葛城かつらぎ)” の例文
山家やまがあたりにむものが、邸中やしきぢう座敷ざしきまでおほききのこいくつともなくたゝるのにこうじて、大峰おほみね葛城かつらぎわたつた知音ちいん山伏やまぶしたのんでると
くさびら (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
搦手からめては紀伊、葛城かつらぎ山脈などの山波をようし、いたるところの前哨陣地から金剛の山ふところまで、数十の城砦じょうさいを配していたことになる。
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大臣は大和やまと葛城かつらぎ山から呼んだ上手じょうずな評判のある修験者にこの晩はかみ加持かじをさせようとしていた。祈祷きとう読経どきょうの声も騒がしく病室へはいって来た。
源氏物語:36 柏木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
あのなかに、いかにも神秘な姿をして浮かび上がっている葛城かつらぎ二上山ふたがみやまには、一種のあくがれさえいだいて来たものだ。
大和路・信濃路 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
顔の見つともないのは、頭の悪いのと同じやうに恥づべき事で、葛城かつらぎの神様などは、顔が醜いのをはづかしがつて、夜しか外を出歩かなかつたといふ事だ。
右は比良、比叡の余脈、左は金剛、葛城かつらぎまで呼びかける逢坂山おうさかやまの夜の峠路を、この人は夢の国からでも出て来たように、ゆらりゆらりと歩いていました。
まず東国においては上野こうずけ邑楽おはらき常陸ひたち茨城うばらきもそれであろうし、西にはまた近江おうみの古き都の信楽しがらきの地があり、大和には葛城かつらぎの山嶺と大きな郡の名がある。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
もとより容姿かたちのよろしきをでよろこび、千とせをかけて契るには、二四五葛城かつらぎ高間たかまやまよひ々ごとにたつ雲も、二四六初瀬の寺の暁の鐘に雨をさまりて
三千代は始め美努王みぬのおおきみに嫁して葛城かつらぎ王(後の橘諸兄もろえ)を生み、後に、藤原不比等に再嫁して光明皇后を生んだ。
道鏡 (新字旧仮名) / 坂口安吾(著)
その後、大峰に三度、葛城かつらぎに二度、高野こうや粉川こがわ金峰山きんぷせん白山はくさん、立山、富士のたけ、伊豆、箱根、信濃の戸隠とがくし、出羽の羽黒など、日本全国くまなく廻り修行した。
数年の間修験者しゅげんじゃとなり金華きんか葛城かつらぎの諸山を巡歴し、江戸に帰って長野豊山ながのほうざんの門に入り経義を学ぶこと一両年。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
仁徳天皇にんとくてんのうはお位におのぼりになりますと、難波なにわ高津たかつみやを皇居にお定めになり、葛城かつらぎ曽都彦そつひこという人のむすめ岩野媛いわのひめという方を改めて皇后にお立てになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
葛城かつらぎの神を駆使したり、前鬼ぜんき後鬼ごきを従えたり、伊豆の大島から富士へ飛んだり、末には母を銕鉢てつばちへ入れて外国へ行ったなどということであるが、余りあてになろう訳もない。
魔法修行者 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
南は国境の葛城かつらぎ山脈になつて居ます。近い所には大仙陵だいせんりようが青色の一かたまりになつて居ます。
私の生ひ立ち (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
役行者は伊豆に流される迄は、大和が本拠で、葛城かつらぎ山で修法し、大峰おおみね入りを創始した。
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
この山の峰つづきに見えるのは、南に幾重ともなく重った、葛城かつらぎの峰々である。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
此の画を見るたびに、彼はおけいさんと其恋人葛城かつらぎ勝郎かつおおもい出さぬことは無い。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
葛城かつらぎ山の方へ谷を越え、悠々と渡って行ったことである。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
葛城かつらぎの神みそなはせ青き踏む
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
そして、居ながら金剛、葛城かつらぎの山波が望まれる彼の居室は、いつものようなひそけさで、今日はじいの左近をよんで、なに思ったか
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神様のなかにも、葛城かつらぎの神のやうにおそろしく醜い顔をしたのもある位だから、人間やいぬにみつともないのがあつたからといつて、別段物言ものいひの種にはならない。
弁は扇拍子をとって、「葛城かつらぎの寺の前なるや、豊浦とよらの寺の西なるや」という歌を歌っていた。
源氏物語:05 若紫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
すると、さきに大長谷皇子おおはつせのおうじにお殺されになった、忍歯王おしはのみこのお妹さまで忍海郎女おしぬみのいらつめ、またのお名まえを飯豊王いいとよのみことおっしゃる方が、大和やまと葛城かつらぎ角刺宮つのさしのみやというお宮においでになりました。
古事記物語 (新字新仮名) / 鈴木三重吉(著)
葛城かつらぎ高間山たかまやまに夜ごと立つ雲は雨を降らせるが、初瀬寺の暁を告げる鐘とともにその雨もやむというように、雲となり雨となって夜毎にまじわる二人の仲はむつまじく、いまはただ
阿波の粟田あわた村の葛城かつらぎ大明神の社では、昔ある尊い御方が、この海岸に船がかりなされた折りに、社の池の鮒を釣りに、馬に乗っておでかけになったところが、お馬の脚が藤のつるにからまって
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
朝日が葛城かつらぎの山脈の上へ昇り、霧が次第に晴れて来た。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
すげ笠にあるべき歌と強ひゆきぬ若葉よかを生駒いこま葛城かつらぎ
みだれ髪 (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
だからそこの書院では、いながらに、金剛、葛城かつらぎ、そして峰つづきの水越峠までが、対坐のすがたで、一望に眺められる。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
女御はそうを紫夫人に譲って、悩ましい身を横たえてしまったので、和琴わごんを院がおきになることになって、第二の合奏は柔らかい気分の派手はでなものになって、催馬楽さいばら葛城かつらぎが歌われた。
源氏物語:35 若菜(下) (新字新仮名) / 紫式部(著)
わけて、ここ古市は、和泉野いずみのの流れや、葛城かつらぎ生駒いこまの水が落ち合い、曠野の水郷をなしていた。不毛の地だらけだし、散所民の大天地でもある。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「吉野、大峰、葛城かつらぎ、そのほか諸山にわたって、ちと、内々のおくすりがきすぎた結果でもございましょうか」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その列の先に見えた人は、葛城かつらぎの峰の雪よりも真白い喪服もふくを着、白木の台に白い覆布おおいをかけたのを捧げていた。
日本名婦伝:大楠公夫人 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それも当然で、裏金剛から葛城かつらぎ間道かんどうすべて遮断されている実状なのだ。——そんな中をもおし大蔵だいぞうなればこそ、首尾よくここまで来られたものといえよう。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
主楽器は太鼓とかねであった。それに笛やササラのがからむ気だるい野趣やしゅをおびた民楽みんがくだが、遠くには、金剛や葛城かつらぎの山波が横たわり、空には昼の月があった。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛城かつらぎへわけ登り、諸国の大山だいせん経巡へめぐって、えん優婆塞うばそくが流れを汲み、孜々ししとして、修行に身をゆだねてきたが、それでもまだ聖護院の役座にさえ登れず、旅山伏の弁海が
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文覚は、まだ十九の頃に、若いもとどりを切って、大峰おおみね葛城かつらぎ粉河こかわ戸隠とがくし、羽黒、そしてまた那智なち千日籠せんにちごもりと、諸山の荒行を踏んできた、その昔の遠藤武者えんどうむしゃ盛遠が成れの果てであった。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なるほど、ここはよい眺めよの。——葛城かつらぎの峰々、河内平野の水、えもいわれぬ」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛城かつらぎ山脈を南へ越えてゆかれたものと想像され、紀州へ入ってからは、土地ところの宮方、三輪みわ西阿せいあ、真木定観じょうかん、貴志、湯浅党などが、前後を厚くおかこみして、山上の蔵王堂ざおうどうへと、一時
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もちろん合戦のすきにも、葛城かつらぎの尾根や、間道をたどって、外部からありが穴へ持ち込むようなことはしつづけていたが、山伏の背や、忍び隊の搬入などは、およそたかのしれた量でしかない。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「では、お着がえも相なりませぬな。川関にもかからず、地頭の領も経ずに、高野へ参るには、ただ一つ、ここより天野山金剛寺の裏岳うらだけを越え、葛城かつらぎから粉河こがわへ出る細道のみでございますが」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛城かつらぎ、金剛、それに和泉山脈の一端がのびている。
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
葛城かつらぎ
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)