えっ)” の例文
その頃は申告の為方しかたなんぞはまっていなかったが、かどあって上官にえっする時というので、着任の挨拶は正装ですることになっていた。
(新字新仮名) / 森鴎外(著)
そのうえ江戸邸の中に住み、幼君にえっし、盃までもらったということは、主家の仕置を無視するばかりでなく嘲弄ちょうろうするに等しい。
高見権右衛門が討手うっての総勢を率いて引き上げて来て、松野右京のやしきの書院の庭で主君の光尚みつひさえっして討手の状況を言上ごんじょうする一段のところで
三たび大王にえっす その翌十一日午前十時半に約のごとく大王の内殿の接客室に参りますと、四、五名の将校と一人の書記官が居りました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
内々のご評議やら、またこれを父のお立場から、准后じゅんごう阿野廉子あのやすこにもおはかりになった結果か。——再度、坊門ノ清忠が信貴山の宮にえっして
中原ちゅうげん、また鹿をうて、筆を投げすてて戎軒じゅうけんを事とす。縦横のはかりごとらざれども、慷慨こうがいの志はお存せり。つえいて天子にえっし、馬を駆って関門をず。
(新字新仮名) / 富田常雄(著)
孔子が魯から衛に入った時、召を受けて霊公にはえっしたが、夫人の所へは別に挨拶あいさつに出なかった。南子がかんむりを曲げた。早速さっそく人をつかわして孔子に言わしめる。
弟子 (新字新仮名) / 中島敦(著)
ヘンデルは音楽をお好きなうえ、みずからクラヴサンをよく演奏した女王アンにえっした後、超人的に天才を発揮してわずかに十四日間で歌劇「リナルド」を書き下して上演した。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
胸のあたりは北風の吹き抜けで、肋骨ろっこつの枚数は自由に読めるくらいだ。この釈迦がたっとければこの兵士もたっといと云わねばならぬ。むか元寇げんこうえき時宗ときむね仏光国師ぶっこうこくしえっした時、国師は何と云うた。
趣味の遺伝 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
されど妾の一念ひるがえすべくもあらずと見てか、いても言わず、とかくは板垣伯に会い東上の趣意をべよとあるに、妾はうべないて遂に伯にえっし、東上の趣意さては将来の目的など申し聞えたるに
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
井伊の陣屋のさわがしいことはおのずから徳川家康とくがわいえやすの耳にもはいらないわけにはかなかった。のみならず直孝は家康にえっし、古千屋に直之なおゆき悪霊あくりょうの乗り移ったために誰も皆恐れていることを話した。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
郡主は燕王の従姉じゅうしなり。燕王かずして曰く、皇考の分ちたまえるわがかつ保つあたわざらんとせり、何ぞ更に地をくを望まん、たゞ奸臣かんしんを得るの後、孝陵こうりょうえっせんと。六月、燕師浦子口ほしこうに至る。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
別後の情を細叙するにもいとまあらず、引かれて大臣にえっし、委托いたくせられしは独逸語ドイツごにてしるせる文書もんじょの急を要するを翻訳せよとの事なり。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
これが大垣おおがきに近づくにつれて、大垣の城主氏家行広うじいえゆきひろも来て合し、曾根の城主稲葉一鉄も参加し、秀吉にえっして麾下きかに属した。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
再び大王殿下にえっす 暫く経って大王殿下は親兵百余人に前後をまもらせつつ内殿から出て大門の横に在る別殿に行かれた。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
二 板垣伯にえっ
妾の半生涯 (新字新仮名) / 福田英子(著)
そして、呂布にえっし、云々しかじかと仔細を告げて、玄徳から曹操へ宛てた返簡を見せると、呂布は、鬢髪びんぱつをふるわせて、激怒した。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲子夜話かっしやわ」には、慶長けいちょう十二年の朝鮮の使にまじっていた徳川家の旧臣を、筧又蔵かけいまたぞうだとしてある。林春斎の「韓使来聘記かんしらいへいき」等には、家康にえっした上々官をきんぼくの二人だけにしてある。
佐橋甚五郎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
第百四十六回 ネパール国王にえっ
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
清忠は、勅をかしこんで、さっそく、信貴山へ登ってゆき、親しく、大塔ノ宮にえっして、お胸どおりを、つたえ上げた。
「足下も旗を巻いて、それがしと共に、孫権にえっし給え。呉侯はまだ若くて将来があるし、しかもなかなか名君らしい」
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかし賜謁しえつは、上々の首尾で、義貞は身にあまる思いにくるまれ、さらにべつな庭では、准后じゅんごう三位ノ廉子やすこにもえっした。
とのことだったので、彼はさっそく、二条城へ登って、信長にえっし、秀吉の書を呈したうえ、ありのまま、報告した。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だが明ける早々、年頭の賀をのべるため、彼は岐阜城におもむいて、信長にえっし、さらに数日のいとまを賜ったので、その足で洲股すのまたへと廻ったのである。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と呟いて、何十年間の道境三昧のを出て、京都紫竹しちく村のたかみねの陣屋で、初めて、大御所にえっしたのであった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
淮南わいなんに着いて、袁術えんじゅつえっし、呂布の書簡を呈してやがて戻ってきた許汜きょし王楷おうかいの二使は、そうは行かなかった。
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
常なら、近習きんじゅう、または表役人を通じてえっすべきなのに、いきなり、各〻作事さくじ支度のわらじばきで、庭先へ平伏したのは、よほど何か狼狽ろうばいしているとみえる。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
歳暮せいぼ、新春の御祝儀をかねて、多忙の陣中から上府し、右大臣家にえっし、一両日は滞在はすれど、すぐにもふたたび中国の御陣へ帰らねばならぬ身ゆえ——
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二人は、家康にえっすると、諄々じゅんじゅんと、利害を説き、秀吉の意をさとして、大坂への入京をすすめた。ことばの裏には、多分に、丁重なる威嚇いかくもふくまれている。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「右大臣家(秀忠)とは、大徳寺でも、二度ほど会うているし、大御所には、しばしばえっしておるが、つい江戸には、こん度が初めて。——して、おもとには」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陸遜は、召しに依って、急遽、建業へ帰って、呉王にえっした。そして呉王から、この大任をうけて、汝よくそれにこたうる自信ありや、と問われると、陸遜は
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は其処で、秀吉にえっするために、賤ヶ嶽から急遽きゅうきょ降って来た、丹羽長秀にわながひでに会った。長秀は客将分である。彼にたいして秀吉の礼があついのはいうまでもない。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
糜竺びじく兄弟は、さっそく通って、二夫人にえっし、また、関羽に会って、こもごも、久濶きゅうかつの情をじょした。
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それが聞えると、オルガンチノは、右近を伴って南蛮寺を出、天野山の陣へ行って、信長にえっした。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
天子にえっし、その折、ご下問によって、初めて、わが家の家系をお耳に達しましたところ、天子には直ちに、朝廷の系譜をお調べになり、まぎれもなく、劉玄徳が祖先は
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「——では、安土へ行くと仰せあるは、信長公にえっして、その罪を自首する思し召ですか」
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
孔明は、諸臣の代表として、法正を伴い、ある時、改まって、玄徳にえっした。そして
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「それがしは、魏の部将鄭文ていぶんという者です。丞相じょうしょうえっしてお願いしたいことがある」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
幾たびかえっし、この官兵衛も、胸打ち割って、あれほどに心底を申しあげ、つは、主家小寺家のあらゆる困難な事情を排し、父宗円を始め、一家中のものの運命をも賭し、併せては
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「かねて、お噂は承っていますが、まだ機縁がなく、えっしたことはございません」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
次の日張松は、成都に入り、劉璋にえっして、使いの結果をつぶさに復命した。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
めでたく新春に会い、今日を無事に過ごし、信長にえっして賀を述べられる冥加みょうがとして、百文ぐらいな年賀税は徴してもよろしかろう。——堀久太郎、蒲生右兵衛がもううひょうえ、ふたりして明日は奉行せい
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なるほど、君の信義もあるのか。袁紹は恩友のかたきでもあれば、——というわけだな。よろしい、明朝、相伴うて天子にえっし、君の望みを奏上しよう。君が赴いてくれれば予も気づよい」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かた肥りに肉のしまったからだをしている。背は並である。どこか異相にはちがいないが、彼にえっしたことのない者がよく、どんな怖ろしいお方かなどというが、そんな近づき難いひとではない。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
鷹ヶ峰のふもとで初めて家康にえっした時は——自分と兵庫と、そして兄の五郎右衛門とが、三人してお目見得したものをと、宗矩は当時のことも思い合せながら、その姿の見えない座中を見まわして
剣の四君子:02 柳生石舟斎 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は直家をともなって、彼にえっし、ついに信忠のとりなしで、信長も
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
上る途中にはまた、必ず鎌倉へ立ちよって、頼朝にえっし、各〻
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「貴公は、呉侯のお妹君に、えっしたことがありはしないか」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼はさっそく太守の孫堅にえっして、その無謀を諫めた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正月、ちょうにのぼって彼は天子にえっし、賀をのべた後で
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)