さお)” の例文
二本の指を口へいれて、苦しそうに酒を嘔吐もどしている。いつも、顔へ顔が映ると笑われている彼の頬も、艶気つやけがなく、真っさおであった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひのきの一杯いっぱいにしげっている谷の底に、五つ六つ、白いかべが見えその谷には海が峡湾きょうわんのような風にまっさおに入りんでいました。
ビジテリアン大祭 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
たちまち彼の顔は真っ赤になり、——それから真っさおになった。数分間、彼はすわったままその図を詳しく調べつづけていた。
黄金虫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
「ずいぶん人をびっくりさせるかたねえ!」と彼女は苦しそうに息をつきながら言った。いまだに真っさおな、あっけにとられたような顔だった。
さあ、こう顔を見合せてしまっては、もう逃げようも避けようもありません。行商人は一時まっさおになってしまいました。
(新字新仮名) / 久米正雄(著)
ゆらゆらと動く上半身、さおになった顔、まさに冥府の音楽家が、人間を呪う姿と言っても差支えないものでしょう。
新八はひどく昂奮こうふんしていた。顔色もまっさおだし、唇も白く乾いて、そうして、絶えずぶるぶると躯をふるわせていた。
ところへその紳士の下僕しもべが二人真っさおになって駈け付け「大変です、泥棒が入りました」というような訳で老僧と紳士はあわてて帰ってしまいました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
とフローラのこめかみに、一条、さおな血管が浮かび上がると、紅琴は、それを驚いたようにみつめて言った。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そして、なにか身構えるような恰好で、後から駈込んだ事務員達を、黙ってさおい顔をしながら睨め廻した。
白妖 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
明けがた近くしばしまどろみしが目さめし時はかれの顔さおなりき。憂えも怒りも心の戦いもやみて、暴風一過、かれが胸には一片の秋雲凝って動かず。
わかれ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
主人はどんな飛ばっちりを食うのかとおびえているらしかったが、取り分けてお八重は真っさおになっていた。
半七捕物帳:15 鷹のゆくえ (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
顔はさおで、頭をうなだれて胸のところのシャツを明けている。女はこらえられない程心配になって、飛び起きて、男の側へ行った。「あなたどうなすったの。」
みれん (新字新仮名) / アルツール・シュニッツレル(著)
不意におどかしてやろうと思って、私は靴をぬいで、そっと枕元へ行って、揺り起こそうと思って手をやろうとすると、毛布の端からまっさおな彼女の額が見えるのです。
アパートの殺人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
青森あおもりあたりだとききました、越中えっちゅうから出る薬売りが、蓴菜じゅんさいいっぱい浮いて、まっさお水銹みずさびの深い湖のほとりで午寐ひるねをしていると、急に水の中へ沈んでゆくような心地こころもちがしだしたので
糸繰沼 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
わいわい、がやがや、大変な騒ぎのところへ、さおな顔をした長岡頼母が、ヒョロヒョロしてはいって来たから、一同はそっちを見て、合唱のように、「おい、長岡、どうした?」
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
見ればまっさおになった女は下唇したくちびるを噛んだなり、神父の顔を見つめている。しかもその眼にひらめいているのは神聖な感動でも何でもない。ただ冷やかな軽蔑けいべつと骨にもとおりそうな憎悪ぞうおとである。
おしの (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
彼は冷たい石の上にひざまずいて、しばらくそのままにしていたが、やがて伯爵夫人の死に顔と同じようにさおになってちあがると、葬龕ずしの階段を昇って死骸の上に身をかがめた——。
げっそりとけた頬、眼窩がんかの奥へ落ちくぼんでぎらぎらしている眼、そして怖ろしいほどさおな顔をした彼は、最早もはやふらふらと頼りない足どりでつまずき躓き、憑かれたような歩みを続けながら
ひかげはもうヴェランダののきを越して、屋根の上に移ってしまった。さおに澄み切った、まだ秋らしい空の色がヴェランダの硝子戸を青玉せいぎょくのように染めたのが、窓越しに少しかすんで見えている。
かのように (新字新仮名) / 森鴎外(著)
見ると彼女の顔はさおで、なんとも言えず痛ましい悲哀ひあいと、深いつかれの色が、目鼻だちのくまぐまに刻まれているので、わたしは心臓がめつけられるような気がして、思わずこう口走った。
はつ恋 (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
いなせの地廻りさおになり、フーフー息ばかりついている。
剣侠受難 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
実にさおな海がみえました。
オリンポスの果実 (新字新仮名) / 田中英光(著)
などと、物見高い閑人ひまじんが、輪を作ってささやき合っていると、不意に顔を上げた新九郎が、酒乱のようなさおおもてに、鋭い目を吊るし上げて
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それからまわりがまっさおになって、ぐるぐるまわり、とうとう達二は、ふかい草の中にたおれてしまいました。牛の白いぶちおわりにちらっと見えました。
種山ヶ原 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
やがて兄は死人のようにさおな顔をして頭を振り、『聴いてみろ!』とでもいうようなふうに、指を一本挙げました。
義弟が本気だということ、眼が血ばしって、刀のさきがこまかく震えていることに気づくと、あによめは突如まっさおになって、「イ」というような声をあげた。
七日七夜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
血の気の引いた真ッさおな顔には、もう軽いむくみが来ていたが、それが房枝である事は間違いなかった。
銀座幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
勝男の身体からだにはいっけん外傷は無かったが、どうしたわけか、彼は、全く意識を失っており、おまけに他の二人とちがって顔は真っさおになり、唇は紫色に変わっていた。
鉄の規律 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
すると翌日、顔をまっさおにした二人の隊員が、教授の天幕テントへバタバタと駆けこんできた。
人外魔境:05 水棲人 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
留守をしていた病身のショパンは、サンドが溺死体できしたいとなってその上へ水のしたたりが執拗しつように落ち続ける幻想に悩まされ、眼に涙さえ浮かべながら、さおな顔をしてピアノを弾き続けていた。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
彼女は泣いてはいないが、さおで、顔がぴくぴくふるえて、口がけない。
桜の園 (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
さおな顔が、いまにも気絶しそうにそって、うしろへ手を突いた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
二人の子供はさおになった。安寿は三郎が前に進み出て言った。
山椒大夫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
するとその時どうのほうで、にわかに大勢がガヤガヤ騒ぎだした。ドタドタドタと松兵衛のそばへさおになって飛んできたのは手代の新吉。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もともと痩せて細っこい躯の娘たちは、まっさおな顔にあぶら汗を流しているというふうであった。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
そして、私が極度の恐怖を感じながらそれに近づいてゆくと、私自身の姿が、だがさおな、血にまみれた顔をして、力のないよろよろした足どりで私の方へすすんで来た。
すると、まっさおな顔をして、白い眼をむいている様子がどうも変なのです。肩へ手をやって揺すぶってみると、まるで手ごたえがなく、揺すぶられるままになっているのです。
アパートの殺人 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
そうしているうちに、さおに立ち上がってくる、山のようなうねりが押し寄せたと見る間に、その渓谷から尾を引いて、最初の火箭ひやが、まっしぐらに軍船をめがけて飛びかかった。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
すぐ下にはお苗代なわしろ御釜おかま火口湖がまっさおに光って白樺しらかばの林の中に見えるんだ。面白かったねい。みんなぐんぐんぐんぐん走っているんだ。すると頂上までの処にも一つ坂があるだろう。
風野又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
チャイコフスキーはさおになって椅子いすから飛び上り、彼女は驚きの声をあげて追い詰められたねずみのように、外へ逃げ出すドアを捜し始めた。チャイコフスキーの人の良さは、おおむねこのたぐいである。
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
真ッさおで、歪んだ、睨みつけるような顔だった。
銀座幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
主水はさおになって
丹下左膳:03 日光の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
眼に燐火りんかを燃えたたせて、真ッさおに怒った窯焚かまたきの百助、捨てぜりふを残してまッしぐらにけだして行った。
増長天王 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
だがその夜は、いくらも、よまないうちに眠ってしまったらしい。呼び起こされて眼をさますと、徳次郎がまっさおな顔をして、「旦那が」と云いながら、店のほうを指さしていた。
五瓣の椿 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
それからまわりがまっさおになって、ぐるぐる回り、とうとう深い草の中に倒れてしまいました。馬の赤いたてがみと、あとを追って行く三郎の白いシャッポが終わりにちらっと見えました。
風の又三郎 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
それを聞くと、側に居た番頭の顔はさおになってしまいました。
見る見る彼の顔色はさおに変わってきた。
鉄の規律 (新字新仮名) / 平林初之輔(著)
打ちすえないばかりの叱言こごとだった。さおいきどおっている親の手に引っ張られて、すごすごと裏門から出てゆくお粂のすがたをちらと見て、一学は、窓から
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
京太は独りで飲んでいたのだろう、まっさおな顔になって、焼酎の匂いが鼻をついた。
季節のない街 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)