側にしゃがんだ。其処から家の中の話がよく聞えた。
少年の死 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
それが、こんな堰に浮いているとは不思議だと、栞は、しばらく刀箱を見ていたが、やがてしゃがむと、刀箱それを引き上げた。
血曼陀羅紙帳武士 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
御案内の通り大宮から鴻の巣までの道程みちのりは六里ばかりでございます。此処こゝまで来ると若江はしゃがんだまゝ立ちません。
菊模様皿山奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
母親はベトベトした土間のかまどしゃがんで、顔をくッつけて、火を吹いていた。眼に煙が入る度に前掛でこすった。毎日の雨で、木がしめッぽくなっていた。
不在地主 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
いつの間にか背後の生垣の処に植木屋に混って詰襟を着た頑丈な男がしゃがんで朝日をふかし始めた。石の門柱を立てる、土台の凝固土コンクリートこもがかぶせてある。
牡丹 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
その晩、お美代が隣の風呂から帰って来た時、お婆さんは雨戸をけて、縁側にしゃがんでいた。月光に濡れて、お婆さんの顔はなお、一入ひとしお蒼白かった。
蜜柑 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
二人の看護婦が笑いながら現われると、満面に朝日を受けて輝やいている花壇の中へ降りていった。彼女たちの白い着物は真赤な雛罌粟の中へしゃがんだ。
花園の思想 (新字新仮名) / 横光利一(著)
みんなはさがしあぐんで、だんだんと土間に突っ立ったり、かまどの前にしゃがんだりしはじめた。大して心配なことはあるまい、という気持が、大抵の人の顔に現れていた。
次郎物語:01 第一部 (新字新仮名) / 下村湖人(著)
葭簀よしずを分けるようにして入って行くのを、象の後脚うしろあしのところにしゃがんでいた重右衛門、首だけこちらへ捩向ねじむけて、眼の隅から上眼で睨め上げ、ふふん、と鼻で、笑った。
伊豆は実に物足りない暗い惨めな気持で小笠原の後に続いたが、戸外へ出ると急にもやもやした胸苦しさを覚え、溝へしゃがんで白い苦い液体を吐き出した。数分間苦悶した。
小さな部屋 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
隣の部屋でつつましく着物を脱いでいた娘は、彼が呼ぶと、浴衣を着て、蚊帳の裾にしゃがんだ。
蚊帳 (新字新仮名) / 織田作之助(著)
帽や外套がいとう隙間すきまもなく載せてある棚の下に、男が四五人火鉢を囲んでしゃがんでいる外にはたれもいない。純一は不安らしい目をして梯を見上げたが、丁度誰も降りては来なかった。
青年 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
晴れきって明るくはあるが、どこか影の薄いような秋の日に甲羅こうらを干しながら、ぼんやり河岸縁にしゃがんでいる労働者もある。私と同じようにおおかたひるかてに屈托しているのだろう。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
彼等は喫煙室に入り、サモア流に車座になってしゃがんだ。彼等の代表者が話し始めた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
それはうそに違いない。そんな事のありようがない。そう思う心を男に話して聞かせようと思って、男の前にしゃがんで、下から見上げたが、声が出なかった。そこで頭を男のひざに載せて泣いた。
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
ははあ、また出て来て、庭で方々へすわりました。あのアポルロの石像のある処の腰掛に腰を掛ける奴もあり、井戸のわき小蔭こかげしゃがむ奴もあり、一人はあのスフィンクスの像に腰を掛けました。
また或る人の話に、手形の無い者が通りかかると、役人が『こら』と声をかける。その時その者はクルリと向きをかえて、ま歩いて来た方角へ顔を向けてしゃがむ。『手形があるか。』と問う。
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
汚れた手拭で頬冠ほおかむりをして、大人おとなのようなあいの細かい縞物しまもの筒袖単衣つつそでひとえ裙短すそみじかなのの汚れかえっているのを着て、細い手脚てあし渋紙しぶかみ色なのを貧相にムキ出して、見すぼらしくしゃがんでいるのであった。
蘆声 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
……広子は一そう心細くなって、両手で顔を掩ふと畳の上にしゃがんでしまふ。絵本で見たお化けが、その時ちらちらと目蓋の闇に現れて来るのだ。そのうちに父の靴音が廊下から段々近づいて来る。
父が生んだ赤ん坊 (新字旧仮名) / 原民喜(著)
クレヴァースをはさんで、右に二人、左側に三人、なかには爪立つばかりに氷の端をつかんで立ってるのもあり、しゃがんでいるのはクレヴァースにのめる様で、一人はその肩につかまって延び上りながら
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
ぼんやりと、手を頭にのせてじっとしゃがんでおりますだ。
人外魔境:01 有尾人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
地べたにひっつくようにしゃがんだりしている。
天馬 (新字新仮名) / 金史良(著)
「あの坊主の云うとおりになって、やめておったら、こんな魚が拝めるけい」と、彼はしゃがんで得意そうに云ってまず庖丁を腹からおろした。
岩魚の怪 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
と膨れて見える……この影が覆蔽かぶさるであろう、破筵やれむしろは鼠色に濃くなって、しゃがみ込んだ児等こどもの胸へ持上って、ありが四五疋、うようよとった。
陽炎座 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
闇の中にしゃがんでいた明智がヒョイと立上って、一尺の近さで娘と顔を見合わせた。暗いけれど、顔形が分らぬ程ではない。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
其風にまたたく小さな緑玉エメラルドの灯でゞもあるように、三十ばかりの螢がかわる/″\明滅する。縁にかけたりしゃがんだりして、子供は黙って見とれて居る。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
気がついてみると、復一は両肘をしゃがんだ膝頭ひざがしらにつけて、かたにぎり合せた両手の指の節を更に口にあててきつく噛みつつ、衷心ちゅうしんから祈っているのであった。
金魚撩乱 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
柱にもたれた女が、突角とがった肩をぴくつかせて咳きをしていた。その後の床の上では、眼病の裸体の男女が、一本の赤い蝋燭を取り巻いたまましゃがんでいた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
どちらを向いても偽りのような気がした。急に高倉はしゃがんだ。彼はそうやって、磁石を内ぶところに入れた。体温をあたえた。それから方角を取り戻した。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
「大きな蜻蛉だな。一体どうして死んだのだろう……。」とつぶやきながら、彼はそこにしゃがんでその屍をた。そのまわりに小さな黒ありがうじゃうじゃと寄っている。
首を失った蜻蛉 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
そして磯の近くまで来るとにわかにたくましく肩を揺りあげ、まるでしゃがんでいたものが起ちあがりでもするようにぐっと頭をもたげるとみるや、さっと白い飛沫しぶきをあげて崩れたち
新潮記 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
土間には虎吉が鳥に米をいて遣って、しゃがんで見ている。石田も鳥を見に出たのである。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そこで、私は町の中部のかなり賑かな通へ出て、どこか人にも怪まれずに、しゃがむか腰掛けかする所をと探すと、ちょうど取引会所が目についた。盛んに米や雑穀の相場が立っている。
世間師 (新字新仮名) / 小栗風葉(著)
それでも家の中よりはさっぱりしていた。大抵裸だった。近所の人たちと声高に話し合っていた。若い男と女は離れた暗がりにしゃがんでいた。団扇だけが白く、ヒラ/\動くのが見えた。
工場細胞 (新字新仮名) / 小林多喜二(著)
庄吉は、暫く、階段の下へしゃがんでいたが、黒い布で頬冠りして、尻端折になった。柱行燈の灯が、遠くに、ほのぼのとしているだけで、ここから、調所の部屋までは、廊下だけであった。
南国太平記 (新字新仮名) / 直木三十五(著)
蟠龍軒は高い処へ上って向うから来るかと見下みおろす、処が人の来る様子がございませんから、神田の方から人が来て認められてはかなわぬと思いまして、二番河岸の根笹ねざさの処へしゃがんで居りますと
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
わきにしゃがんで、草の芽生えを眺めてた信吉は、顔をあげて訊いた。
ズラかった信吉 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
と云う、煙草よりさきに、蔵造りの暗い方へ、せな附着くッつけ、ずんぐりと小溝を股に挟んで大きくしゃがみ、帽子のうちから、ぎろぎろと四辺あたりを見た。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
汚い天水桶の上には鳥の柔毛にこげが浮んでいた。右の方の横手の入口に近い処に小さな稲荷いなりほこらがあって、半纏はんてん着の中年の男がその前にしゃがんでいた。
春心 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)