つい)” の例文
この世の中の何処かの隅であの白痴がついえ崩れて仕舞うような傷ましさを、お蘭の心がしきりに感じるのをどうしようもなかった。
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
さるこくからとり下刻げこくまで、わずかまだ一刻半(三時間)のあいだでしかない。野に満ちていた味方の旗幟きしは、いずれへついえ去ったのか。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
燕王父子、天縦てんしょうの豪雄に加うるに、張玉、朱能、丘福等の勇烈をもってす。北軍のち、南軍のついゆる、まことに所以ゆえある也。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
今迄半神セミ・ゴッドの如く見えた白人が、彼等の褐色の英雄によってたおされたのだから。タマセセ王は海上に逃亡し、独逸の支持する政府は完全についえた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
そしてそれ等の船共はついえた軍隊のやうに、逃げはじめ、散り始めた。——たゞ空中に書かれた、もうまぎらすことの出來ない、この威嚇の前に。
第五になると、今一歩進んで、眼球がついえ縮み、歯の全部が耳のつけ根まで露われて冷笑したような表情をしている。
ドグラ・マグラ (新字新仮名) / 夢野久作(著)
今日沖縄があれほどついえたので、よい時期によい蒐集をし、よい保護をしたと今も想います。今は公開して、民藝館はそれらのものを度々展示しております。
沖縄の思い出 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
と、そう思うと、早くもその小さな胸は、夫ときめた大次郎の身を案じ、もう、ついえんばかりなのだった。
煩悩秘文書 (新字新仮名) / 林不忘(著)
宮方ご謀反とうとうついえた。……ナニサこんなことはとうの昔から、おれらやうばには解っていたのさ。……姥というのはほかでもねえ、みなさまご存知の鬼火の姥さ。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
ついえた家臣の一団が、彼らの決意と信念をこの神々に象徴したというべきであろう。いや、一旦いったんいついてしまうや否や、神がそこにあって彼らを支配しているのであった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
六月二十二日には、関東の強鎮八王寺城が上杉景勝、前田利家の急襲に逢ってついえて居る。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
眼前についえて行くふるくからの制度がある。下民百姓は言うに及ばず、上御一人かみごいちにんですら、この驚くべき分解の作用をよそに、平静に暮らさるるとは思われないようになって来た。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
かくして上と下の身分空間はついえ去るのである。それは大いなる哄笑である。
美学入門 (新字新仮名) / 中井正一(著)
地に穴し瀦水ちょすいしてこれを蓄え、いまだ日をえざるにその地横についえ水勢洶々きょうきょうたり、民懼れ鉄を以てこれに投じはじめてむ、今周廻ひろばかりなるべし、水清澈せいてつにして涸れず〉とあれば
それが長い七年の後、思いがけなくも一朝にしてついえてしまったのだった。
支倉事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
二・二六の蹶起はたった四日間であえなくついえた。
いやな感じ (新字新仮名) / 高見順(著)
舷々げんげん相うちついえて
新頌 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
こよい、これから、私が城内に参って、主将の別所小三郎と、一族の者に会い、篤と談じつけます。——まず、荒木もついえ、その荒木を
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
小タマセセは、王及び全白人の島外放逐(或いは殲滅せんめつ)を標榜ひょうぼうして起ったのだが、結局ラウペパ王麾下きかのサヴァイイ勢に攻められ、アアナでついえた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
入口の上框あがりかまちともいうべきところに、いと大なる石を横たえわたして崩れついえざらしめんとしたる如きは、むかしの人もなかなかに巧みありというべし。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
垣のように水平線をぐるりと取巻いて、立ち騰ってはいつかついえる雲の峯の、左手に出た形と同じものが、右手に現れたと思うと、元のものはすでに形を変えている。
河明り (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
此合戦に先んじて、秀吉利家の間にある種の協定さえあったと思われるのである。丹羽長秀、これを見て時分はよしと諸砦しょさいに突出を命じた。北国勢全くついえて、北へ西へと落ちて行った。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
そうして幕軍大いについえ、六日夜慶喜は回陽丸に乗じ、海路江戸へ遁竄とんざんした。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
まぶたはもう離れようとしなかった。意識は何も受けつけないのだ。蹣跚まんさんとした大広間の往復が、自席に着いてどっと疲労を呼びおこした。彼はついえるように横になった。肱枕ひじまくらに他の手を添えた。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
この勢いに、安井勢はついえ去り、怒濤の羽柴軍の“け”にまかせて追われたが、突然、蜂ヶ峰方面から駈け下って来た隊伍なき捨身の一群が
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
燕王、徳州の城の、修築すでまったく、防備も亦厳にして破り難く、滄州の城のついくずるゝこと久しくして破りやすきを思い、これを下して庸の勢をがんと欲す。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
匈奴きょうどの軍は完全についえて、山上へ逃げ上った。漢軍これを追撃して虜首りょしゅを挙げること数千。
李陵 (新字新仮名) / 中島敦(著)
お蘭の玉のを、いつあの白痴がいて行ったか、自分が婿を貰い、世の常の女の定道に入るとすれば、この世のどこかの隅であの白痴がついくずれてしまうようないたましさを
みちのく (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
それらの総決算が、翌年の五月についえた函館の戦争であった。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
さいぜん俄に、隠岐の追手船が火をみだしてついえ去ったのも、おもわぬ伏勢を見たからのことで、敵とて、もうめったに近づくものではございませぬ
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と前の女は驚いて、燭台を危く投げんばかりに、膝も腰もついえ砕けて、身を投げ伏しておもてかくしてしまった。
雪たたき (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
それが、突然の不注意な一発の偽砲から、たちまち乱闘に変じ、本ものの戦争になった。夕刻になって、マターファ軍が退き、マリエ外郭の石壁に拠って昨夜一晩中防戦したが、今朝になってついついえた。
光と風と夢 (新字新仮名) / 中島敦(著)
丈六平じょうろくだいらや薬師堂の辺は、第二の防禦陣地だったが、そこもはやついえている。寄手はもう勝手明神の境内へ突破して来て、「宮はどこ?」と、血まなこだった。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
北征の師のづるや、しょうを督して景隆の軍に赴かんとしけるに、景隆の師ついえて、諸州の城堡じょうほふうを望みて燕に下るに会い、臨邑りんゆうやどりたるに、参軍高巍こうぎの南帰するにいたり。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
逆に虚をつかれた張郃の兵は、たちまち乱れ、さんざんに打ち破られついえ、谷の中に追い込まれてしまった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この二方面の頽勢たいせいから、関羽軍は全面的のついえを来し、夜に入ると続々、襄江の上流さして敗走しだした。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「この夏頃から、丞相には、渭水の北に城寨とりでを築こうとなされているらしいが、なぜ火水ひみずついえぬ城をお造りにならぬかと、愚案を申しあげに来ましたのじゃ」
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そちは申したな。たとえ尊氏が仆れても、第二、第三の尊氏が現われますぞと。そちもまた、ようきもに銘じておくがよい。よしやがここでついえても、儂の意志を
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「織田家のお身内、佐久間信盛のぶもりどのには、まっ先についえ、滝川一益たきがわかずますどのにも逃げくずれ、平手長政(汎秀のりひで)どのはお討死。酒井どの、ひとり御苦戦にございまする」
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一陣破れ、二陣ついえ、中軍は四走し、まったく支離滅裂しりめつれつにふみにじられてしまったが、ここに不可思議な一備えが、後詰にあって、林のごとく、動かず騒がず、しんとしていた。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「未然これを知る。魏の国運、天子の洪福こうふく、ふたつながらまず目出度しというべきである。何にしても、もし今日、司馬一家が出なかったら、洛陽長安、一時についえたであろう」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「夜も明けなば早や、お味方の兵もとりでも、今川勢の前に、一たまりもなくついえて、取り返しのつかぬ大敗となりましょう。——そうなっての上の和議と、一瞬前に結ぶ和議とでは」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
甲山峡水きょうすいけんなりといえ、嶮の破るるときは、一挙にしてついえの早いものです。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「なんの一ト反撃くれて、敵のついえるそのひまに、順次、南へ下がって行け」
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところが、呉軍十万の圧力のもとに、前衛の𤾂城えんじょう一支ひとささえもなくついえてしまった。洪水のような快足をもって、敵ははや、この合淝へ迫ると、急を告げる早馬は、くしの歯をひくようだった。
三国志:09 図南の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、外濠もついについえると、城兵は、大手の唐橋を、わが手で焼き落した。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、まもなく笠置は陥ち、赤坂城もついえ去った。そこで諸将はあらそッて現地からもとの洛中洛外へ凱歌のうしおを引っ返した。高氏の麾下きかも各〻、なんのかのと理くつをつけてはみな引き揚げた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「ああ。旌旗せいきなお生気あり。われなくとも、にわかについえることはない」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これはあかの他人だ」と、すぐ夜来の期待も他愛なくついえていた。
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この引揚げが、いかに至難であったかは、勝家と共に殿軍しんがりした氏家卜全ぼくぜんが戦死し、安藤伊賀守もついえ、将士の戦死八百余人、負傷二千余名と数えられたことを見ても、その犠牲のほども想像されよう。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)