蛞蝓なめくじ)” の例文
私は音のしないようにソーッと歩いて、扉の所に立っていた蛞蝓なめくじへ、一円渡した。渡す時に私は蛞蝓のしなびた手を力一杯握りしめた。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
と云う、南無阿弥陀仏の両傍りょうわきに、あいあい傘の楽書のように、(となえろとなえろとなえろとなえろ、)と蛞蝓なめくじのごとくのたくり廻る。
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
いまではからくも稚市に、蛞蝓なめくじのように光に背を向けて這い、迷路を通過して行く——意識だけが作られたにすぎないのである。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
蛇と、蛞蝓なめくじと、蛙とが相剋そうこくするように、力の問題ではなくて、気合のさせる業。理窟の解釈はつかない宿縁というようなものの催しでしょう。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
ただしファヴォリットは出がけに、もっともらしい年長者らしい調子で、「蛞蝓なめくじが道にはっている、雨の降るしるしだわ、」
何の鳥とも知らず黒い小鳥がいて、二三羽頭の上を廻っていた。かたわらの垣根の竹に蛞蝓なめくじが銀色のいとを引いて止まっている。
(新字新仮名) / 小川未明(著)
庭は蚯蚓みみず蛞蝓なめくじ培養所と云ったようなのが、今朝は雲は暗く垂れかかって、成る程、いつまでも夜が明けない筈である。
スウィス日記 (新字新仮名) / 辻村伊助(著)
尾瀬沼の東の檜高ひだか山、治右衛門池の南の皿伏さらぶせ山、さては其名の如く双峰を対峙させた荷鞍にぐら山までも、皆大きな蛞蝓なめくじったようにのろのろしている。
秋の鬼怒沼 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
初のは半紙の罫紙けいしであったが、こん度のは紫板むらさきばんの西洋紙である。手の平にべたりと食っ附く。丁度物干竿ものほしざおと一しょに蛞蝓なめくじつかんだような心持である。
あそび (新字新仮名) / 森鴎外(著)
蛞蝓なめくじのように流し元で働いていた婆やが、ちょっと顔を出しました。久米之丞はそういったきり、肩をそびやかしてなしの門をサッサと出て行く。
江戸三国志 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その匍匐ほふくする有様ありさまを見てりますと、あるときはまがきの上を進む蛞蝓なめくじのように、又あるときは天狗の面の鼻が徐々に伸びて行くかのように見えるのです。
人工心臓 (新字新仮名) / 小酒井不木(著)
大下宇陀兒うだる氏の「蛞蝓なめくじ奇談」(『新青年』増刊)これはショート・ストーリーである。という意味は短いながらも一つの完結した物語であるという意味だ。
新人の諸作一括 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
だだっ広い家の踏めばぶよぶよと海のように思われる室々へやへやの畳の上に蛞蝓なめくじの落ちてうようなことも多かった。
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)
朝から驟雨性しゅううせいの雨がざあと降って来たり、ほそい雨が煙ったり、蛞蝓なめくじが縁に上り、井戸ぶちに黄なきのこえて、畳の上に居ても腹の底までみ通りそうな湿しめっぽい日。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
腐りかけたいたばめの上には蛞蝓なめくじはった跡がついている。何処からともなく便所の臭気がみなぎる。
夏の町 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
線などはひる蛞蝓なめくじのやうに引いたつて、いつかうさしつかへなからうではないかと主張し
秋艸道人の書について (新字旧仮名) / 吉野秀雄(著)
そのかわり蛞蝓なめくじの多いところで、これには驚きました。ったあとが銀色して光っています。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
でっぷりと小肥りの身体と、骨ばった痩躯も、対蹠的だ。しかし、湯に濡れて光る、友田の肌の大蛇おろち蝦暮がま蛞蝓なめくじなどの眼は、どれも、金五郎を睨んでいるように、妖しくうごめいている。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
糸の様に細く伸るという蛞蝓なめくじの様な怪虫なら知らぬ事、どんな小さい蛇さえも、全く這入る隙はなかった。まして蛇使いの大入道なぞ、絶対に忍び込む余地はない。ずこれで安心だ。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
「何処ダッチ駄目。蛞蝓なめくじニ舐メラレタミタイデ、一日気持ガ悪カッタワ」
瘋癲老人日記 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
そのほおには蛞蝓なめくじい跡のように、涙の跡が鈍く光っていた。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
その頃、妻は夜半に起出しては蛞蝓なめくじ退治をしていた。
吾亦紅 (新字新仮名) / 原民喜(著)
酸敗えかかつたとちの葉の繊維せんゐ蛞蝓なめくじ銀線ぎんせんを曳き
東京景物詩及其他 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
あの蛞蝓なめくじを御覧なさい。こっちへ這って来やがる。
蛞蝓なめくじには、決して蟻は寄りつかなかった。
或る素描 (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
小枝の花や花弁の露の代わりには、散り敷いた紅葉の冷ややかな敷き物の上に、蛞蝓なめくじの長い銀色のはい跡が見えていた。
「ビックリしなくてもいいよ。俺だよ。どうだったい。面白かったかい。楽しめたかい」そこには蛞蝓なめくじが立っていた。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
押重おっかさなって、の実のったさまに顔を並べて、ひとしくお妙を見送った、四ツの髯の粘り加減は、蛞蝓なめくじの這うにこそ。
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
また朽樹のほら蛞蝓なめくじを見ては、はっと顔を染めるような性欲感を覚えたり、時としては、一面にしばが生えた円い丘に陽の当る具合によっては、その複雑な陰影が
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
煮豆屋と荒物屋の横で、四軒長屋が二た側になっており、T氏の家は、ドブ板のいちばん奥で、蛞蝓なめくじの這いあとをもった戸袋やらガタピシいう暗い格子戸がそれだった。
ブリキ屋根には赤い錆が出て、黒塗の壁板したみには蛞蝓なめくじの歩いた痕が縦横についていた。私は、黒い家の周囲まわりを廻った。果して窓があった。東向になっている窓が閉っていた。
抜髪 (新字新仮名) / 小川未明(著)
其中の一に妙な虫が附いていたので、手に取って見ると薄墨色をした蛞蝓なめくじであった。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
それは蛞蝓なめくじであった。よる行くのに、道に蛞蝓がいると、闇中あんちゅうにおいてこれを知った。門人のしたがい行くものが、燈火ともしびを以て照し見て驚くことがあったそうである。これも同じ文に見えている。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
虫類で、彼の嫌いなものは、蛇、蟷螂かまきり蠑螈いもり蛞蝓なめくじ尺蠖しゃくとり
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その男は小さな、蛞蝓なめくじのような顔をしていた。私はその男が何を私にしようとしているのか分らなかった。どう見たってそいつは女じゃないんだから。
淫売婦 (新字新仮名) / 葉山嘉樹(著)
珊瑚さんご六分珠ろくぶだまをおさえながら、思わずにかわについたように、足首からむずむずして、爪立ったなり小褄こづまを取って上げたのは、謙斎の話の舌とともに、蛞蝓なめくじのあとを踏んだからで
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
たったこの二つだけの動物意識で——つまり多Tティ・メニーとか長短ロング・コンド・ショットとかいうような種々いろいろな迷路を作って、高麗こま鼠にその中を通過させる——ものと、もう一つは蛞蝓なめくじ以外にはない背光性——。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
最も近く大きな蛞蝓なめくじを匍わしたような鬼ヶ岳と、黒部の谷を横さまに駿馬の躍るが如き木挽こびき越中沢二山との間に、五色ヶ原の曠原こうげんが広く長き段階状に展開して、雪と緑とそして懐しさとが溢れている。
黒部川奥の山旅 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
しきりに蛞蝓なめくじが敷居をう、と云う頃から、はたでは少なからず気にしたものの、年月としつき過ぎたことでもあり、世間一体不景気なり、稲葉家などは揚りのいい方、取り立てて言出して
日本橋 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
こゝまで読んで、私は又あわてた。けてつのの生えた蛞蝓なめくじだと思つた、が、うでない。おおいなる蝦蟆がまが居た。……其のいぼ一つづゝ堂門どうもんくぎかくしの如しと言ふので、おおきさのほども思はれる。
雨ばけ (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
蛞蝓なめくじの舌を出しそうな様子ですが、ふるえるほど寒くはありませんから、まずいとして、その隅っ子の柱に凭掛よりかかって、遣手やりてという三途河さんずがわの婆さんが、蒼黒あおぐろい、せた脚を突出してましてね。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
太夫様たゆうさまお手づから。……竜と蛞蝓なめくじほど違ひましても、しょうあるうちはわしぢやとて、芸人の端くれ。太夫様の御光明おひかりに照らされますだけでも、此の疚痛いたみは忘られませう。」と、はツはツと息をく。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
蛞蝓なめくじだとペロリと呑みたくなって危いが、蝸牛でんでんむしなら仔細しさいあるまい、見舞おうと、おのおの鹿爪らしく憂慮気きづかわしげに、中には——時々の事——縁へ這上ったのもあって、まじまじと見てつらを並べている。
薄紅梅 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「太夫様お手ずから。……竜と蛞蝓なめくじほど違いましても、しょうあるうちはわしじゃとて、芸人の端くれ。太夫様の御光明おひかりに照らされますだけでも、この疚痛いたみは忘られましょう。」と、はッはッと息をく。
伯爵の釵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
拾うのに仔細しさいなかったでございますれども、御老体が飛んだ苦労をなさいましたのは……夜具部屋から、膠々にちゃにちゃ粘々を筋を引いて、時なりませぬ蛞蝓なめくじの大きなのが一匹……ずるずるとあとを輪取って
怨霊借用 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)